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出会った頃のときめきで、何度だってまた出会えるよ

9月29日にポケモン公式YouTubeチャンネルで公開されたスペシャルミュージックビデオ「GOTCHA!」と、BUMP OF CHICKENによる書き下ろしテーマソング「アカシア」のタイアップ。
もうご覧になりましたか?

まだの方は是非こちらから。

映像は9言語の歌詞字幕付きで全世界一斉公開されたとのこと。

楽曲「アカシア」は、キラキラしたサウンドが冒険のワクワク感とか胸の高鳴りを感じさせてくれる。
でもどこかノスタルジックで切ない面も持ち合わせているように思う。

MVは、ポケモンの長い歴史が3分程の映像の中にぎゅぎゅっと詰め込まれたファンにとっては胸熱な仕上がりになっている。

…らしい。
なぜ、「らしい」なのかというとこれは私がSNSなどで見た他人の感想であって私の感じたことではないからだ。

できれば私もポケモンファンの方々が「ここがこうなってこうでアツい!」「これってあれだよね!?」みたいに、あちこちに散りばめられている粋な演出を見つけてはうぉぉぉ〜!って盛り上がるみたいに、その感動を共有したかった。

でも私の中には、粋な演出に気付けるほどのポケモンゲームの知識と経験値がなかった。
(あと、くるくるとシーンが切り替わる映像の中から情報をキャッチする動体視力も。考察してる方々すごすぎませんか…?)

私は、ポケモンのゲームを一度もクリアできたことがない。
初代の赤バージョンを持っていたものの、楽しみにしていたタマムシシティ目前でゲームがバグってしまって、電源を入れてもすぐにゲームが落ちるようになってしまった。
カセットやゲームボーイ本体の差込口に何度もフーフー息を吹きかけてみたりしたけれど、バグは治らず…。

そのときからずっと、私はポケモンのゲームを最後までクリアできたことがない。

いわゆるポケモンゲーム「ガチ勢」と呼ばれる方々の考察のおかげで、私のような者でもMVに込められた感動に少し触れることができている。ありがたい。

でも、願わくばその感動を自分でも「解りたかった」
もっとちゃんとゲームしておくんだったなぁ…。

とはいえ、私にとって「ポケモン」は間違いなく青春だった。
私がポケモンに出会ったのは小学2年生のとき。
クラスの子たちが休み時間に広げていたポケモン151ぴきが載ったポスターのようなものを見て、ピカチュウのかわいさに心を奪われたのがきっかけ。

当時スマホは存在しておらず、パソコンさえもまだ触ったことのない年齢。
「ポケモン」って名前を覚えて帰って親に話したりしたのかな。
それからゲームをねだったりして、少しずつポケモンの世界に触れていったんだと思う。

アニメも1話からリアルタイムで見ていたし、映画ミュウツーの逆襲も観に行った。
てのひらピカチュウや等身大ピカチュウのぬいぐるみ、ポケモン図鑑、ボードゲーム、ポケットピカチュウ(万歩計)などのおもちゃやグッズもたくさん買ってもらっていた。お父さんお母さんサンタさんありがとう。
ポケスペ(漫画)にもはまったなぁ。

ポケモンごっこやポケモンの工作もたくさんしたし、ピッピの絵を描いてそれを枕の下に敷いて寝たりもした。
「プリンの歌」をがんばって耳コピして、リコーダーで吹いてみたりもした。
夏休みのお昼になると、近所の子たちと一緒に500円玉を握りしめてマルショク(スーパー)へポケモンパンを買いに走った。あの貼って剥がせる独特な質感のシールが好きだったな。
庭の雑草をひっこ抜いたらナゾノクサが出てくると思っていたし、キャタピーにそっくりなイモムシや、バタフリーにそっくりな蝶々を見つけてはときめいた。

ポケモンはこの世界のどこかに本当に存在するはずと思っていたし、10歳になったら私もポケモン探しの旅に出るんだ!と本気で思っていたあの頃。

ポケモンといえば、女性キャラクターのかわいさも特筆すべきところ。 
例えば初代ジムリーダーのカスミ、エリカ、ナツメ。3人それぞれ違う魅力があってかわいい。

近所の子たちとポケモンごっこをして遊ぶとき、私はいつもナツメ役だった。

当時は「真似しないで」というのが流行って(?)いて、誰かが持っているおもちゃや好きなものは後からマネして買ったりしないで…!というルールのようなものがあった。
それはごっこ遊びの役決めにおいてもそうで、役が被るのはご法度。
よく一緒に遊ぶメンバーのうちひとりはカスミが大好きで、ひとりはエリカが大好きで、だから私はナツメが好きということにしていた。

いや、ナツメ好きですよ。
アニメ版で、最初は全く笑わなかったナツメがジムリーダー戦の最後にお腹かかえて笑ってるシーンとか当時めちゃくちゃキュンとしたもん。
超能力者っていうのもカッコイイし、ナツメのパートナーポケモン、ケーシィだってかわいいし。ナツメかわいいよ、好きだよ。

でも、カスミとエリカもかわいいんですよ。
ナツメ好きだけど、カスミやエリカになりたい日だってあるんですよ。

私が小学4年生という比較的遅めの年齢にスイミングを習いたいと言い出したのも、表向きは「魚みたいに自由に泳ぎたいから!」ってことになっていたけど、本当はアニメでカスミが人魚姫になる回をみて憧れを抱いたからだし。
カスミの髪型も、こっそりマネしてみたりした(あれ再現するのは難しいよね)

小学校のクラブ活動で茶道クラブや花道クラブに所属してみたことがあるのも、エリカへの憧れからだし。
たまたまテレビCMで見た「なかよし」の付録のコロンが欲しくて親にねだったこともあった(エリカといえば香水)
普段、雑誌は「小学◯年生」派だったから「なかよし」を欲しがる私を親は珍しがっていたけれど。

結局私は気持ちを隠したまま、ナツメがいちばん好きということで通した。

ポケモンが世界のほぼ全てと言っても差し支えないくらいに、ポケモンに影響を受けまくっていた小学生時代の私。

そんな私も中学生になる頃には一旦、ポケモンを卒業した。
そして、中学生になった私が出会ったのがBUMP OF CHICKENだった。

「音楽」といえば童謡や学校の授業で習うような曲しか知らなかった私が初めて好きになったアーティスト。
それはそれはのめり込んだし、以来ずっと私にとって「好きなアーティスト」として一番に掲げる存在。
きっと一生好きでいられるだろうなと、強く思えた音楽。

BUMPについてはいずれまた「はじめて買ったCD」のタグでも書きたいな〜と、タグが発表されたときから思っている。まだ途中。他にも書きたい文章がたくさんありすぎて、渋滞中。

ポケモンはめっきり卒業したと思っていたけれど、夫と出会ってからまたポケモンにも触れるようになった。
夫は毎年ポケモンゲームの新作が出る度に2バージョンとも買っていて、一つは自分で、もう一つは私にプレイするように渡してくれた。

絶賛子育て中の私は、ゲームとかしてる余裕ないよ!と思いつつせっかくなのでプレイしてみる。
すると昔のワクワク感とかよみがえってきて、ゲームも育児の息抜きになって楽しいかもと思えた。

でもやっぱりどれも最後までクリアはできなかった。
バグったからじゃなく、日々の忙しさに流されてだんだん遊ばなくなってしまうのがいつものパターンだった。
ブラック&ホワイトバージョンはけっこういいところまで行ったんだけど… 結局クリアできなかったなぁ。
(私が今までの人生で最後までクリアできたRPGはドラクエⅤだけです)

画像は昔プレイしていたブラック&ホワイトバージョンより。
※一応、こちらを参考にしつつ添付しました→ ネットワークサービスにおける任天堂の著作物の利用に関するガイドライン

もともとゲームがあんまり得意ではないっていうのも関係してるのかな。
強さを極めたり、図鑑を埋めたりするよりもどちらかというとストーリーを楽しむタイプ。難しい操作や謎解きがあると詰んでしまう。

今では専ら夫がプレイしているゲームを横で眺めてストーリーを把握するだけのひとになっている。
もちろんずっと付きっきりで見ているわけにはいかないので、ネットでの考察やネタバレを見て情報を補完しながら。
(自分で考察するのは得意ではないけど、故に?他人の考察を読むのは好き)

わが家には任天堂スイッチがないので、DSでプレイできなくなってしまったソード&シールドバージョンは夫も購入していない。
夫もこのままポケモン卒業してしまうのかな… と思っていたら、小学生の息子が最近になって過去作ウルトラサン&ムーンバージョンをプレイしている。
カードゲームにもはまっているし、誕生日にはポケモンのぬいぐるみが欲しいと言っている。

そうか、息子とポケモンの物語が始まったんだな。
それをちょっと懐かしそうに見守る、親になった自分。不思議だな。

娘はまだゲームはしないけれど、キャラクターの可愛さには夢中。
世界中の子どもから大人までの心をつかんで離さないピカチュウのキャラクターデザイン、すごいな。

自分が子どもの頃好きだったものを、自分の子どもも好きになるってなんだか不思議。でもワクワクする。

正直、ポケモンがこんなに長きにわたって愛される存在になるとは思っていなかったけれど、世代や国境を越えて人の心を掴むってすごいこと。

そういう意味では、今回楽曲を提供したBUMP OF CHICKENもポケモンに近いものがあるのかもしれない。
世代や、国境を越えて愛され得る存在。

個人的にも「青春」の象徴とも言える2つが今こうして交差したことは、とても夢があると思う。

ポケモンとBUMPが24周年同士というのも、なんだか縁を感じてしまうな。
24年前はきっと、こんな未来想像もしていなかった。人生って何が起こるかわからない。

大人になってくにつれて、遊ばなくなったゲームや手離したおもちゃ。
少しずつ忘れてしまうこともあるかもしれないけど、でも記憶のどこかでずっと側にいたんだな。
だって今こうして、あの頃の記憶が宝石みたいに輝き出している。
出会った頃のときめきを、思い出せる。

今回初めてBUMPの楽曲に出会った子どもたちが、大人になったときにまたBUMPの音楽に触れる未来とかも想像してしまう。

大好きな音楽だって、少しずつ聴かなくなったり届かなくなったり、遠ざけてしまうこともあると思う。
でも多分、近くに感じられないときでも心や記憶のどこかには居てくれて、それはふとしたタイミングで何度でもまた煌めきながら届くんじゃないかな。
そんな気がする。

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