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僕はこうして、水樹奈々沼にハマった。いまだに抜け出せずにいる。


2009年10月。オタクは高校2年生だった。

北海道への修学旅行を終えた僕たちは、いよいよ受験に向けて、本格的に準備を開始していた。

僕が通っていたのは、関西のとある自称進学校

模試は河合塾や駿台ではなく、ベネッセ進研模試を重視するという、どこにでもある偏差値55前後の私立高校だった。

まかりまちがって、数年にいちど東京大学合格者がでると大騒ぎ。
わざわざOBとして学校に招いて講演してもらう、という、しょうもなくも、愛すべき我が母校。やたらと塾を敵視する我が母校。

当然、大学への進学実績は重大事だ。
おそらく、先生方の出世にも大きく関わっていたのだろう。

だから、彼らは一様にこう言う。

「楽しい修学旅行は終わったのだから、あとは受験勉強だ」

若く、愚かな僕たちもその言葉を真に受けて、勉強に邁進しようと誓っていた。

しかし、そんなときに、僕は出会ってしまった。
物好きにも、僕のnoteを定期的に読んでくれている読者の方々は、もうお気づきであろう。

そう、出会ってしまった。
水樹奈々に。

発端はなんだったのだろうのか。
今回はそんな話をしてみようと思う。
ちなみに、受験には失敗した。

その前に、ひとつの前提を確認したい。
地方の自称進学校にありがちなこととして、オタクが多いことが挙げられる。

我が級友たちもご多分に漏れず、昼休みには、今期の深夜アニメについて語り合っていた。

『けいおん!』『マクロスF』『化物語』あたりが、当時のトレンドだったはずだ。

しかし、僕自身は、熱心なオタクではなかった。
だから、クラスメートたちの会話を横目で聞いていただけだ。

そんな青春のある日のこと。
僕はコンビニで『日経エンタテイメント』を立ち読みしていた。

そこで、あるインタビューを読んだ。
そしてそれが、僕と水樹奈々との運命的な出会いであった。

たしか、声優初の西武ドーム公演を成功させたことへのインタビューだったはずだ。

僕はそのとき、水樹奈々を知らなかった。
そして僕は、当時、熱心なFMラジオのリスナーだった。
関西におけるJ-WAVEのようなチャンネルである、FM802をよく聴いていた。

ポップスに関しては、いっちょまえに詳しいつもりでいた。
だからこそ、まったく知らない歌手がドームをひとりで埋めていたことが衝撃だったのだ。

僕は水樹奈々に興味を持った。

しかし、その瞬間に、ファンになったわけではない。
「そんな人もいるんだなあ」と思っただけである。

しかし、ちょっと興味を持った僕は、クラスメートのオタクをひとりとっ捕まえて、「水樹奈々って知ってる?」と訊いてみた。

いま思えば、とんでもない質問だ。
「なあなあ、キリスト教の教祖は、イエスって人らしいで」とキリスト教徒に尋ねるくらい不敬である。

オタクは、もちろん、とやや憤慨して、1枚のCDを貸してくれた。
2007年に発売された『THE MUSEUM』というベストアルバムである。
僕はリスペクトを込めて、「ザ・バイブル」と読んでいる。
キリスト教徒との人、ごめんなさい。

ちなみに、このシリーズ、現在は第3弾まで発売されている。
旧約聖書と新約聖書とコーランだと思ってくれればいい。
代表曲が網羅されており、水樹奈々ビギナーにオススメだ。

ということで、オタク友人は僕に『THE MUSEUM』を貸してくれた。
僕はさっそくそれをMDに取り込んで、頭から聴いた。

「………………………………………微妙やなあ」

いま思えば、水樹奈々のアルティメットベストを前に、とんでもない話だが、当時のあるがままの感想である。

絶対的ライブアンセム「POWER GATE」にも、
押しも押されぬ代表曲「ETERNAL BLAZE」にも、
大きくは心を動かされなかったのだ。

いま分析してみれば、僕がアニソンを聴く耳を醸成されていなかったとか、そういう理由もあるだろう。
ともかく、当時の僕はそこまでピンと来なかったのだ。

こんなもんかあ。
なんや、大したことあらへんなあ。

そんな舐めた感想を抱いていた僕は、アルバムにもう1枚ディスクがあることに気づいた。

そう、『THE MUSEUM』には、DVDが付属されていたのである。
しかも、通常版に、である。
というか、そもそも『THE MUSEUM』には通常版しか存在しなかったはずだ。

このシリーズは先ほど申し上げたとおり、第3弾までリリースされているが、現在もこの形態は踏襲されている。

当時の僕は、自宅にインターネット環境がなかった
だから、映像として水樹奈々に触れることができるタイミングは、このディスクが初めてであった。

そして、それが結果的に、大きな意味を持っていた。
なにげなく、DVDを再生しはじめる。

真っ黒な画面に粉雪が降り注ぐ。
清廉なピアノの音が響く。
真っ白なドレスの水樹奈々。
目を閉じ、雪原に仰向けに横たわっている。

「Crystal Letter」だ。「Crystal Letter」のMVだ。


僕はこの瞬間、水樹奈々のオタクになった。

ありていにいえば、人生を踏み外した
もっとありていにいえば、その後の人生を決定づけられた

オタクという被差別民として生きていくことが確定したのである。

僕は気づけば、「Crystal Letter」のMVを25回再生していた。
完全にキマッてしまっている。そっとしておこう。

以上、僕が水樹奈々オタクになった瞬間について、振り返ってみた。
きっかけではない。瞬間である。

①「日経エンタテインメント」で見たとき
②CDを聴いたとき
③そして「Crystal Letter」のMVを観たとき。

僕は三度の水樹奈々との邂逅によって、オタクになった。
これが世に名高き、「三顧の礼」である。
諸葛孔明先生、ごめんなさい。

だから僕は、「Crystal Letter」については、非常に気持ちのわるい偏愛をいまだに抱いている。
初恋の人だからだ。いたしかたない。

どれくらいキモいのかといえば、ツイッターのIDは「@crystal7letter」だ。

大学1年の僕をぶん殴ってやりたい。

気持ちわるついでにもうひとつ書いておく。
好きが高じて、「Crystal Letter」の世界観を自分なりに解釈して、二次創作小説を書いたこともある。

これは、僕が墓場まで持っていくテキストである。
将来、僕の全集が発売されることがあっても、絶対に収録してはならない
おい聞いているか、親族。

いちおう、思想的なきっかけというか、僕なりにそうせねばならないわけがあったが、それはまたべつの機会に話そうと思う。

なんだか、オタクさんの気持ちわるい自己PRショーみたいになってしまった。

「Crystal Letter」のMVでも観て、寝よう。

僕が寝ている間に、お前らのオタクになったきっかけを、できるだけ気持ちわるく聞かせてくれ。

頼んだ。

(終わり)

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