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オーディオブックに集中できない人のためのAudible(オーディブル)講座

・0.


「Audible」(以下、オーディブル)というサービスをご存じだろうか?

Amazonが提供しているオーディオブックの配信サービスで、月額料金(1500円)を払えばオーディオブック化されている小説、ノンフィクション、教養新書、ビジネス書などが(ほぼ)聴き放題になるというものだ。

この「聴き放題」というのがなかなか凄くて、以下のインタビューでは12万冊以上が対象作品となっているとのこと。

村上春樹や宮部みゆき、あるいは近年の直木賞・芥川賞・本屋大賞受賞作品がだいたいラインナップされており、読もうと思ってたベストセラーを調べるとけっこうな割合でオーディブル化されていたりする。宮部みゆきなんて電子書籍化すらされてないのに。

ライトノベルの分野も強く、『転生したらスライムだった件』などはTVアニメ版の主人公、リムル=テンペストを演じる声優の岡崎美保が最新21巻まで全巻の朗読を担当している。1巻10時間くらいあるから、収録めちゃくちゃ大変だったと思う。

ほかには『この素晴らしい世界に祝福を!』は雨宮天が、『本好きの下剋上』は井口裕香が、渋いところでは『ゼロの使い魔』は釘宮理恵がそれぞれ朗読を担当するなど、TVアニメ版の主要キャストが起用されるケースも多い。

ちなみに『化物語』シリーズなどは各巻で、
神谷浩史→斎藤千和→加藤英美里→井上麻里奈→沢城みゆき→坂本真綾→櫻井孝宏→井口裕香……えげつない豪華声優陣の朗読リレーを堪能できるので声優オタク諸兄にもぜひオススメしておきたい。

さて上の記事のなかでも語られているように、近年のオーディオブックシーンの盛り上がりは著しく、それにともないコンテンツの質・量ともにうなぎ登りであるというのが、いちオーディブルヘビーユーザーとしての率直な感想である。

ただ、ネットで評判を調べたり、友人・知人に聞いてみると、「オーディブルは頭に残らないor集中できずに聞き逃してしまうから利用しない」という声をよく聞く。わかる。これは僕もサービスを利用してまず最初に抱いた感想である。

だからこそ、散歩が趣味の僕は「これで歩きながら本が読める(聴ける)」と最初喜びつつも、すぐに「オーディオブックは自分には向いてない……」と利用を断念しかけたこともあった。

しかしいまでは、僕の読書のほとんどは耳&目の併用(後述)で、読みたい本はまず「オーディブル化されているかどうか」を調べるところにまでなった。社会人になってからどうしても年間の読書量が落ちていたが、オーディブルを利用するになって以降、年間200冊(漫画は除く)を超えるペースで本が読めている。

ということで、今回は僕なりのオーディブルの利用法を書いてみたい。これがあなたの「聴く読書」ライフの一助になれば幸いだ。

では、いってみよう。

・1.


いきなり身も蓋もない結論で恐縮だが、ぶっちゃけ耳からのみの読書は集中しづらい

オーディブルは朗読のスピードを0.5~3.5倍速まで切り替えることができる。しかし、1倍速だろうが2倍速だろうが耳から聴くだけではどうしても集中力が散漫になる。

目に映るもの──どうしても視覚野からの情報に気を取られてしまい、気づけば朗読に置いていかれているのもしばしばだ。家事などをしながらの"ながら読書"ではその傾向がさらに顕著になる。

だったらどうすればいいのか──。
僕が出した結論はこうである。

オーディブルと電子書籍を併用する。

もう少しくわしくいえば、僕はオーディブルと並行してKindleでおなじタイトルを購入して、それを常にスマートフォンに表示しながら聴いている(紙の本の場合もある)。「朗読を聴きながら版面で該当箇所を目で追う読書」といえば伝わるだろうか。

いやいやいやいや。
それなんの意味があるん? 最初からKindle or紙の本でよくない??

と思った本読みの諸君、君の懸念は正しい。
しかし、もう少し説明させてほしい。

個人的な話をするが、最近30歳になった筆者は年々読書への集中力が落ちていることを痛感している。少し読み進めてツイッター、知らない単語を調べるついでにネットサーフィンと、気づけば本を読んでいる合間にスマホを触っているのか、スマホを触る合間に本を読んでいるのかわからなくなってくる。

当然そんなことでは読書が捗るわけなどはなく、月の読了数はどんどん減っていっていた。最近ではツイッター(現:X)のアプリをスマホから消すなどの対策をとってはいるが、なかなかどうして評価経済社会の引力は強く、しばらく通知画面を見ないとむずむずしてくる。

しかし不思議なことに、オーディブルを流しながら活字を追うと、SNSやインターネットを触りたいという欲望は起きづらくなった。

非常に感覚的な話で恐縮だが、おそらくこれは朗読音声が流れているかぎり、それに従い本を読むので途中で読書をストップすることが難しくなった、ということなのだと思う。

いわば、朗読が「ペースメーカー」の役割を果たしているのだ。結果的に途中で集中力が切れて、SNSの不毛な情報の垂れ流しを見たい欲求が起きづらくなった。

僕は腰を落ち着けられる場所ではこのスタイルでは本を読んでいる。ジャンルによって朗読のペースは変えているが、だいたい2.5倍~3倍くらいのペースで再生している。むしろ、それよりスローにすると遅すぎて逆にイライラするという現象が発生する(おそらく制作側も、最初から倍速再生か”ながら読書”を想定して朗読スピードをディレクションしている気がする)。

そして移動時には朗読スピードを2倍速に変更して聴く。歩きスマホはダメなのでKindleの画面は見ずに、信号待ちやエスカレーターなどで読み上げた箇所の版面を確認する。これは家事や軽作業、はたまた食事などを行う際にも有効な読書法だ。

こうすることによりすべてのスキマ時間が読書時間に化け、読書量は飛躍的に上昇する。スキマ時間に2倍速でちょこちょこ読み進めておいて、座ったときには3倍速で一気に読み進める──こんなイメージである。感覚的には常に読書エンジンが点火されている状態になるので、高い集中力で1冊の本を読み進めることができる。

・2.

あと、これはあくまで個人的な感覚ではあるが、明治・大正期の文豪の作品や、難しい哲学書は紙or電子で読むより、オーディブルのほうが遥かに読みやすく(聴きやすく?)感じる。

僕はどちらかといえばミステリやSFなどのジャンルエンタメ小説の読み手で、国語の教科書に載っているような文豪の作品──いわゆる”純文学”はあまり得意ではなかった。ミステリやSFならば1日で読めるような長編小説の分量も、その手のものでは平気で1週間以上かかることもあった。

たぶん読み進めるスピードうんぬんというより、難解な表現に途中で集中力が切れて「連続読書時間」が短くなってしまっていたのだと思う。当然、没入して読めていないので作品自体もうまく楽しめない場合が多い。

だが、オーディブルはその手の文豪の作品も多数収録されている。僕はいま現在、並行して「岩波文庫の緑(現代日本文学)をたくさん読む」という活動をしているのだが、オーディブルを活用することで2日で1.5冊くらいのペースで読破することが可能となっている。しかも、紙or電子で読むより内容の理解度が遥かに高い。平たくいえば、おもしろいのだ

苦手な純文学ジャンルにおいてこの変化は劇的で、僕は夏目漱石、太宰治、芥川龍之介、谷崎潤一郎、島崎藤村、志賀直哉、泉鏡花、川端康成、田山花袋……と近代文学の綺羅星たちの名作をつぎつぎと読み進めていった。どれもおもしろい。つぎは樋口一葉をはじめて読んでみるつもりだ。

これはおそらくナレーターの表現力が作品世界をより深化させているというのもあるのだろうが、それ以上に朗読が「目で追う通常の読書(黙読)」のサポートツールとして機能している側面が大きいのだろうと思う。

こんなことを書くと、もしかしたら、「読書」という行為へのズルというか、ある種の冒涜としてとらえる硬派な読書家諸兄もいるかもしれない。

しかし、そもそも我々が通常の読書スタイルとして規定している「黙読」という行為は明治前期以降、活版印刷の普及とともに形成された読書法である。江戸時代から明治はじめまでの読書とは、家族やグループ単位で誰かが「音読」するというスタイルが一般的だった。

そう思えば、僕のこのやり方は前近代までの「音読」と近代以降の「朗読」を混ぜ合わせた折衷スタイルといえないでもない。

・3.


以上、僕のオーディブルを使用した読書法を紹介してきた。もはや最近では読みたい本がオーディオブック化されていないとガッカリするようになってしまった(オーディブルの代わりにKindleの読み上げ機能やテキスト読み上げアプリを使用する方法もあるが、長くなるのでここでは割愛する)。

さて、いちおうのまとめ染みたものを書いておくと、SNSの登場によって僕たちの「集中力」と「スキマ時間」は激しい取り合いに晒されている。そんななかで、長く深い没入を必要とする読書という行為はどんどん難しくなっていると感じている。

だからこそ、騙されたと思っていままでの読書スタイル方法を少し変えてみてもいいのではないかと思う。それが意外に停滞したあなたの読書を改革する可能性がある。少なくとも、僕はそうだった。

先日、第169回芥川賞を受賞した市川沙央は「先天性ミオパチー」という重度の難病を抱え、受賞作の『ハンチバック』において、自らとおなじ障害を持つ主人公にこう語らせている。

  厚みが3、4センチはある本を両手で押さえて没頭する読書は、他のどんな行為よりも背骨に負荷をかける。私は紙の本を憎んでいた目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること、──5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。その特権性に気づかない「本好き」たちの無知な傲慢さを憎んでいた。

市川沙央『ハンチバック』 (Kindleの位置No.199-203). 文藝春秋

 本に苦しむせむしハンチバックの怪物の姿など日本の健常者は想像もしたことがないのだろう。こちらは紙の本を1冊読むたび少しずつ背骨が潰れていく気がすると いうのに、紙の匂いが好き、とかページをめくる感触が好き、などと 宣い 電子書籍を貶める健常者は吞気でいい

市川沙央『ハンチバック 』(Kindle の位置No.259-262). 文藝春秋

市川の提言は重く、「読書」という体験がある種の特権性を帯びた行為であることに気づかされる。

実際、先日オーディブルにて配信開始された『ハンチバック』は冒頭に著者の市川からのメッセージが挿入され、「ハンチバック(オーディブル版)では聴いて味わえる物語となるように、登場人物の名前の読み方を一部変更しました。オーディブル版のハンチバックをお楽しみにいただけますように」と語られていた。

多様な本の読み方が広まること。
それは読書文化の未来になんらかの形で資するかもしれないと考えた。

さて、今日はどんな本を聴こうか。

(終わり)

(参考文献)
・市川沙央『ハンチバック』文藝春秋
・大阪府立中之島図書館 おおさかページ~大阪資料と古典籍~「明治の読書文化(https://www.library.pref.osaka.jp/nakato/shotenji/34_mdoku.html
・2023-08-07ORICON NEWS「出版業界は本当に斜陽? 本を“読む”ではなく“聴く”が若年層のスタイルに『このままいけば、電子書籍を猛追する可能性もある』」(https://www.oricon.co.jp/special/64320/

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