水樹奈々「LIVE PARADE」の1曲目はマイケミの「Welcome To The Black Parade」でした。/青森感想
※本テキストは水樹奈々「LIVE PARADE」の一部演出についてのネタバレがございます。あらかじめご了承ください。
・1.
2023年7月2日、水樹奈々夏のツアー「LIVE PARADE」が青森の地で開幕した。7都市11公演。ツアーは夏をまるまる使い果たして、9月3日の有明アリーナ公演でファイナルを迎える予定だ。
筆者もツアー初日、盛運輸アリーナ(青森県営スケート場)での公演に参加してきた。一般に、水樹奈々オタクはツアー初日に参加したがる人が多い。理由は単純で、「SNSでネタバレを食らうから」である。僕もネタバレ絶対イヤ勢として、多少無理してでもツアー初日だけは現地で立ち会うようにしている。
それもあってか近年の水樹奈々ツアー初日は兵庫や仙台など、比較的当日中の公共交通機関での帰宅がしやすい大都市で行われることが多かった。
それが突然の青森である。本州のほぼ北端である。しかも日曜日開催。都民ですら当日中の帰宅がギリギリ(僕は一泊した)、西日本の人間に至っては月曜の出社拒否が前提という極まった条件。おお、水樹奈々よ、あなたは我々をどこまで試すというのか。
加えて、水樹奈々単独としてはおよそ4年ぶりの「声出し解禁ライブ」。当然、会場は異様なボルテージを帯び、噴火寸前の火山のように開演をいまかいまかと待ち受けていた。
筆者もご多分に洩れず早々に会場入りして、座席でずっとソワソワしていた。客入れ中のBGMとして流れるマイ・ケミカル・ロマンス(以下、マイケミ)を聴きながら、同行者と「懐かしいねえ」などと言い合ったりしていた。そんなこんなで時間はあっという間に過ぎ、定刻の16時を少し過ぎたころ。満杯の客席に会場から公演中のマナーに関するアナウンスが流れる。
テキストの進行において必要なので細かいことを書いておくが、注意喚起に関するアナウンス自体は客入れがはじまって以降、くり返しくり返し流れている。しかし、いよいよライブがはじまるとなったとき、アナウンスのラストで「まもなく開演です。ロビーにいらっしゃる方はお席にお戻りください」的な文言が追加される。
オタクたちもその法則はわかっているので、いよいよかと立ち上がってストレッチをはじめたり、ブルーのペンライトを点灯したりする。さあ、ライブの時間だ。
しかし、今回は少し様相が違っていた。
いつもならアナウンス後、早々に客電が落ちてライブがスタートするのだが、ここであらためて客入れBGMに採用されたマイ・ケミカル・ロマンスのある曲が最初から流れはじめた。客電は落ちず、会場は明るいままで。
ある曲とはそう、彼らの代表曲「Welcome To The Black Parade」だ。
・2.
ここで時間の流れを一時ストップして、本テキストの理解の必須となる周辺情報に触れておこう。水樹奈々は音楽リスナーとしては新旧の洋楽ポップスと、いわゆる「渋谷系」と呼ばれるアーティスト群のファンとして知られている。
だから水樹奈々のライブでは公演ごとに、そのライブのコンセプトやタイトルに合った海外アーティストの楽曲が客入れ中のBGMとして流れる。『LIVE JOURNEY』ではそのまんま米国のロックバンド・Journey、『LIVE ACADEMY』では若々しいイメージを踏まえて、米国のポップパンクバント・Green Dayというように。
だから、『LIVE PARADE』というツアーの客入れBGMがマイケミなのは、彼らの代表曲である「Welcome To The Black Parade」を思えばストレートなチョイスであった。
ついでにいえば、マイケミは先日30歳を迎えた僕の世代ど真ん中のバンドである。
「Welcome To The Black Parade」も収録されているアルバム『The Black Parade』がリリースされたのは2006年。僕が中学生になったばかりだ。
「洋楽を聴くこと」が、ある種のファッションやカッコつけとして通用したほぼほぼ最後の世代である中坊の僕は、アルバムのプロモーションで来日したマイケミが「ミュージックステーション」に出演した際の、珍奇なファッションとキャッチャーで聴きやすい楽曲にまんまと魅了された。
当時は洋楽の国内盤のほとんどは発売から1年くらい経過しないとレンタル解禁されなかったので、レンタルがはじまった瞬間に国道沿いのゲオに駆け込んだことをよく覚えている。
そんな僕にとって大切な大切な、だけどいまでは少し忘れかけてしまったバンド──なぜならマイケミは2013年に解散してる……と書いたらびっくり、2019年に再結成して現在はバリバリ活動してるではないか!(2023年に来日もしている)
ともかくだ。それくらい僕たちの世代のバンドであるところのマイケミが、水樹奈々のライブツアーの客入れBGMとして採用されている。
もう一度ツアータイトルを連呼しておくと、「LIVE "PARADE"」で「Welcome To The Black "Parade"」が流れている! ライブパレードでブラックパレードだ。
そのことだけで僕は感無量だったのだが、ここから驚くべき事態が発生した。ふだんは聴き流しているはずの客入れBGM──「Welcome To The Black Parade」にオタクの一部が反応して、会場のそこここで手拍子が発生したのだ。小さなさざなみのような手拍子は、しかしたしかに、僕の鼓膜と涙腺を震わせた。
15年近く水樹奈々ライブに通っているが、寡聞にしてこのような光景を一度たりとも見たことがない。水樹奈々本人の楽曲ならともかく、おそらくはマイケミ自体を知らないであろうオタクも多いのに、なぜか「Welcome To The Black Parade」には反応している! なんなんだこれは!
僕なりに想像をたくましくしてみると、おそらくは前述したように、開演直前のアナウンスの"後"に流れた楽曲ゆえに、多くのオタクがそこになんらかの意味を見出したと考えられる。
しかも、楽曲を聴いていただければ瞭然だが、「Welcome To The Black Parade」は冒頭の印象的で静かなピアノとボーカルの歌唱からはじまり、そこにゆったりとしたマーチングバンド風のドラマが加わり、その後一気にテンポをあげてパンクロック調の激しいサウンドへと変調していく楽曲だ。なんというか、理屈抜きでアガる構成をしているのだ。
いま振り返ってみても、あのとき鳴り響いた「Welcome To The Black Parade」がたまたま最高のタイミングで流れただけなのか、演出的に意図してのものなのかはわからない。後者なら天才の所業だし、前者ならシンプルに奇跡である。
どちらにせよあの美しい光景を忘れられない僕は「『LIVE PARADE』の1曲目は?」と訊かれれば、「マイケミの『Welcome To The Black Parade』」と即答するだろう。それだけは間違いない。
あそこで手拍子したオタクたち、ほんとうにありがとう。
パンクロックに手拍子ってロッキンジャパンフェスなら怒られるそうなもんだけど、僕にとっては何より美しい音色だったよ──。
・3.
さて。
ここでテキストを閉じてもいいのだが、もう少しマイケミの話をつづけさせてもらおう。というのも終演後、いつもならライブで印象に残った水樹奈々の楽曲を鬼リピートするところだが、あの光景があまりに強烈に脳裏に焼き付いてしまった僕はなぜか「Welcome To The Black Parade」を何度も何度も聴いていた。水樹奈々のライブに行ったはずなのに。
歌詞を読みながら対訳と見比べながら「Welcome To The Black Parade」を聴いていると、いろいろとおもしろい符号が見えてくる。
あの奇跡がもし万が一、まかり間違って演出だったとして、なぜ『LIVE PARADE』は「Welcome To The Black Parade」ではじまったのか。はじまらなければならなかったのか。楽曲を仔細に検討してみることで、その理由の一端は見えてくるかもしれない。
だからここから続くテキストはあのとき会場中に鳴り響いた「Welcome To The Black Parade」は「演出」であったと勇気を鼓して仮定するところからはじまる。
いまから語られるのは、"あったかもしれない""あるかもしれない"ifの物語だ。もっといえば、僕が僕なりに「Welcome To The Black Parade」こそが「LIVE PARADE」の1曲目であると強弁するためにこじつけたテキストだ。あらかじめご了承願いたい。
・4.
さて。
まずは基本的なところを確認しておこう。
まず「Welcome To The Black Parade」が収録されているアルバム『The Black Parade』はコンセプトアルバムである。その内容を僕なり要約すると、
「若くして癌を患った病人(The Patient)があの世で生前のいちばん強力な『記憶=The Black Parade』をもう一度体験することで自分の恐怖心や後悔と出会い、その旅の果てに生への意志を持つにいたる」というものだ。
その中でリード曲でもある「Welcome To The Black Parade」は中心的な役割を果たしている。
MVをあらためて観直してみるとアルバムのストーリーが端的に表現されていることに気づく。「死にかけの病人が臨死体験を通じてブラックパレードを体験することで、生きることを祝福される」という内容だ。
踏まえると、MV自体はダークな世界観に貫かれているものの、祝祭的モチーフがいたるところで確認できる。舞い散る紙吹雪、病人の首にかけられるメダル、考えてみればパレードはそもそも祝祭的だ。なんか陽気なのだ。
歌詞の検討に入る前に先に結論を申し上げてしまおう。
「死」とそれへの反転としての「生への肯定」。
これが「Welcome To The Black Parade」の核心である。
そんな楽曲を「LIVE PARADE」の"1曲目"に置いたわけ。その意味は歌詞を詳細に分析することで見えてくるだろう。
なお、以降の「Welcome To The Black Parade」の歌詞の対訳は原則「LeGoon Blog-我が家の忘備録-」の「【Welcome To The Black Parade和訳】マイケミの歌詞を徹底考察&解説」より引用させていただいた。感謝して記しておきたい。
では、どうぞ。
気になるフレーズは「くじけてしまった人達の救世主(the savior of the broken)」だろう。
水樹奈々は青森公演でのMCで「LIVE PARADE」を含めて、コロナ禍以降に開催されたライブタイトルの意味を以下のように語った。
つまり、
2022年夏のツアー「LIVE HOME」:私たちのHOMEであるライブが帰ってきた。
2023年冬の2daysライブ「LIVE HEROES」:そんなHOMEを守るHEROたち
2023年夏のツアー「LIVE PARADE」:今度はPARADEが巡るように全国に元気を届けたい。
記憶での引用なので細かいニュアンスはズレるが、おおむねこんな感じのことを語っていた。
まず注意を促したいのは、SaviorとHeroは多分に似た英雄的なニュアンスを持つ言葉であるという点だ。これは後々の曲展開に深く関わってくるので覚えてもらいたい。
さらに水樹奈々のMCに目を向けてみると、「PARADE」には巡業的なニュアンスが強くこめられていることがわかる。だとすると、ツアーが東京から遠方の青森で開幕し、有明(東京)で終幕を迎えることにもなんらかの意味合いを見出したくなってくる。
つづきのリリックを見ていこう。
ここで夏(in the summer)というフレーズが登場する。
そう、ブラック・パレードは夏に行われるのだ。
ここで楽曲はほかの「死者たち( the bodies)」へと目を向ける。
一気に「鎮魂歌」的な色彩を帯びる。
ブラック・パレードとは死者を弔う葬列なのだろうか。
曲はサビへとなだれ込む。ボーカル、ジェラルド・ウェイの「carry on」の叫びが響き渡る。
非常に多様な読み解きができる名フレーズだ。
「LIVE PARADE」に引きつけて考えてみると、もちろん”いろんな理由”でライブに二度とライブに来れなくなった人びとへの鎮魂歌ともとれるし、もっと穏当にコロナ禍をきっかけに──あるいはそれ以前からさまざまきっかけで「水樹奈々から離れてしまったオタク」への葬送歌(送別歌)とも解釈できる。
しかし、生き残った我々は未来へと目を向けねばならない──。
「We」という主語を「オタクたち」へと引き付けてみる。すると、”現場を離れてしまったオタク”へ”いまもなお現場に通うオタク”が「あとは任せろ」とサムズアップしているようにもとれそうだ。
昔から応援してるオタクがいつしか現場を離れて、新しいオタクが入ってくる。もちろんずっと応援しつづけているオタクもいる。現場の空気は変わる。新しいオタクがいつしか「古参」と呼ばれるようになり、ある人は現場から離れてある人は残る。そのくり返し。そのくり返しこそが「水樹奈々」というコンテンツを存続せしめてきた。
僕たちはあるオタクが現場から卒業することを冗談で「他界」などと呼んだりする。「Welcome To The Black Parade」とオタク語の「他界」には、象徴としての”死”という意味で、共通項がある。筆者はまじめに言っている。
パレードは参加する人間をときに入れ替えながら、それ自体が生きてるように各地を巡回する。オタクもサポートバンドもダンサーもスタッフたちもおなじだ。不変なのは、座長である水樹奈々だけだ。
なんにせよ、水樹奈々も我々オタクも、アフターコロナの時代をcarry onしつづけていくしかないのだ。考えてみれば、出産するまでほぼ毎日欠かさずブログを更新したように、水樹奈々の本分とは「続けること=carry on」こそにあるようにも思える。
以下、2番。
いっそ予言的ですらある。
2020年3月から開催予定だった水樹奈々歌手デビュー20周年ツアーはコロナ禍で中止を余儀なくされた。ツアーファイナルではナゴヤドームでの公演が予定されていた。それが僕たちのdecimated dreams(ぶち壊された夢)だ。
「貴方はくじけて打ち負けてしまっても 残されたものが疲れ果てても 行進していくんだ(And though you're broken and defeated/Your weary widow marches)」
打ち負けてしまった者
残された者。
行進をつづけよう。
極めて興味深いのは、ここで「hero」というフレーズが出てくる点だ。
しかも楽曲の中で「hero」は「ヒーローなんかじゃない」という否定形を引き連れてくる。
それを自分のライブタイトルに「HEROES」とつけてしまえる水樹奈々がBGMとして採用する豪胆。剛腕。
後ろ向きの歌詞も水樹奈々が歌えば不思議と前向きに響くのはよくある話だ。よくもわるくも。そのマジックがここでもまた炸裂しているように思えた。ほかアーティストでやるな。
楽曲はラストのサビで大団円を迎える。まとめて引用する。
パレードは続く。
これから9月まで続いていく。
このテキストを書いていて幼いころにテーマパークで見たパレードのことを思い出した。それぞれのフロートは目の前を一瞬で通り過ぎて行く。幼い僕は視界から徐々に消えていくフロートをただ見送るしかない。僅かな寂しさをたたえながら。向こうで鳴る華やかな音楽は残り香のようだ。しかしたとえフロートが去ってしまっても、パレード自体は続いていく。明日も明後日も。もしかすると、パレードの本質はそんなところにあるのかもしれない。
僕はいま「水樹奈々」というパレードの中で祝祭のダンスを踊っている。ふと沿道に目を向けてみる。パレードを見送ることを決意した人たちの幻が一瞬見えた気がした。ダンスのステップをとめて、幼い僕のように去りゆくフロートを見つめる人たち。「他界」した友人たち。
あなたが何気なく向かう水樹奈々ライブは、もしかしたら気づかぬ間に知らぬオタクの魂を受け継いだライブかもしれない。いなくなったオタクの代わりに、「続けること」を託されたのかもしれない。
"いなくなった者たち"を見送って、我々は前を向かねばならない。振り向いてはならない。未来を見据えるために。
パレードは続く。
君がいつの日か、「見送ること」を決意するまで続く。
僕はあらかじめ「なぜ『LIVE PARADE』の1曲目で『Welcome To The Black Parade』を流す必要があったのか?」という問いを提起しておいた。これまでのテキストを読んで、おのおのが思いを巡らせてもらえばそれでよいのだが、いちおう僕なりの結論らしきものを申し上げておく。
「Welcome To The Black Parade」は「こちら側」と「あちら側」についての物語だ。それは「生」と「死」かもしれないし、「いまもいる人」と「いなくなった人」かもしれないし、「ファンである人」と「ファンをやめた人」かもしれないし、「パレードに参加する人」と「パレードを見送ることを選んだ人」なのかもしれない。
マイ・ケミカル・ロマンスの世界では臨死体験でブラックパレードに参加した主人公はけっきょくは現世に戻ってきた。”仮死”状態を経ることでより強い生きる意志を獲得した。
大切なことは”向こう側へ渡った人”へ思いを巡らせること。
決して忘れないと誓うこと。
つぎのパレードは7月8日・9日で大阪にて開催される。
僕は参加する。フロートのそばでダンスをする。
願わくば君のステップを見てみたいと思う。手を取って踊りたいと願う。
それが”こちら側へ留まる人”たちの義務だ。
・5.
最後に「LIVE PARADE」のその後についても少しだけ触れておく。
フルサイズで「Welcome To The Black Parade」が鳴り響いたあと、オープニングムービーが流れて水樹奈々本人が登場する。そのときはどうか、彼女の衣装に注目してほしい。なんと水樹奈々は──。
真っ黒(black)のドレスで登場する。
ようこそ、ブラックパレードへ──。
(終わり)
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