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空想と現実の向こう側 #野心日記 2

前回の野心日記を公開した翌日、私の中にじわじわと後悔が押し寄せていた。

なんであんなこと言っちゃったんだろう…
「完成したらきっと面白いものになるはずだから」なんて… 大言壮語にも程があるっしょ。

私に面白い物語なんて書けるわけないのに…と、書いてもいないのに「書けるわけない」と思ってしまういつものネガティブなアレの思考に陥る…。

そういうときは手と思考を動かしたらいいって前回の私が言ってたよ。
それでもダメなら筆を置いてインプットに徹したらいいって、前回の私が言ってたよ。
それかいっそ、思いきって何にもしないでぼぉーっとしてみるか。
ほら、多分だんだん何かしたくなってくるでしょ。

自信なんて一生ないけれど、書いてる間だけは自分を信じられる気がするから。だから書くんだ。それだけが理由じゃないけど。

あー、それにしても何であんなこと言っちゃったんだろう…(無限ループ)


✳︎


前回、筆と思考が止まって「自分には無理だ」と思ってしまう原因のひとつとして、「自分の力量に対して登場人物が多すぎる」と書きました。

登場人物が多いってことは、書き分ける技術が必要ということですよね。
「この人だれだっけ?」と読者を混乱させないように。
「腕も経験もない素人がついやってしまいがちな、やってはいけないパターン」に見事にはまってしまっている気がします。あちゃー。
とはいえ、「生活を立て直したい!→小説を書いて賞金を手に入れよう!」という発想に至ったスタート時点でだいぶ考えることがおかしいので、今さらですけど…

登場人物の分だけ、生い立ちや題材となるものがあるわけですが、私はそのひとつひとつに対する専門家でもなんでもありません。
趣味は多いけど…専門家並に極めた何かがあるわけでもありません。

「ここでこれを使いたい」そう思っても、私はそれに対する知識がないのです。どうしよう。
適当なことを書くわけにはいきません。小説はフィクションだけど、たとえファンタジーものや現実逃避ものであってもある種のリアルさが欠けると物語にも登場人物にも説得力(面白み)が無くなってしまう気がするから…(と、ど素人が申しております。これも初心者が陥りやすい思考だったりして…)
全然うまく言えないんだけど… 伝わるかなぁ…

『扱いたい題材に関する知識や経験が浅い』
これもまた、自分に限界を感じて「無理だ…」と諦めてしまいそうになる原因のひとつです。

じゃあ、どうしよう?
調べる?どこで?なにを使って?どこからどこまで?
ひとつの題材について調べるだけでも果てしないのに、登場人物が多いとなると余計にきりがない。これじゃ、小説を書き上げる以前にエネルギーを使いきってしまう…。
体力も、時間も、全然足りないよ…。

その道の人に突撃インタビューしてみる?
いやいや、すでに実績のあるプロならまだしも私みたいな無名の人物がいきなり「小説の題材にしたいのでいろいろ教えてください!」なんて言って教えてくれます?
教えていただく対価として差し出せるものも何もないような人間に。きっとまともに相手してもらえないですよね。

じゃあやっぱり自力で調べるなりしてなんとかするしかないなってなる。
当然、アシスタントさんなんていないから情報収集にしたって一人でしなきゃなりません。孤独…


物語だったり、歌詞だったり、創作をする人たちが「自分の経験したことや知っている感情についてしか書けない」と語っているのを時々見かけます。
私もおそらくそのタイプで。経験したこと、知っている感情についてしか書けないです。
とはいえ、私が30年そこそこの人生で経験して感じてきたことなんてたかが知れています。
教養だってそんなにないし、世間知らずだし、いろいろ欠陥しているし(←ネガティブな感情からではなく、極ナチュラルにそう思っています。自分を攻撃する意図はないので心配しないでね)

例えば、恋愛経験が多く酸いも甘いも経験してきたような人が書く恋愛小説は、それはそれはリアリティに溢れていて人の心を揺さぶると思います。

野球を長年続けてきた人が描く野球漫画は、野球そのものの描写に長けているのはもちろん、仲間と何かを成し遂げる喜びや挫折や栄光(友情・努力・勝利)といったドラマ的描写もきっとリアルで、野球が好きな人だけにとどまらず多くの人に感動を与える作品になり得ると思います。

そう考えると、実体験って何よりの強みだなぁと思うわけです。

実体験と言えば、私のnoteでも何度かご紹介しているkeiさん
ご自身の摂食障害の経験をもとに、克服のためのヒントや情報を発信しておられます。が…
私、実はつい最近まで盛大に勘違いしていたんですよ…

keiさんが毎日更新されている『摂食障害の長い長いトンネルを抜けて』シリーズ。

私はこのシリーズを途中から読み始めている(いつか遡って全話読みたい)のですが、ずっとkeiさんの実体験に基づくエッセイだと思い読んでいました。
でも、読み進めていく中で次第に「あれ?もしかして…」と思うようになり、ついに100話目。寄せられたコメントとその方のnote記事で確信しました。
エッセイではなく、小説。物語なのだと…。

そうと気付かず、今までトンチンカンなコメントやご紹介の仕方をしていたかもしれません…。大変失礼いたしました。
(実は最近、似たような勘違いを他にも起こしてしまっております…)

でも、すごくないですか?
本気で実話だと勘違いしてしまうほど、リアリティに溢れてるってことなのだから。
摂食障害の当事者ではない(?)私でも、ぐいぐい引き込まれるのです。

自身が摂食障害の当事者であり、摂食障害と戦い、長い長いトンネルを抜けてきたkeiさん。
その経験を活かし今は光を届ける側として、筆を取っているのです。
だからこそkeiさんの文章には伝わるものがあるし、リアリティもあるのだと思わずにいられません。

やっぱり、実体験って何よりの強みだよなぁ…。
それじゃ、自分が経験していないことについて書くのは無謀なのでしょうか?

将棋を題材とした漫画『3月のライオン』を描かれている羽海野チカ先生は、「将棋のことまったく分からないけど描いてる」のだそうです。
(※将士の先崎学さんや田中誠さんの監修あり)

羽海野 なんでもわかってる人が描いてるふうに描くのが上手で、何もわかってないのに描いてるんですよ。これで大丈夫なのかなと思うんですけど、大丈夫みたいで。将棋もまったくわかんないのに描いてるんですよ。いまだになんにもわかってないんですよ。
(リンク先より引用)

びっくり!
だって、読んだことある方なら分かるかと思うのですが対局シーンとかとてもリアルだから(て言っても私も将棋のこと全然分からないんですけど…。あと、3月のライオンも10巻と11巻しか読んだことなくて…なのにこんな例に挙げてしまって申し訳ないのだけど…)

――ホントに何もわかってないんですか?

羽海野 生きている人間相手にあまり指したことないぐらいの。3年間勉強期間を置いたのに、難しすぎて何もわからなかったのに、連載が始まってしまいまして……。でも、『月下の棋士』の能條純一先生が将棋を指せないけど描いてらしたって聞いて。あと、梶原一騎先生も野球やったことなくても『巨人の星』を書いたって聞いて、じゃあ大丈夫だと思って。
(リンク先より引用)

プロの方にこんなことを言うのは失礼かもしれませんが、なんだか勇気をもらえます。
そっか、分からなくっても大丈夫なのかなって…(だからって何もせずに書けるわけはないので、自分なりに勉強はしなきゃですが。羽海野先生ですら3年の勉強期間を設けているのに、私があと1年やそこらで書けるのか…)

もうひとつ例を挙げると、漫画『HUNTER×HUNTER』の「キメラアント編」に登場する軍議(漢字これでいいのかな?)という盤上ゲーム。あれ、実在しないんですってね。それもびっくり。
物語のために、実在しないゲームまで誕生させてしまうなんてすごすぎませんか?
当然軍議のルールなんて分からないけれど、対戦シーンは観ていてとても引き込まれる。

私はアニメの方しか観てないんですけど、ハンターハンターいいですよね。
最初は夫に誘われてしぶしぶ観てたのですが、コムギちゃん出てくる辺りから目が離せなくなってしまって、家事とかお手洗いで一旦抜けるときも「ちょっと止めてて!」と夫にお願いするほどまでに。
キメラアント編のラスト数話は夫婦で号泣しながら観ました。
ハンターハンター自体まだ連載中ですしキメラアント編だけでもかなりの長さがあるので気軽におすすめはしづらいけど、個人的にはかなりオススメです。
これだけの長編の物語を描き上げる冨樫義博先生の頭の中は一体どうなっているんだろう。

3月のライオンにしてもハンターハンターにしても、将棋や軍議のリアリティはあくまで物語に説得力を添えるためのもので、メインはやっぱり登場人物たちの人生ストーリーだと私は思っています。
だから、将棋や軍議のルールが分からなくたって面白い。
リアリティも大事だけど、やっぱり読んでて「面白い」って思ってもらえるのがいちばんいいなぁ。
知識やリアリティでガチガチにしちゃうと、ただの参考書やドキュメンタリーになってしまう気がするし。

私も、小説を通して人を、人生を描きたい。
リアリティや知識はあくまでもその人生(物語)に説得力を持たせるためのもの。

物語の主役は、言うまでもなくその物語の登場人物たちなわけで。書いている自分自身ではなくて。
私の実体験を基にしたり、31年の人生で観て聴いて感じてきたことをフル動員して書くつもりではあるけれど、小説は「自伝」ではないから。
言い換えると、小説は私にとって「私の思い」を伝えるためのツールではないのかなと思っています。

私は、監督みたいなもの…かな?
頭の中で登場人物たちが動いて、会話しているから
私はそれをカメラに収めるかのように文字に起こしていく。ずっと、そんな感覚で書いている気がします。
より彼ら彼女らの魅力が伝わるように描写して、編集して、組み立てていく。
普段エッセイもどきばかり書いているのでとてもとても難しいけれど、新鮮で楽しいです。

魅力的で愛おしい登場人物たちを、読み手にも愛してもらえるように描く。それが私の役割で、今やりたいことな気がします。


紙とペン(スマホやPC)があれば、文章は書けます。
文章を書くって、一見するとなんてコストパフォーマンスのいい趣味なんでしょう。

でも本当は皆さん目には見えにくい部分でたくさんお金を投資していると思うんです。
より思考を深めるために、より伝わるように、説得力を添えるために、時には本を買い、時には何かの講座に参加してみたり、実際に体験してみたり。他にもいろいろしてると思うんです。
私は本当にお金が少ないのであんまり自己投資できていないけれど、それでも小説を書こうとしなければ必要なかったはずの出費がいくつもありました。

これだけ地味にお金をかけて、時間もかけて書いても結果が出るとは限らない。
そう考えると文章を書くって、なんてコストパフォーマンスに欠けた趣味なんでしょうか。

それでも続けていたら、何十回に一回、何百回に一回くらいの確率であり得ないような嬉しいことが現実に起こってきました。何ものにも変えられない宝物みたいなことが。

だから、もしかしたら…って何度も夢見てしまうんです。
「楽しみにしてます」そう言ってくれた人たちにいつか届けられる日を、思い描いてしまうんです。

誰に頼まれたでもなく私が好きで始めたことだけど、心が折れそうになる度に
「楽しみにしてます」「応援してます」
そう言ってもらった言葉のひとつひとつが、つづけるための何よりの理由とエネルギーになっています。本当に感謝しています。
文章を書くのはとても孤独な作業になりがちだけど、私はひとりじゃないんだね。

リアルでもそうだし、ネットでもたまに人付き合いに疲れちゃったな〜って思うことがあります。
誰の目も気にせずひとりで書いてた頃に戻りたいなぁって思うこともあるけど、ひとりだったらきっとここまで来られてないし、この先にも行けないと思う。
まだ見たことないような景色、たくさんの人と一緒に見たいな。



【おまけ】
とある日のひとこま

この間、「廃墟からやって参りました」みたいな佇まいのバスが公道を走っていて目を奪われた。
あれはそういうデザインなのか、それともリアルにそうなってるのか。
いずれにしても物語が始まりそうな雰囲気を纏ったバスだった。
あの日以来全然見かけないけれど、いつかもう一度目撃できたらいいな。

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