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Don't Look Back In Anger と プリキュア、そしてワンピース


“正しく怒れる”ことに憧れている。
それと同じくらい、怒りや憎しみを伝播させないことも大切にしたいと思っている。

……これは、私の中に存在するちょっとあべこべで、でもつじつまの合う感情です。
そんな、相反する二つの感情に直面するたびに
「私はどうしたらいいんだろう?」「そもそも正しさって何だろう」とぐるぐる悩んできました。


ある日、ふと目に留まった

“don't look back in anger”

イギリス出身のロックバンド Oasisの曲のタイトルでもあり、その曲の一節でもあるこのフレーズ。
日本語に訳すと、「怒りに任せて過去をふりかえらないで」「過ぎたことに怒らないで」「つらい思い出にしないで」……みたいな感じなのかな。

マンチェスターでのテロ事件(2017年5月22日)の追悼式の際、その場にいた一人がこの曲を歌い出し、それがまわりにも伝播して大合唱を巻き起こした…… というエピソードがあります。


アリアナ・グランデのライブ終演後に会場付近で起こったという痛ましい爆発テロ。
やり場のない悲しみや怒りの渦中にあるであろう当事者たちからこのフレーズが唱えられたという事実には、いろいろな感情を抱かざるを得ません。

怒りや憎しみを連鎖させないことの、大切さ。
テロ事件後、アリアナ・グランデが発表したメッセージにも通じるものがあります。

“私たちは立ち止まらないし、恐怖に屈することもない。このような事件によってバラバラに分断もされない。憎しみには支配されない。

今回の暴力に対して私たちがすることは、より強く結束して、助け合い、愛し合い、もっと大きな声で歌って、より優しく寛容な心で毎日を過ごすことです。
各記事より、一部要約

『Don't Look Back In Anger』についてOasis側は、もともとは恋愛について書いた曲で、歌詞に特に意味はない…… と語ってもいるようですが、それでも。

怒りではなく、愛でもって未来へ立ち向かうということ。
“過ぎたことにとらわれず前を向いて生きていこう”
というメッセージは、聴く人や状況によって柔軟に形を変えて、国境さえ越えて響くものがあるのだろうなぁと思うのです。


私はというと、このフレーズを聴いたとき脳裏に浮かんだのは、尾田栄一郎さんの漫画『ONE PIECE』(以下、ワンピース)のとあるエピソードでした。
(※内容に触れます。10年以上前に刊行された巻ですが、これから初めて読む人もいると思うので一応ネタバレ注意です)


ワンピースの61巻〜66巻(598〜700話)における「魚人島編」にて、リュウグウ王国の王妃であるオトヒメが狙撃に遭い、死の間際に語った言葉。

犯人が… どこの誰であれ
私の為に怒らないでください…
私の為に怒りや憎しみに取り込まれないで……
ONE PIECE 巻六十三(626話)“ネプチューン3兄弟”より


オトヒメ王妃の信念や精神性がよく表れているこの言葉は、娘である しらほし姫にも受け継がれました。

しらほし姫はとても臆病で泣き虫で、主人公のモンキー・D・ルフィから「弱虫」または「よわほし」なんてあだ名で呼ばれていたりします。
でも本当は…… 実母の命を奪った犯人が誰かを知りながら、10年もの間ずっと、誰にも言わずその事実を抱え込んでいた…… という事実が後に明らかになるのです。

お母様と交わした… 最後のお約束なのです………!!!
犯人様がどちらのどなたでも
決して憎んではいけないと………!!!
ONE PIECE 巻六十四(632話)“知ってた”より


犯人が誰かは知っていた。でも、それを他人に言えば誰かが犯人のことを憎んでしまうかもしれない。それではお母様も悲しむ。お母様の意志に反する。
だから誰にも言わず、一人でずっと抱え込んでいた……

しらほし姫の涙の重みにハッとすると同時に、彼女の心の強さや愛の深さに気付かされるシーンでとても印象に残っています。
(ルフィもそんなしらほしを見て、「思ったより弱虫じゃなかった」と認識を改めているほど)

ワンピースは今も連載がつづいていますが、私はいつからかずっと読めていません。
読んだ分に関しても、10年ほど前に夫から借りて一度読んだきり。
内容もほとんど忘れてしまっていて、深く語れるほどの知識や熱量は持ちあわせていません。

それでも、人魚島編のエピソードと特にオトヒメ王妃・しらほし姫の台詞は読んだ当時から深く印象に残っていました。なんでだろう。

多分だけど、自分の精神性(大切にしたいこと)に近いものを感じて、深く共感したからじゃないかな。
まだ、自分の中でうまく言葉にできずにいた新芽のような思い。そんな、うまく言えない心の内をオトヒメ妃やしらほし姫が形にしてくれていたから、心に留めておきたかったんだと思います。


オトヒメ王妃の信念、そしてそれを受け継いだしらほし姫の心の強さに胸を打たれたのは事実ですが、だからと言ってしらほし姫はあのままずっと事実を誰にも打ち明けないべきだったのかと言うと、それは違う気もします。

受け継いだ意志や言葉は、「お守り」になることもあれば、「呪縛」になってしまうこともあると思うから。
自分にとって大切な人から受け取った言葉なら、なおさら。
大切にするあまり、知らず知らずのうちに自分を縛ってしまっているかもしれません。

しらほし姫には、物理的にも心理的にも「外の世界」へと連れ出してくれる人物や、そのきっかけが、どこかのタイミングで必要だったんじゃないかと思います。
ルフィたちに出会えたことで、一人きりで抱えていた荷物をやっと他人に預けることができたのだとしたら、しらほし姫がルフィたちに出会えて本当によかったと思うのです。

それに、怒りや憎しみといった感情は必ずしも悪で、蓋をして押さえ込まなければならないものなのでしょうか。


……ここで唐突に、私の脳内の回路は「プリキュア」へとつながります。

1/29に最終回を迎えたアニメ、『デリシャスパーティー♡プリキュア』の33話にて。
(内容に触れます)


作中でも特に正義感の強いキャラクターとして描かれたキュアフィナーレこと菓彩あまね(かさいあまね)は、「清く正しく美しく」ありたいのに、過去の自分の行いを許せなかったり、宿敵に負の感情を抱いてしまう自分の心の醜さに直面して苦しんでいました。
心に迷いを抱えたままでは変身することもままならず、それがさらに彼女を追い詰めていく…… というピンチ的状況。

そんな、相反する感情の狭間で葛藤するあまねに対して、プリキュアたちを導き守る「大人」の立場である「マリちゃん」ことローズマリーが伝えた言葉がこちら。

「無理に許す必要は無いわ。
誰かを許せず恨む気持ち、それは誰もが自然に持っているものよ。おかしなことなんかじゃない。

でもね忘れないで。
大事なのは、その感情に流されないことよ。
流されてしまえば、今度はあなたの大切なものを傷つけてしまうかもしれない」
デリシャスパーティー♡プリキュア  33話より


恨みというネガティブな感情を「誰もが自然に持っているもの」「おかしなことじゃない」と受け止めたうえで、
「怒りや恨みにまかせて周りが見えなくならないように」とやさしく説きます。
マリちゃんの言葉のおかげもあって、あまねは自分にとって大切なことを思い出し、再びプリキュアに変身することができました。

しらほし姫と境遇は違えど、あまねもまた、一人で抱え込みやすい性格なので……
マリちゃんという存在がいてくれてよかったなぁと思うのです。


また、同アニメでは「言葉や想いを受け継ぐ」ということについても描かれていました。

“たとえもう会えなくても、交わした言葉から想いは受け取れる”

これは、主人公の和実ゆい(なごみゆい)がおばあちゃんから受け取って幼い頃から大切に守ってきた想い。
それが、物語の終盤には彼女のまわりの人物へも影響していきます。

おばあちゃんから、ゆいへ。
ゆいから、また別の誰かへ。
(そして、プリキュアを観ていた視聴者にも)

言葉や想いは、受け継がれる。
それは、怒りや憎しみであっても同じはずです。


話が行ったり来たりしますが、ワンピースのオトヒメ妃の台詞でもうひとつ印象的なものがあるんです。

あなた達の心の叫びは痛いほど伝わってきます…
辛いでしょうけど……!!
その 人間たちへの怒りを…!!憎しみを…!!
子ども達に植えつけないで…!!

彼らはこれから出会い…!!
考えるのですから!!!
ONE PIECE 巻六十三(625話)“受け継がない意志”より


このエピソードの“受け継がない意志”というタイトルが秀逸すぎて。

これ、実はオトヒメ王妃だけではなくてもう一人、“受け継がない意志”を主張した人物(魚人)がいるんですよね。10年ぶりに読み返して気づきました。


(ちょっと余談)
この文章を書くにあたって、ちゃんとワンピースを(せめて魚人島のとこだけでも)読み返したいなと思って。
夫が全巻持っているはずなので探したけれど、見つからず。やむなく、おぼろげな記憶を頼りに書き進めていました。
そしたらある日、たまたま別の用事で寄ったリサイクルショップにワンピースの63巻だけ、ぽつんと置いてあって。
こんなことある?とびっくりしつつ、こんなピンポイントで1冊だけ買いたい人なんて自分くらいしかいないだろう、と半ば運命的な気持ちで手に取りレジへ向かったのでした。


忘れていた部分や、改めて気づく物語の深さ、時を経て歳を重ねた今の自分だからこそ胸に響いたり考えさせられるシーンもたくさんあって。
やっぱり、おぼろげな記憶やネットの情報収集だけでは得られないものがありますね。
(という余談でした)


だから頼む‼︎
お前らは島に何も伝えるな‼︎
俺たちに起きた“悲劇”を‼︎
人間たちへの“怒り”を!!!
ONE PIECE 巻六十三(623話)“海賊フィッシャー・タイガー”より


“受け継がない意志”を主張したもう一人の人物(魚人)である、フィッシャー・タイガー(以下、タイのお頭)の言葉。

人間に奴隷として扱われた背景から、人間を憎むタイのお頭。
でもその憎しみは心の奥に隠して、オトヒメ王妃が目指す人間との共存、平和な世界の実現へ向けて自分なりの信念で突き進みます。

やり返したら負けだ。「あいつら」と同類になりたくはない。復讐は新たな復讐を生むだけ……

でも、ずっとずっと自身の「心の奥に棲む“鬼”」を恐れ、葛藤していました。

「おれはもう…!!!人間を……!!!
愛せねェ………!!!」

という最後の叫び、それでも恨みや憎しみを未来には繋がないという、彼がギリギリまで守った魚人としての誇りに、胸がしめつけられます。

オトヒメもタイのお頭も、未来のために憎しみを「受け継がない」ことを主張しました。
ある意味、自分さえ黙っていれば、我慢していればまるく治る…… という自己犠牲的な考えに思えなくもないですが、それだけではない確固たるプライドをそれぞれに持っていたように思います。
だからこそ、しらほし姫はじめ周りの人々(魚人)もそれを尊重して、「受け継がない意志」を受け継いだんだろうな、と。


痛いときに痛いと言い、声を上げることはきっと大切で。
なんでもかんでも許して我慢して抱え込んでいたら心が壊れてしまうし、まわりもなかなか気付けません。
何かを変えるためには、声を上げる勇気が必要になることもあります。

だけど、素直に怒ることや声を上げることは想像以上にむずかしかったりします。
いつから、難しくなってしまったんだろう……。


身近なところで、印象的な出来事がありました。
(ここでまた、プリキュアの話にとびますね)

2/5から放送がはじまったプリキュアの新シリーズ『ひろがるスカイ!プリキュア』の第一話にて。

とあるシーンで、一緒に番組を視聴していた子どもたちから大ブーイングが起こったのです。
それは、主人公がとても大切にしているものを敵が嘲笑いながら破り捨てるという心の痛むシーン。
それを見て、間髪入れずにそれぞれの言葉で(暴言にはならない範囲で)怒りをあらわにする子どもたち……。

私はそんな子どもたちの様子にハッとなり、感心、そして安心しました。
この子たちは自分や、自分の大切な人の大切なものを傷つけてはいけないと分かっている。
傷つけられたら悲しいと知っている。
傷ついたとき、素直に怒りを表現することができる。

私自身は、その場ですぐに反応できずに怒り損ねることが多いのもあって、子どもたちの反応には本当に感心しました。
これから先、迷うこともあるだろうけれど…… どうかその心を持ったまま育っていってほしいな。


『ひろがるスカイ!プリキュア』(以下、ひろプリ)については、noteやTwitterで交流のある ままめ(まめ大福)さんが丁寧かつ簡潔にまとめてくださっているので、こちらも併せてぜひ。

(プリキュアのお話できる人が増えてうれしい!ままめさん、ありがとうございます)


ひろプリの主人公 ソラ(ソラ・ハレワタール)ちゃんは、ヒーローに憧れているだけあってとても正義感が強くて、自分なりの信念や「なりたい自分像」もしっかりと持っている印象です。

でも「相手がどんなに強くても正しいことをやり抜く
という真っ直ぐな眼差しには頼もしさを感じる反面、危うさもはらんでいるように思います。

今後、彼女が信じてきた「正しさ」がひっくり返ってしまうような出来事が起こって、「正しさ」とは何なのか、葛藤するような回もあるかもしれません。

そこで重要になるのが、周りの人たちの存在なのかなぁ、と。
初めてできた友だちであるましろちゃんの柔軟性や、これから出会う仲間たちや敵キャラの影響などなど……
ソラちゃんたちが、ひろプリが、どんな答えに辿りつくのか、「正しさ」をどんなふうに描いていくのか、これから1年間とても楽しみです。



SNSなどを眺めていると、さまざまな「憤り」を日常的に目にします。
世の中に対して、特定の誰かへ向けて。許せないこと、理不尽なこと、尊厳を踏みにじるようなことへ向けて。
その根底にあるのはきっと、世の中(未来)を良くしたいとか、「人を信じたい」という気持ちなんだと思います。
だから、言っていることには共感できたり、応援したい気持ちを抱くこともあります。力になりたいとつよく思うこともあります。
でも、そのエネルギーの強さみたいなものに圧倒されて、自分の「声」を押し込めてしまう人たちも少なからずいるような気がしているのです。というか私がそんな感じ。

未来を変えたいなら、声を上げなきゃ
人任せばかりじゃダメだ
黙って見てばかりじゃダメだ
自分も声を上げるべきなんなんだ
……そう思いながらも踏み出すことができないでいる負い目のような、うしろめたさのような気持ち。

あきらめずに声を上げてきた人たちがいるから今があるし、未来をつくっていく。
本当にすごいと、心から思います。

私も“正しく怒れる”人でありたいけれど、何が正しいのか分からなかったり、そもそも怒るのにはエネルギーが必要だったり。
怒りを胸の奥に一旦沈めて、ただ物事をじっと、見守ることで精一杯なときも多くあります。

でも、そうやって静かに耐える姿勢もまた、きっとどこかで誰かを救っていると思うのです。
沈黙もまた、「大切なものを守りたい」という意志のはずだから。


声を上げるため、勇気を振り絞るのに必要なエネルギーも、前を向くのにかかる時間も、タイミングも人それぞれ。
だから、悲しかったことや悔しかったことを、忘れようとしなくてもいい。
許せないことや、誰かを憎む気持ちをなかったことにしなくてもいい。今すぐ前向きになれなくてもいい。

例えばマンチェスターのテロの件だって、『Don't Look Back In Anger』をあの場でみんなと一緒に歌えない人がいてもいい。
心の中で祈るだけでもいいし、祈れない人がいてもいいんじゃないかなって。


私自身は、なかなか人に悩みを相談できず、一人で抱え込みやすい性格だと自覚しています。

それでも、これまで人生のあらゆるタイミングで、手を差し伸べてくれる人たちの存在に助けられ、支えられてきました。
しらほし姫にとってのルフィたちのような、キュアフィナーレ(あまね)にとってのマリちゃんたちのような。

ある日、私宛てに荷物が届きました。
送り主の名前を見た瞬間、突然の贈りものの意図を察しました。
その数日前、私はブログで少し弱音を吐いてしまっていたので……
それは今思えば、聴こえる人にだけ聴こえるような、無自覚なSOSだったと思います。

中身を見て、胸がいっぱいになりました。
私が好きなもの、子どもたちが好きなもの、欲しかったけれど諦めていたもの。
普段のブログから読み取って、気にかけて、覚えていてくれたのだろうと。
心を寄せるだけでなく、私たちのためにどれだけの時間と想いをかけて考え、選び、実際に行動してくださったのかと思うと、あまりの出来事に胸がいっぱいになりました。


その方は、その方のお母さんから「良い事も悪い事も巡り巡って必ず自分、自分の大切な人にかえってくるのよ」と、幼い頃からよく言われていたんだそうです。

有名人のようにたくさんの人の力になりたいけれど、それはできなくて。
でも、大きなことは出来なくても、せめて身近な人の力になれるようにしようって心に決めてる。
そして、力になれたかなって思ったとき、自分の存在価値があるように思えるんだ。
だから、今回のことも結局自分のためにもなってるんだ って。
でも、あなたの力になりたい気持ちは本当だよ って。
(もちろん、それは私にも充分すぎるほど伝わっています)

贈りもの(ものでも、気持ちでも)って、贈る方はたくさん考えますよね。
これ好きって言ってたなぁとか、こんなの喜ぶかなぁとか、ポジティブなことだけじゃなくて。
気を遣わせてしまわないかなとか、負担にならないかなとか、自己満かな…… とかいう迷いもあるはず。

その方は、贈りものをすることで私が人前(ブログやSNS)で弱音を吐けなくなってしまうんじゃないかと危惧していました。
「心配かけないように」「気を遣わせないように」って、ますます一人で抱え込んでしまうんじゃないか…… って。

そんなところまで想像した上で、
「今まで通りでいてほしい」
という言葉まで添えてくれました。
いままで通り、ツライときはブログでも、LINEでも、発信してね。と。

身体の中で、ほろほろと何かが解けていくような安心を感じて、胸の奥がじーんとあったかくて。
ありがとうじゃ足りないほどの感謝の気持ちがあふれました。

その方が、幼い頃にお母さんから受け取って、ずっと大切にしてきた想い。積み重ねてきた行い。
それらはしっかりと、私にも受け継がれています。

このようなことは、初めてではありません。
今までにも、いろんな方々からいただいてばかりで、お返しがしたいとずっと思っているけれど、なかなか出来ていなくて。
でも、その人たちに直接は返せなかったとしても、受け取った優しさとか想いを他の誰かに渡すことなら少しはできているのかな…… って。
そうやって、巡りめぐっていけたらいいなと今は思います。
(もちろん、その方々に直接お返しもしたい…… お返しというか、私もプレゼントしたいし、困っているときは力になりたいといつも思っています)

受け継ぐ意志と、受け継がない意志。
受け継ぐなら、連鎖させるなら、怒りや憎しみよりも愛や温もりでありたいな。
なんていうのは綺麗事で、理想論?愚かなこと?
そういう甘い考えだから、痛い目みるんだよって、声が聞こえる気もするけれど。

でも、私はそれを信じていたいし、そういう心や行動が身近な誰かや世界を変えられるって、実際に肌で感じて、そう思うのです。


ところで、ワンピースのしらほし姫にはもう一つの名前と、秘められた能力があります。
しらほし自身はまだその能力に気づいていないし、コントロールもできないけれど。

人を救おうとすれば、幾千もの命を救える愛の力。
でも、悪意を持てば「世界」を海に沈めてしまえるほどの怖い力。

そんな、数百年に一人生まれるという特別な能力を授かったしらほし。
いつか、その力を正しく導く者が現れ、そのとき世界には大きな変化が訪れる…… というのがリュウグウ王国王家の言い伝えです。

しらほしの「能力」のようなものは、規模は違えど誰もが心の奥に持っているのだと私は思います。
タイのお頭が恐れていた「心の奥に棲む“鬼”」のように。
コントロールを誤れば、悲劇や負の連鎖を産みかねない。
それに、傷やトラウマなど心の隙に付け入り悪用しようとする他人も現れるかもしれない。
でも、正しく用いれば、正しく導く人に出会えれば、それは世界をより良く変えられる可能性を秘めている……。

私の中の、そしてあなたの中の「可能性」は、どちらへ向かっていくのでしょう。
私が、そしてあなたが出会う人々は、どちらへ導いてくれるのでしょう。


この文章はもともと、1月頃に別の場所で書いた日記がもとになっています。
そこからいろいろ話がふくらんじゃって、整理するためにnotoで書き始めたらますます話があっちこっちに飛んで収拾つかなくなっちゃって。
書いてる間にも、何度も自分の中の「正しさ」を疑っては、書く手が止まって……
気付けば3月になっていました。

ここまで読んでくださった方には本当に申し訳ないのだけれど、全然まとまっていませんし、まとまらないまま終わりそうです。

私は相変わらず、どうしたらいいのか分からないまま。分からないまま、進むしかないなぁという感じです。

大人になるにつれて、素直に怒りをあらわせなくなった理由のひとつ。
それは、誰かの「正しさ」の反対側には、また別の誰かの「正しさ」があることを知ったから。
自分にとっての「正しさ」が、別の誰かを傷つけてしまうことがあると知ったから。
自分も、誰かも、大切なものを守りたい気持ちは同じなのだと知ったから。

前に進むための理由が怒りであれなんであれ、それが正しいかどうかは決めつけてしまわなくていいのかなというのが、今の考えです。

答えや正しさは、その都度変わっていくものだと思うから。
これからも迷いながら、間違いながら、自分なりの足取りで。
可能な限り自分の目で見て、肌で触れて、その都度考え、選んでいく。

そうやって選んできた大切なものを、未来や誰かに手渡すことができますように。

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