君を『過去形』にするということ/坂本真綾「誓い」を聴いて
2020年1月2日、新宿。14時ごろ。
初売りに向かう人びとで街はにぎわっていた。
ぼくは朝から喫茶店2軒をハシゴし、山田風太郎『魔界転生』を読み終え、やや虚脱状態で、ランチのための手ごろな店を探していた。
お正月のため、いつもの定食屋はお休み。年末年始をきちんと休みにする昨今の風潮は望ましいと思いつつ、ぼくのような自炊しない独り身にとって、その間の飯事情にはちと困らされる。
「ああ、これはハマったかもなあ」
ふだんはなんにも考えずに、いつもの店2、3軒をループしている。だから、こうしていちど悩みはじめると、なかなか決まらない。結果、新宿の街をぐるぐるぐるぐると、さまよい歩くハメになる。
そんなとき。不意にヘッドフォンから、この歌が流れてきた。
坂本真綾「誓い」。
一聴、耳と意識をぜんぶ持ってかれた。ランチの店を探すことを放棄して、新宿の街を歩き回りながら、なんどもなんども、リピートした。なんていい曲なんだ、と思った。
ということで今日は、この曲の話をしてみたい。
・坂本真綾とは。
と、そのまえに、「坂本真綾」とは何者なのかを簡単に確認しておく。
彼女をまったく知らない人向けに、ざっと説明するだけなので、オタクは飛ばしてもらってかまわない。
坂本真綾は声優であり、女優であり、歌手であり、エッセイストである。幼少期より子役として活動し、1988年に声優デビュー。
1996年、声優としての出世作となったテレビアニメ『天空のエスカフローネ』の主題歌「約束はいらない」で歌手デビュー。以降、いまや日本を代表する作曲家となった菅野よう子のプロデュースにより、順調にキャリアを重ねる。
2011年のオリジナルアルバム『You can't catch me』で、オリコンウィークリーチャート1位を獲得。なお、声優によるアルバムの週間1位獲得は、2010年の水樹奈々につづく快挙である。
これまで発表した個人名義の作品は、シングル30枚、オリジナルアルバム10枚、ベストアルバム1枚、ミニアルバム(コンセプトアルバム)3枚、シングルコレクション3枚である。ほかに配信限定シングルやアルバムもあるのだが、煩雑になるので略す。
また、エッセイ集も多数刊行。優れた言語感覚でもって、自身の楽曲で多くの作詞も担当する。近年では、他アーティストへの詞の提供もいくつか行っており、最近ではKinKi Kidsのシングル「光の気配」の作詞を担当したことなども話題になった。
・「誓い」について知っておいてほしいこと。
はい、ここくらいからスクロールして飛ばしている人も戻ってきてください。
そんな坂本が、2011年に発表した3rdコンセプトアルバム『Driving in the silence』。その実質的なラストに収録されたバラードナンバーが「誓い」である。
そして本楽曲は、作詞だけではなく作曲もまた、坂本真綾が担当している。
そして、これが死ぬほどいい曲である。
実際、「誓い」の好評を受けてかどうかは定かではないが、その後、彼女は、『シンガーソングライター』という全楽曲の作詞作曲を本人が担当したアルバムを発表するにいたっている。
そこにも「誓い」は、「誓い 〜ssw edition」として再収録されていることから、本人にとっていかに思い入れ深い楽曲であるかは、推して知るべしだ。
そもそも、『Driving in the silence』は「冬」をテーマにしたコンセプトアルバムである。クリスマスパーティなど華やかなシーンが歌われる楽曲もあるのだが、坂本本人は「〈インドアな冬〉というのをひとつのキーワードにし」たと語っている。
おなじインタビュー内で、坂本は「誓い」について、東日本大震災の直後につくった楽曲であることを打ち明けつつ、こう語っている。やや長いが、全文引用する。なお、本テキストのテーマに密接にかかわる箇所に関しては、あらかじめ太字にしておく。
「震災後にライヴも他のお仕事も全部延期になって家にいるしかなかった時に〈何かしなくては〉と思い、ピアノに向かいました。歌う場所も演じる場所もない状況が続く中で、何かを作り出したかった。〈これまでやってきた当たり前のことをやめてしまったら、私たちはこれからどうやって生きていくんだろう?〉というような、そんな想いでしたね。この曲がいつどのように形になるのかもわからなかったし、そういうテンションで作ったものが作品としていいものになるのかもわからなかったけど、今起きたことを力にして音楽にして前に進まなきゃしょうがない、そういう気持ちでした」
「坂本真綾『Driving in the silence』Official Interview」(http://www.jvcmusic.co.jp/maaya/driving/interview.html)
・「誓い」の歌詞について。
さて。
踏まえて、歌詞を順番に見ていく。
もっと強くなりたい
もっと優しい人に
君が そうだったように
もっと、もっと
ずっと考えていた
ずっと問いかけていた
君は なんて言うだろう
ずっと、ずっと
冒頭から「もっと」(mo-tto)「ずっと」(zu-tto)と、脚韻を駆使している。サウンドもパーカッションが一定のリズムを刻むほかは、バンド隊も控えめに坂本の声に寄り添っており、印象的な脚韻が耳に降り積もっていく。
とりいそぎおさえておくべきは、「もっと」も「ずっと」も、「君」に言及する過程で、でてきた表現であることだ。踏まえて、つづきを見ていく。
何を失っても 僕は生きていくだろう
どんな悲しみも 踏み越えるだろう
ここで、物語は一気に核心へと迫っていく。
「失って」と「悲しみ」。ここから、「君」の不在を読み解くことは容易である。さらにいえば、それぞれ「喪失(=失って)」は、「生きていくだろう」に、「悲しみ」は「踏み越える」という述語を呼び込んでいる。
ここからぼくたちは、「君」を失った悲しみを踏み越えていく、「僕」の存在を想起する。
なお、ここでの「僕」は、歌詞の引用だ。よって、男も女も想定していない。筆者は、歌い手であり作詞家の坂本真綾を想定しているため、女性と見ている。だがそれはどちらでもいいことだ。
そんなことよりはるかに大切なポイントがある。注意を願いたい。「踏み越える」という表現は、あまり一般的ではないことに。
この場合であれば、「のり越える」などが適切ではないだろうか。思い切ったいいかたをすれば、「踏み越える」という表現はやや、激しすぎる。
ここに作詞家・坂本真綾のなんらかの意図を見出すことは、さして不自然なことではないように思う。しかし、いまの段階では、その意図には深く立ち入らない。ひきつづき、歌詞のつづきを見ていこう。
愛を誓うとき 告別も約束した
1番サビの直前、「誓い」において最重要フレーズが登場する。すなわち、「告別」。その辞書的な意味はこうだ。
こく‐べつ【告別】
〘名〙 別れを告げること。いとまごいをすること。
(精選版 日本国語大辞典の解説より)
「別れを告げる」から、「告別」。ふむ。
その場合、素直に解釈すれば、「愛を誓うとき 告別も約束した」とは、「別れがふたりを分かつまで添い遂げる」と読み解くことが自然であろう。
そしてそこで想定される「別れ」とは、どちらか一方の死である。平たくいえば、「死ぬまで一緒にいる」という意味での、永遠の愛だ。
いわばここでは、「レトリックとしての死」が使用されている。
しかし、読者の頭のなかにはそうではなく、もっと具体的な意味が浮かんでいるのではなかろうか。そして、先ほど確認したように、「誓い」は東日本大震災をきっかけにつくられた楽曲である。
踏まえれば、この「告別」から、「(故人に)別れを告げる」という意味を見出すことは、そう不自然ではないだろう。いってしまえば、「告別式」の「告別」だ。
さらにいえば、「告別」のフレーズ直前に、坂本は「喪失」と「悲しみ」を配置している。
これを踏まえると、「告別」とは、「永久(とわ)の誓い」としての意味と、「実際に訪れてしまった”死”」の二重写しになっていることがわかる。
もっといえば、あくまで「レトリックとしての死」が、「実際の死」に変じてしまった悲劇を歌っている。そういう見方ができそうだ。
では、「誓い」は、突如現実化した死の喪失をまえに、「僕」が悲しみに暮れる楽曲なんだろうか。
否。
断じて、否である。
それを証明するため、サビを見ていく。
そして冬が終わる 憂いを振りほどいて
君が好きだった季節が
すべてをさらい 過ぎて行く
僕はこのまま このまま
ここで、読者諸兄に問いたい。
このテキストの主語は果たしてなんだろうか。
もっといえば、「憂いを振りほど」き、「すべてをさら」うのは、果たしてだれだろう。
そう、冬である。
「君が好きだった季節」である「冬」である。
「冬将軍」という言葉がある。
モスクワに遠征したナポレオンが、厳冬が原因で敗れた史実からきた言葉で、人間にはどうしようもできない冬の寒さを表現した言葉である。
坂本が「誓い」のなかで歌う冬は、「冬将軍」とよく似ている。
「憂い」すら「振りほど」き、「すべてをさら」っていってしまう厳しい冬。
すべてを奪い取ってしまう、あまりに暴力的な「冬」。悲しみも憂いも。「冬」はそれらをすべて呑み込んでいく。ここで、ぼくたちの「悲しみ」は「冬」そのものに象徴されていく。
しかし、かならず、「悲しみ」には終わりがやってくる。坂本は歌う。「そして冬が終わる」と。
「そして」は順接の接続詞。「そして、〇〇年後」など、時間経過を表す言葉としてもよく使われる。
冬のはじまりと終わりという時間の経過が、悲しみも思い出もすべて洗い流していく。そんなイメージを想起させる。
そんなとき、ぼくたちはなにかをする必要はない。ただ、「このまま このまま」、冬がすべてを流し去っていくのに身を任せればいい。
直後の2番は、こうはじまる。
今日は あたたかい雨が
そっと降り続いてた
声が聞こえそうだった
そっと、そっと
雨は温度はとりもどし、季節は春へと移行していることがうかがえる。
別々の命 それぞれの生き方で
ふたりはひとつの道を選んだ
喜びを分かち 与えると 約束した
先ほどの段落で、「声が聞こえそうだった」と歌われている。ここから、彼との思い出を想起している「僕」の様子が伝わってくる。
しかし、いつまでも「思い出」に浸っているわけにはいかない。生きている者は生きている者の責務として、前を向かねばならない。
2番サビ。
ここで思い出すべきは、先ほどの「踏み越える」だ。
そして合わせて、先ほど保留した、「坂本真綾はなぜそんなに激しい表現を使用したのか」という疑問だ。
そして僕は向かう 誇りを胸に抱いて
君が好きだった世界で
君と見つめた その先へ
僕はこのまま このまま
ここでも、「そして」と「このまま」が印象的に使われている。しかし、意味はとくに後者において、大きく変わっている。
先ほどの「時間が解決してくれる」的な意味合いでの「このまま」ではなく、前段の「その先へ」にかかっていることがわかる。
つまり、「その先へ」「このまま」進む。前に進む。
ぼくはようやく、主体性を取り戻したことのだ。
ことここにいたって、なぜ坂本が「踏み越える」というフレーズを使ったのかの謎も解ける。くりかえすように、「踏み越える」とは、奇妙に暴力的な表現である。そう、それこそ、厳しい冬のように。
「踏み越える」とは、力強く前に進むことの象徴表現である。
坂本は1番において、冬のように厳しい悲劇の受け止めかたを、2番において、それからの前に進みかたを、ぼくたちに教えてくれている。
「このまま」の意味を、ドラスティックに転換させることによって。
また、先ほど引用したインタビューで、坂本はこうも語っていた。
「今起きたことを力にして音楽にして前に進まなきゃしょうがない、そういう気持ちでした」
ここでも、あまりに巨大な悲劇をまえにしても、前を向くしかない坂本の決意がうかがえる。
つまり、「誓い」はどれだけの悲劇――たとえば、最愛の人の死すらも踏み越えていく人間の強さと決意を訴えている。
それこそ、季節が冬から春へと過ぎゆくように。
ラストサビでふたたび、坂本はこう歌う。
そして僕は向かう 誇りを胸に抱いて
君が好きだった世界で
君と見つめた その先へ
僕はこのまま このまま
「誇り」を持った人間はもう大丈夫。
自分がやるべきことが見えている。
さあ、いこう。その先へ。
名曲だと思います。
・まとめと蛇足
ここまで読んでくれた人たちのなかで、あるいはこんな疑問を抱く人もいるかもしれない。
「いや、死んだかどうかはわからなくない?」
たしかに、決定的なフレーズは「告別」くらいで、ほかは状況証拠の積み上げにすぎない。しかしそれでもぼくは、「誓い」は「最愛の人との死別」について歌った楽曲であると判断している。
なぜか。それは、坂本が歌詞のなかに施したある仕掛けを見ると、わかるだろう。以下は、歌詞のなかで「君」が登場するフレーズをすべて抜き出した一覧である(重複はのぞく)。
「君がそうだったように」
「ずっと問いかけていた 君は なんて言うだろう」
「君が好きだった季節が」
「(君の)声が聞こえそうだった」
「ふたりはひとつの道を選んだ」
「(君と僕は)喜びを分かち 与えると 約束した」
「君が好きだった世界で」
「君と見つめた その先へ」
そう、「君」に言及するときは、いつだって「過去形」なのである。
思い切ったいいかたをすれば、「君」はもはや、「過去の人」になってしまった。
ほかのフレーズでは、現在形もでてくるのにかかわらず、である。
そしてそれはほとんど、「僕」が前を向くフレーズで登場する。
現在形の「僕」、過去形の「君」。
そこには海よりも深い、断絶がある。
その徹底ぶりに、ぼくはなんらかの意図を見出さざるをえなかった。
その意図とは、「君の不在」。
そしてそれは、ただの恋愛別れにしては、あまりに物悲しい。
まあそれも、ぼくの印象にすぎないといわれれば、それまでだが。
(終わり)
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