「Go Live!」いつになったらまともに跳べるんや/水樹奈々「LIVE PARADE」名古屋2日目感想
後ろめたくて跳ぶことができなかった━━。
去年の夏の、苦い記憶である。
2022年、水樹奈々は夏のライブツアー「LIVE HOME」の3曲目にて、「Go Live!」を披露した。直前にリリースされたアルバム『DELIGHTED REVIVER』のリードトラックおよびアルバムの最終曲として、作品を象徴する楽曲であった。
作詞はロックバンド・sajiのヨシダタクミ、作編曲は加藤裕介。ヨシダタクミは近年の水樹奈々楽曲における超重要クリエイターのひとりで、僕も頻繁にnoteで彼の詞世界を取り上げている。
とはいえインタビューなどを狩猟すると、水樹奈々は本人作詞以外の楽曲においても、テーマ出しなどにおいてかなり強くディレクションを働かせていることが伺える(とくに「夢」関連ではその傾向が強いように思える)。
だから本テキストでは、本人作詞曲とおなじく、「Go Live!」もまた「水樹奈々からのメッセージが込められている」ものとして取り扱う。あらかじめご了承願いたい。
さて。
「Go Live!」のテーマは「夢は叶う」。もう何度目になるかわからない水樹奈々の自家薬籠中のテーマだ。
もう少しだけ僕なりの解釈を加えるとすれば、本楽曲はとりわけ「負け犬たちの夢」というのがテーマになりそうである。
そのテーマは1番の歌い出しから端的に表現されている。
僕はリリース前に「Go Live!」のMVが解禁されて、このフレーズを聴いた瞬間、
「マジで勘弁してくれよ」とちょっと怒りもした。
いまからまったくおなじ話をするので、とくに読み返していただく必要はないが、聴いた直後、衝動的に「Go Live!」をテーマにしたnoteも執筆した。
水樹奈々は誰がどう見たって、夢を「叶えた側の人」である。
歌詞のなかで腐されているは、TVの向こうの水樹奈々自身だ。
もちろんそれは、彼女が積み上げてきた功績を無効化するものではない。
紅白歌合戦出場、東京ドーム単独ライブ、阪神甲子園球場単独ライブ──声優アーティストの枠組み自体を拡大していくような活動は、なんど賞賛されてもされすぎということはない偉業である。
そして上記のような偉大なる達成はすべて、水樹奈々自身が折りに触れて、「夢」として語ってきたことである。つまり水樹奈々は口に出した「夢」をほぼ確実に叶えてきた、ということになる。そういう意味で、僕は水樹奈々を「有言実行の鬼」と畏れをもって呼んでいる。
だからこそ、水樹奈々「夢は叶う」という言葉は単なるお題目ではなく、リアリスティックな現実認識としてそこにあるのだろう。
脇道が長くなってしまったが、歌詞のつづきはこうだ。
いっぽうで我々である。
「Go Live!」は僕のように水樹奈々を熱心に応援しながらも、彼女の「夢は叶う」イズムに対してどうしても懐疑的な目を注がずにはいられない「エキストラ」たちの視点に立った楽曲なのだ。
ではなぜ、水樹奈々がそういう視点を選択したのかはサビの歌詞を見れば明らかになる。
なんのことはない。
これまで「夢は叶う」という前向きなメッセージを放ちつづけてきた水樹奈々が、今度は僕のようなその世界観にノレない奴らをターゲットに絞ってきたというわけだ。
もう少し説明をすれば、なんらかの「夢」を持ちながらすでに挫折してしまった者たちに、水樹奈々はメッセージの焦点を絞っている。
そしてすごく痛いことを言えば、その場合「「夢」を持ちながらすでに挫折してしまった者たち」=「エキストラ」とは、つまり「僕」のことであると思っている。というか、そう思い込んでいる。だからこそ僕はこの曲に胸をえぐり取られるような衝撃を受けた。
そのことを理解してもらうためには、少し説明が必要だろう。少々、自分語りを失礼する。
僕には夢があった。それは「小説家になる」という夢だ。もう少し丁寧に書けば、「長編小説を書いて新人賞を受賞し、本を出す」という夢だ。
中学3年で友人のUくんに無理やり貸し与えたら夏目漱石の『こころ』を読み、小説のおもしろさに目覚めた僕は、高校3年をかけてたくさんの小説を読んだ。数学の授業中にミステリー小説に夢中になりすぎて、先生に怒られたことは一度や二度のことではない。
ちなみにいえば、水樹奈々にハマったのも同時期のことだ。高校2年のころに友人が貸してくれたベストアルバム『THE MUSEUM』を聴いて、僕は水樹奈々に魅了された。翌年、2010年春のライブツアー「LIVE ACADEMY」大阪公演にて水樹奈々ライブに初参加し、それから10年以上ライブ現場に通いつづけている。
「水樹奈々」と「小説」──。
それが僕の人生の二本柱になった。
そんなこんなで水樹奈々ライブに通いつつ、小説の世界に耽溺していた僕のなかにはじわじわと「自分も書いてみたい」という欲望がわき上がってきた。
だから大学進学を期に、試しに自宅のノートパソコンで小説を書いてみた。たくさん読んできてるからちょっとは書けるだろうと舐めてかかった。
書けなかった。それはもう圧倒的に、絶対的に、書けなかった。
短編ならまだしも、一般に10~15万字で構成される長編小説ともなると、最後まで書き上げて、物語にピリオドを打つことがどうしてもできなかった。
僕はここでいちど挫折した。
水樹奈々は元気に「夢は叶う」と歌いつづけていた。
その後も読書の趣味は継続し、ときたま「今度こそ書けるかも」と思ってはパソコンに向かい、真っ白なワードファイルをゴミ箱に放り込む──そういう過程をひたすらくり返してきた。いつしか僕は大学を卒業し実家の大阪を出て、東京で社会人になっていた。
そのころから水樹奈々の「夢は叶う」が重荷になりはじめた。
べつにそれでファンをやめはしないが、あんま夢は叶うと歌わないでくれないかな……と内心では思うようになっていた。
しかし、水樹奈々は新しい楽曲がリリースされるたび、新しいライブが開催されるたびに「夢は叶う」と歌いつづけた。それはもうしつこかった。僕にはそれがしんどかった。どんどんどんどん、うるさいと感じるようになっていった。
社会人になってからも、折りに触れて思い出したように筆をとってみるも、いくらでも時間があった学生時代に書けなかった小説が、忙しい社会人になってからいきなり書けるはずもない。ワードファイルはあいかわらず真っ白なままだった。
そして時は流れて2022年。世界中が感染症の脅威に晒されるさなか、水樹奈々は14枚目のオリジナルアルバム『DELIGHTED REVIVER』をリリースした。
「夢」のことなんて半分忘れてかけていた──いや、忘れようとしていた僕は「Go Live!」と出会った。くり返すが、最大級の衝撃を受けた。ドン刺さりしたのだ。
だからこそ大いに取り乱した僕は、前述したnoteをこんな風に締めた。
カッコつけたことを書いているが、僕はまんまと水樹奈々にやられて、「小説家になる」という「夢」を思い出した。リマインドされた。そして、もう何度目かになるかわからない「今度こそ最後まで小説を書くぞ」という決意を固めた。
そして失敗した。
あたりまえである。歌ひとつ聴いたくらいでいままでできなったことができるようになるくらいなら、人生とはなんとイージーなものだろう。
人生とはもっと地道な積み重ねがものを言う。
何度失敗しても、すぐに起き上がれるものだけが「成功」という果実をつかみ取れるのだ。
簡単な話だ。
僕はいつもどおりに水樹奈々に励まされて、いつもどおりに挫折したのだ。
いってしまえば、それは僕の人生においてよくあるルーティン。通常運転にすぎない。
だからこそ、2022年夏のツアー「LIVE HOME」で「Go Live!」が披露されたとき、僕はただひたすらに後ろめたかった。水樹奈々がAメロで煽るクラップを受けることも、曲に合わせて跳ぶこともできなかった。歌詞の言葉を受け流すように俯くくらいしかできなかった。
間違いなく気のせいなのだけど、「推しのケツを追い回して日本全国を飛び回っている場合か?」と暗に説教されているよう気さえした。
ついでにいえば、僕は「LIVE HOME」ツアーに全公演参加しているので、都合10回も水樹奈々より説教を受けたことになる。
そのときの僕は29歳──。
30歳はすでに目前に迫っていた。
そして30歳になるまでに長編小説を書き上げないと、もう僕は一生小説を書かないまま人生を終えるだろうなという予感がしていた。
いっぽうで新卒で入った会社にもすっかり馴染んで、このままダラダラと働きつづけながら推しのライブを楽しみに生きることも決してわるい選択ではないように思えた。これまでの僕の人生の傾向と対策から、なんとなくそうなるのではないかという気さえした。それが嫌だった。まだ嫌だと思えた。
なぜ嫌なのかを考えた。理由ははっきりしていた。
たぶん、これからも水樹奈々は「夢は叶う」と歌いつづけるだろう。
そのとき、僕はどういう気持ちでその歌を聞けばいいのかわからなかったのだ。
「俺には関係ないこと」「まあ所詮ポップスのありがちなメッセージだからさ」と受け流すこともできただろう。というか、どう考えてもそれが常識的な振る舞いだ。
しかし僕は10年以上も水樹奈々のファンをやってきて、彼女が本気で「みんなの背中を押したい」と考えていることを痛いほど知っている。MCで、曲で、パフォーマンスで見せる背中で、そのことを何度も語ってきた。僕は何度も励まされてきた。僕のnoteはほとんど「水樹奈々にこうやって励まされました感想文」だ。
だったら──!
僕は彼女のメッセージを正面から受け止めたいと考えた。
それにはいままでとおなじやり方で臨んでいては絶対に成功しない。
だからまず、タイムリミットを設定した。
それは、「30歳の誕生日である2023年3月15日までに長編小説を書き上げなければ小説家になるという夢を諦める」というものだ。
僕は僕の怠惰な性格を嫌というほど知っているので、瀬戸際まで追い込まないと動かないと確信していた。
そうして僕は2022年夏のツアーが終了してから、すぐにプロットを組みはじめた。プロットとは「物語の設計図」みたいなものだが、僕はいままで小説を書くときにいちどもこれを用意したことがなかった。理由は単純で、めんどうな手間をかけたくなかったのだ。
小説家のなかには事前にプロットを用意しない人もいる。僕もそっち側のタイプかもしれないと都合のいいことを考えていた。ただめんどくさかっただけなのに。唾棄すべきナマケモノ根性である。
同時に僕は通信制の小説講座を受講しはじめた。その講座は基本的な文章術や、プロット作成法などの内容が中心で、ひとつの映像授業を受講したあとに関連する課題を提出して、講師からチェックバックを受けるという方式だった。
これを利用すれば、苦手なプロット作成もなかば無理やり取り組めるのではないかと考えた。僕は僕の「やる気」や「気合」や「根性」をいっさい信用してないので、否が応でも取り組まざるをえない「システム」をつくることにした。
時は流れ、ツアーの夏が終わり、季節は晩秋。
僕は無事にプロットを完成させていた。しかし、ここからが本番だ。僕はまず2023年3月末〆切の大手ライトノベルレーベルの新人賞にターゲットを絞った。ここに原稿を投ずることを決めた。
誕生日が3月15日なので、ここがいちばんタイミングがいいというのもあるが、内容的にもライトノベルの新人賞が適当だろうと考えた。そのために2023年の2月末までに初稿を完成させて、3月いっぱいで改稿作業を行うことに決めた。
そして、2月末の初稿完成までに執筆スタート日から1日何文字くらい書けば規定枚数を確実に超える──つまり、長編小説の分量になるのかを計算した。その結果は1日1360文字。
僕はそのノルマを達成すべく毎日机に向かった。途中で新型コロナウィルスに罹患するなどで執筆が途絶えこともあったが、もともとかなり余裕を見たスケジュールを組んでいたので、無事に3月末に原稿を新人賞に投じることができた。
その原稿の出来はといえば、それはもう惨憺たるものであった。ほんとうにおもしろくなくて、自分で読み直していてゲロ吐きそうになった。しかしともかく、僕は29年の人生でいちども成功しなかった「長編小説の脱稿」に成功したのだ。
これは僅かだが、大きな大きな一歩だ。ゼロからイチには成功した。あとはイチをジュウにもヒャクにもセンにも育てていくだけだ。
"努力の天才”である水樹奈々も「Go Live!」の2番サビでこう歌っている。
水樹奈々は「努力」に「きぼう」とルビを振って歌う。
たしかに、僕が行ったわずかひと刻みの努力はたしかに「希望」の曙光を見せてくれた。
僕は30歳になっていた――。
そうして投稿した僕の人生初長編は、なんとびっくり一次選考を通過していた。「ほんとうにつまらない小説を書いた」と胸を張っていたので、正直これには驚いたし、むちゃくちゃ嬉しかった。
「どうせ一次落ちや」と思っていたので、選考結果を確認したのは発表があってしばらく経った2023年7月11日。季節はひと巡りして、2023年の水樹奈々夏ツアー「LIVE PARADE」は7月2日よりすでに開幕していた。
水樹奈々は今年もやはり「夢は叶う」と歌っていた。
僕ははじめて、「そうかもしれない」と思いはじめていた。
しかし、つい先日、僕が投稿した小説は二次選考であえなく落選した。一次落選だと思った自作が望外に二次に進み、欲が出た。だからちゃんと悔しかった。
だが、僕はすでに2作目の小説へと着手していた。今度のノルマは1日1298文字。水樹奈々のツアーは7月~9月頭までつづくが、その期間がまるまる執筆期間と被っている。だから僕は青森で、大阪で、福島で、熊本で、名古屋で小説を書いた。今週末は金沢で書くつもりだ。
本テキスト時点で執筆量は約5万字。10万字で完成だとすると、すでに半分までたどり着いている。
「水樹奈々」と「小説執筆」━━。
これが今年の夏の二本柱だった。
そんなこんなで充実した夏を過ごしているのだが、つい先日──8月13日に日本ガイシホールで行われた「LIVE PARADE」愛知公演2日目(全体では8公演目)にて驚くべき事態が発生した。
水樹奈々ライブでは通常、本編の後にアンコールで3〜4曲ほど追加で歌唱される。今ツアーでは曲目に入れ替えはあれど、合計で4曲が披露されていた。
しかしながら、この日はアンコール終了後も客電がつかず、なにかを察知した会場のオタクたちが猛然と「もう一回」コールを叫びはじめた。
それを受けて、ふたたびステージに舞い戻る我らが歌姫。そしてMCの後にされるのは、まさかの「Go Live!」。
水樹奈々のライブでは直近のツアーや単独公演で披露された楽曲は、超定番曲や直近の代表曲でもないかぎり次回公演では避けられることが多い。20年以上もわたるアーティストキャリアで「500」にも迫る持ち歌を擁するなかで、できるかぎり曲目が被らないようにセットリストを組むことは当然といえば当然の処置である。
だから2022年夏ツアーで披露された「Go Live!」が2023年1月に2daysライブを挟んだとはいえ、またすぐに今年のツアーで歌われるとは「夢」にも思わなかった。
それゆえ僕は脳が揺れるほどの衝撃を受けた。
同時に、去年のツアーでは「後ろめたさ」を感じた楽曲が今度は「共感」を持って受け入れている自分がいることに大いに驚いた。それに気づいたのと、目の前が涙で滲んでステージが見えなくのは、ほぼ同時のことだった。
間奏終わり、クライマックスのラスサビ前のフレーズの意味がこれまでずっとわからなかった。「夢と生きる」という言葉がどうにもしっかり来なかった。
いや、言葉自体の意味はシンプルでわかりやすいのだが、どうにも実感として受け取ることができなかったのだ。なぜなら、これまで僕は「夢と生き」たことがなかったから。
しかし、僕は1年越しのツアーで披露されたこのときになってはじめて、ようやく歌詞がすっと体内に入ってくるのを感じた。
僕は人生ではじめて長編小説を書き上げて、見事に落選した。
さすがに落ち込んだけれども、いまは元気に2作目の小説を書いている。
そう、いまの僕は叶えるべき「夢」とともに毎日を生きている。
そのために本を読み、映画を観て、小説を書いている。
僕は「夢と生きている」。
だからツアーにおいて、せっかく人生はじめての土地を訪問したとしても、ろくに観光ひとつできやしない。その時間があれば喫茶店かホテルで小説を書いている。
もったいない気がしないでもない。
しかし、そのことにたしかな充実感を覚えている自分もいる。
シンプルに言おう。楽しい。
「夢」はもちろん叶えるものである。
しかしながら、「夢」を携えて日々に張り合いをもって生きること。それはもうじゅうぶんに、人生を輝かせてくれる。
そういうことだったんですね。理解の遅い僕はようやくわかりましたよ、奈々さん。
そんなことを考えていると、またも僕は「Go Live!」で跳ぶことができなかった。ただただ棒立ちでおいおい涙していただけである。
だからこそ──。
僕の「夢」が叶ったら、そのときは心の底からジャンプし、身体を揺らし、大きな声で声援を贈ろうと思う。
その日が来るまで、僕は「Go Live!」を聴きながら小説を書きつづけよう。
よし、頑張るぞ。
・補遺
さて、水樹奈々は「Go Live!」を披露する直前のMCでこんなことを話していた。
・RUNNERで吹き飛ばされたバンテリンドーム、もう1回諦めずに立ち向かう。
・みんなと一緒に夢を叶えていきたい。
「RUNNER」とは2020年に開催される予定だったキャリア最大のライブツアー「LIVE RUNNER」のことで、そのファイナル公演はナゴヤドーム(現:バンテリンドーム)での水樹奈々初となる単独ライブが予定されていた。
しかし、コロナ渦においてツアー全公演の中止が余儀なくされ、水樹奈々の東海地区での初のドーム公演は文字通り、儚い「夢」となって消えてしまった。
しかしながら、水樹奈々はかならずしもリベンジを果たすとステージで約束した。そして水樹奈々は”有言実行の鬼”なので、僕はもう確実に実現するであろうと確信している。
そう。
水樹奈々もまた「諦めかけた」「夢と生きている」のだ。
いいや、水樹奈々のことだ。最初から諦めるなんて気持ちはさらさらなかったのかもしれない。
それでこそ、我が推しだ――。
(終わり)
・謝辞
本文内の水樹奈々「Go Live!」前のMCに関しては、terra氏(X:@llterra98)より情報提供いただいた。この場を借りて御礼を申し上げる。
また、terra氏のブログでは当日のMCの内容が詳細に記録されている。大変な労作となっているので、想い出を振り返りたい方や当日参加できなかった方は適宜参照するとよいだろう。