人形は涙を流さない。/アニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』10話感想
・はじめに
『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』(2018)は京都アニメーション制作のTVアニメ。「自動手記人形」と呼ばれる代筆屋の少女、ヴァイオレット・エヴァーガーデンを中心に展開される群像劇だ。美麗な作画と、「手紙」が繋ぐ人びとの思いが胸を撃つ傑作アニメーションである。
そんな『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』のなかで、屈指の名作回である第10話「愛する人は ずっと見守っている」。人形遊びが好きな少女と病床の母の物語だ。ラストのラストで手紙により明かされる母の想いが見る人すべての涙を誘う。まごうことなき涙腺爆破回である。
遅ればせながら最近全話を視聴して、漏れなく僕もボロ泣きしてしまったわけだが、おいおい泣きながらひとつの疑問が湧いた。すなわち、
「こんな作品を象徴する大傑作エピソードをなぜシリーズの後半に置いているんだろう?」ということだ。
『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は全13話の1クールアニメであり、件のエピソードは第10話に置かれている。参考までに全話のエピソードリストを下記に並べてみよう。また対応する原作エピソードについても記述しておく。
第1話 「愛してる」と自動手記人形
(『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 下』2話「少年兵と彼女のすべて」)
第2話 「戻って来ない」(アニメオリジナル)
第3話 「あなたが、良き自動手記人形になりますように」
(アニメオリジナル)
第4話 「君は道具ではなく、その名が似合う人になるんだ」
(アニメオリジナル)
Extra Episode 「きっと"愛"を知る日が来るのだろう」
(アニメオリジナル)
第5話 「人を結ぶ手紙を書くのか?」
(『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝』1話「王女と自動手記人形」)
第6話 「どこかの星空の下で」
(『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 上』4話「学者と自動手記人形」)
第7話 「 」※空欄
(『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 上』1話「小説家と自動手記人形」)
第8話 *No title
(『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 上』6話「少佐と自動殺人人形」)
第9話 「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」
(『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 上』6話「少佐と自動殺人人形」および『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 下』1話「少佐と彼のすべて」)
第10話 「愛する人は ずっと見守っている」
(『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 上』2話「少女と自動手記人形」)
第11話 「もう、誰も死なせたくない」
(『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 上』3話「青年と自動手記人形」)
第12話 *No title
(アニメオリジナル)
第13話 自動手記人形と「愛してる」
(アニメオリジナル)
※ブルーレイ/DVD4巻のOVAとして収録されたエクストラエピソードも作中の時系列に応じて挿入しておく。
長々と書いたが、覚えておいてほしいのは第10話が原作上巻の2話にあたるということだ。ちなみに、原作1話はアニメでは第7話にあたる。娘を喪った作家の戯曲を代筆するエピソードがそれである(これも超好き)。
つまり、第10話は原作序盤のエピソードなのだ。
このことも頭に入れておいてほしい。
さらにこれら全体のシリーズ構成をエピソードのブロックごとに区切ってみる。あくまで便宜上ではあるが、これで「ヴァイオレットの物語」としてのアニメシリーズの見通しがよくなるはずだ。
第1話 「愛してる」と自動手記人形
第2話 「戻って来ない」
第3話 「あなたが、良き自動手記人形になりますように」
第4話 「君は道具ではなく、その名が似合う人になるんだ」
→「武器」として戦うことしか知らなかったヴァイオレットが、生き別れになった”使い手”であるギルベルト少佐から最後にもらった言葉「愛してる」の意味を知るために、代筆屋――すなわち、「自動手記人形」として独り立ちするまでの物語(導入編)
Extra Episode 「きっと"愛"を知る日が来るのだろう」
第5話 「人を結ぶ手紙を書くのか?」
第6話 「どこかの星空の下で」
第7話 「 」※空欄
→独り立ちしたヴァイオレットが各地を旅しながら、「手紙」やそれに準ずる書き物によって人びとの想いを届けていく物語(出張編)
第8話 *No title
第9話 「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」
→多くの依頼を叶え成長していくヴァイオレット。しかし、生き別れだったはずの少佐の”死”をきっかけに、自分がかつて殺めた多くの敵もまた誰かの「かけがえのない人」であったことを知り、ヴァイオレットが己の罪と罰に苦しむ物語(過去編)
第11話 「もう、誰も死なせたくない」
第12話 *No title
第13話 自動手記人形と「愛してる」
→ヴァイオレットたちが暮らすライデンシャフトリヒと、ガルダリク帝国の和平を望まない勢力による内戦と新たな戦争の火種に巻き込まれながらも、ギルベルトの兄・ディートフリートとの和解を通じて、ヴァイオレットが「愛している」の意味をほんの少し理解するまでの物語(戦争編)
便宜上ではあるが、1本の長編として物語を整理したとき、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は4つのブロックにわけることができそうだ。これまたわかりやすく僕のほうでそれぞれのブロックに適当に名前をつけると、「導入編」「出張編」「過去編」「戦争編」というような感じである。
そして、本テキストのテーマである第10話は第3ブロックと第4ブロックの間に位置している。しかし、あらすじは後述するが、第10話はお話の性質的に明らかに第2ブロック「出張編」にあたるはずだ。
むしろ、過去編でヴァイオレットの罪と罰に決着をつけたあと、本来の10話を飛ばして、戦争編で「不殺の誓い」を抱きながら和平反対派たちのテロに対処するという流れにしたほうが自然であるようにすら思う。
ゆえに僕は10話でぐずぐずに泣きながらも、冒頭の疑問点を抱いていた。くり返しておこう。
「こんな作品を象徴する大傑作エピソードをなぜシリーズの後半に置いているんだろう?」
言ってしまえばめちゃくちゃ美味しいエピソードを後半にとっておく。1話や3話切りが横行する現代アニメシーンにおいて、それはあまり有効な戦略だとは思えない。原作では2話に置かれているのだから、なおのことである。となると、なんらかのシリーズ構成的な意図があるはずだ。
その疑問の答えを見つけるため、僕は暁佳奈の原作小説『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』上下を紐解いてみた。そして気づいた。第10話の原作エピソードとアニメにおけるもっとも大きな相違点。その正体に思い至ったとき、先ほどの疑問点がきれいさっぱり氷解した。
もっといえば原作とアニメを比べてみて、どのエピソードをどういう順番で語るか。各話の脚本の精度はもちろんのこと、製作者サイドはそのことにもっとも注意を払っている。そのことがあきらかになった。
前置きが長くなった。
今回はそんな僕の気づきを共有しよう。
お付き合いいただけると幸いだ。
・彼女はなぜ人形のように佇むのか?
さて、ここからは『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』アニメシリーズ第10話「愛する人は ずっと見守っている」の内容をおさらいする。
その過程で、個人的に要注目のシーンやカットについて触れていく。
やや詳細にあらすじを語ることになるが、必要な措置だ。ご了承願いたい。
では、どうぞ。
病気の母・クラーラとその娘・アンのもとにある日、ひとりの自動手記人形(ドール)が訪れる。彼女の名前は、ヴァイオレット・エヴァーガーデン。今日から7日間、病気で手紙が書けないクラーラに代わって、代筆をするために親子のもとを訪れた。
人形遊びが好きなアンは、ヴァイオレットをひと目みるなり、「大きなお人形が来た!」と母に訴える。
ここで注意しておきたいのは、初対面の依頼者たちはこぞって、ヴァイオレットのその人間離れした美しい容姿や起伏の少ない表情を「人形のよう」と形容してきたという事実だ。
アンは幼い子どもなので、ヴァイオレットのことを「ほんとうのお人形」と信じている。一方で、これまでのエピソードで大人たちはくり返し「人形のよう」と表現を使ってきた。ここには、人形をめぐる意味のズレが存在している。
アンはヴァイオレットが郵便社から派遣されてきた自動手記人形であり、母が彼女に代筆の依頼をしたということを知り(とはいえ、この段階ではヴァイオレットが本物の人形であるという誤解はとけていない)、
「お手紙なら私が書いてあげるのに!」と反発する。
そして続けて「誰に書くの?」と質問をぶつける。しかし、母は「とっても遠くにいる人よ」と答えをはぐらかす。そしてそれは大事な手紙であり、母とヴァイオレットが手紙を書くサンルームに入ってきては駄目だとアンに言い聞かせる。
本エピソードは原作・アニメともに、アンの視点から描かれており(正確にいえば原作はアンの三人称一視点)、ヴァイオレットが「誰への手紙を代筆するのか」は視聴者にも明かされない。これが物語を引っ張る謎として機能している。
手紙の宛先自体はだいたい予想がつくが、それを「なぜ母はアンに隠すのか」などの動機がラストでサプライズ的に明かされる。謎と解決の構造による感動が、第10話を屈指の傑作回にしているゆえんだろう。
アンはヴァイオレットに反発する。しかし、体調不良で眠りにつく母の言いつけで、ヴァイオレットの相手をすることに。少女と自動手記人形は交流を深めていく。少女と”人形”の人形遊び。ふたりの奇妙で暖かな時間が降り積もっていく。
母はヴァイオレットの力を借りて手紙を書くが、アンがサンルームに入ることはやはり許されない。楽しそうなときも、涙しているときも、母が疲れからよろめいてしまったときも。感じる孤独。その様子を窓から覗くことしかできないアンは、しだいに寂しさを募らせていく。
クラーラとヴァイオレットはサンルームで手紙を書くが、そこにアンは立ち入ることができない。サンルームの内と外の隔絶が少女の寂しさの象徴になっていることに注意を配っておきたい。
ある夜、寝室にいるヴァイオレットにアンは疑問をぶつける。お母さんは7日もかけて誰に手紙を書いているの、と。「守秘義務がある」と淡々と回答を断るヴァイオレット。
母が手紙を書きそうな相手――お父さんは先の戦争で亡くなっている。
では、誰なんだろう?
『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の中で出てくる手紙は羊皮紙1枚くらいである。書くのにそこまで時間がかかるものではない。では、タイプライターを高速で使うヴァイオレットが7日間もかけて書く手紙とはいったい――。
母の体調はどんどん悪化していく。しかし、母は手紙を書いているとき以外は休んでしまっている。アンはヴァイオレットに「手紙を書いているとき私も側にいたい」と再度訴えるが、やはりここでもヴァイオレットはそれを許さない。サンルームの向こうへ消えていく人形。
手紙の執筆もクライマックス。夕日差すサンルームで手紙の執筆を急ピッチで進める母とヴァイオレット。疲れからか母は倒れてしまい、アンは思わずサンルームに駆け込み、「もうやめて!」と泣きながら訴える。それでも自分より手紙を優先しようとする母に対してアンは、
「お見舞いにも来ない誰かへの手紙は私より大切なのか」と怒る。
病気はよくならない。とっくにそのことに気づいていたアン。
「これからずっと独りになるなら、手紙なんて書かないでいま私と一緒にいてよ!」
アンは家を独り飛び出す。
アンの想いが胸を撃つ名シーンであるが、ここで注目したいのはヴァイオレットの表情と振る舞いである。感情的になるアン、娘にほんとうのことを言えない母、ふたりを側で支えてきたメイド。それぞれが理由は違えど、涙を流すなか、ただひとり無表情で佇んでいるヴァイオレット。
このシーンではヴァイオレットの足元のみを映すカットや、泣きじゃくるアンの後ろに無表情のヴァイオレットが映り込むカットなど、あきらかに彼女の「冷たさ」を示唆しているといえそうだ。
そう、その姿はさながら、「人形」のようで。
家を飛び出したアンを追いかけるヴァイオレット。彼女は泣きじゃくるアンに「お母様の時間を私が消費していることには意味があります」と言う。母を泣かせてしまったことを後悔するアン。ヴァイオレットは機械仕掛けの腕で彼女を優しく抱きとめる。
「どうして手紙を書くの?」
娘は問う。
「人には届けたい想いがあるのです」
人形は答える。
その後、無事に手紙を書き終えたヴァイオレットは親子のもとを去っていく。最後にヴァイオレットの頬にキスしたアンは、彼女が「人形」ではなく、「人間」であったことにはじめて気づく。
ヴァイオレットを見送りながら、アンは
「あの人が書いた手紙、読んでみたかったな」と述懐する。いったい母の手紙は、誰に宛てたものだったんだろう。
そして月日は流れ、母は旅立つ。
アンは母と暮らした家で己の人生を歩んでいく。独りになってはじめての誕生日。アンのもとに、一通の手紙が届く。なんとそれは、亡くなった母からのものだった。それから毎年、誕生日になるたびに母からの手紙が届けられる。その手紙を代筆したのは、あの不思議なお人形―――ヴァイオレット・エヴァーガーデンだった。
そう、あの7日間、母が病を押して懸命に書き綴った手紙は、未来のアンに向けてのものだった――。
母の真意を遅れて知ったアンは、涙を流す。アンは母の大きな愛に見守られながら、やがて家族をつくり人生を力強く歩んでいく。
・アニメで追加されたシーン
――とまあ、ここまでが原作の物語である。アニメのシーン準拠で記述は進めたが、おおまかな流れは変わっていない。もうこの時点で、頭が痛くなるくらい泣いてしまっていたわけだが、驚くべきことにアニメではオリジナルのラストシーンが追加されている。
そして、その追加シーンの存在こそが、僕は本エピソードを『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』のベストにあげている最大の理由だ。シンプルに言おう。めちゃくちゃに泣いた。
その内容はこうだ。
郵便社に戻ったヴァイオレット。長い出張の完了をいたわる同僚たちは、ヴァイオレットが7日間で書いた50通(50年ぶん!)もの手紙に驚きを隠せない。
しかし、ヴァイオレットの表情は浮かない。しまいには表情の起伏が少ないはずの彼女が、滂沱の涙を流しはじめる。
手紙が届くころにはもう母はこの世におらず、お母さんのことが大好きでしかたがない寂しがりやの娘は、ひとりお屋敷に残されてしまう。そのことがたまらなく悲しい。
仕事中は無表情に見えたヴァイオレット。なんのことはない。
ヴァイオレットは――泣くのを必死に我慢していたのだ。
・「兵器」だった「人間」は「人形」のフリをする
以上、長々とあらすじを語ってしまった。
結論を申し上げれば、僕はこのエピソードを第10話という後半ブロックに置いたわけは、アニメオリジナルのラストカットにあると思っている。
つまり、アンの視点で物語を観ていた視聴者は、努めて無表情のヴァイオレットを観て、こんな感慨を抱くかもしれない。すなわち、
「なんか序盤のヴァイオレットっぽいな」と。
TVアニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は冒頭で確認したとおり、1~4話で「兵器」だったヴァイオレットが一人前の自動手記人形になるまでを描いている。
最初は軍人のような振る舞いしかできず、手紙も「報告書」のようにそっけない形でしか書けなかった彼女。ときには「あんたってほんと人の気持ちがわからないのね」と呆れられることもあった。書いた手紙でクライアントを激怒させたこともあった。
しかし、ヴァイオレットは決してめげない。ただ、少佐からかけられた「愛してる」という言葉の意味を知るために。そんな彼女はドール育成学校の学友の手紙を代筆したり、郵便社の同僚の想いを伝える手紙を書く経験をへて、しだいに立派なドールへと成長していく。
そして、エクストラ~7話の出張編ではさまざまな人間模様を、人生を、その目で見届けていく。さらに8~9話の過去編では自分がやってきた罪とも向き合う。そんな人生経験を経たヴァイオレットはすでに「兵器」ではない。人間なのだ。
だから、母と娘の物語を間近で見たヴァイオレットは、もうすでに心のない「人形」ではないのだ。悲しいできごとに心揺さぶられるひとりの「人間」にすぎない。
つまり、ラストシーンでヴァイオレットが流す涙は、これまでのできごとを通じて成長してきたヴァイオレット”だからこそ”流せる涙なのだ。試練と成長を積み重ねた結果としての涙なのだ。
しかし、すべてを知っているヴァイオレットは、娘に対して必死で無表情を装う。なにもかも、母の想いを遂げさせるため。すべてが終わったあと、ヴァイオレットが流す涙の、なんと人間的なことか! なんと美しいことか!
・まとめ
母と娘の物語として、短編でも胸を打ち貫く傑作エピソードを、さらにヴァイオレットの成長物語に重ね合わせて長編的な意味を持たせる。
それゆえに、第10話に置く必要があった。第10話に置くしかなかった。
原作では上巻の2話に置かれているが、この段階ではヴァイオレットの過去はほとんど明かされていない。ゆえに、仮にアニメのようにラストにヴァイオレットが泣いたところで、アニメほどの感動を呼び起こしはしない(もちろん、それが原作としての魅力を一ミリも失わせるものではない)。
これぞシリーズ構成。
1クール13話という激しい制約がある中で物語を展開する意味。意義。
素晴らしすぎる。天才かよ。天才だな。
いったい、この「順番」を考えたのは誰だ。やっぱり、シリーズ構成の吉田玲子か。ほんとうに、ありがとう。
大傑作だと思います。
オススメです。ネットフリックスで観れます。
劇場版の配信も楽しみ。
・あとがき
思いのほか長文になってしまったが、僕なりのコンテンツへの愛の伝え方は「長い文章を書くこと」であるからしかたがない。
それは僕にとっての長い長い手紙なのだ。
それこそ、7日では書けないほどの。
(終わり)
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