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7年ぶりに日本に住んでみて、第一印象

怒涛の引越し準備を乗り切り、船便で段ボール10箱を送り、2台の自転車とスーツケース6個を引き連れて飛行機に乗り込み、無事に日本へ辿り着きました!

7年間フランスに住んでいた間に3回一時帰国したことがあったので、日本について全くの未知だったわけではありません。が、2週間程度旅行のために帰ってくるのと、ここに住むために戻ってくるのではまた違った感覚があります。


帰国して数日で驚いたことをいくつか。

まずはお店の人が親切丁寧なこと。質問したら自分のお店にない商品でもインターネットで検索してまで探してくれます!

ケータイの契約プランが超高額でデータ容量が少ないこと。でも2年契約ではなくなっている!

オーガニックの日用品を見つけるのが非常に難しいこと。あっても輸入品で高額。人工香料がキツすぎるシャンプーばっかりで選択肢が少ないのも困りものです。

同じ服装や同じ服の色違いを来ている女の子2人組を何組も目にすること。流行っているのかな?同じ服装で連帯感をアップさせてるのかな?制服文化の影響かな?

支払い方法とポイントカードの種類がありすぎること。ペイペイって何?

などなど。



でも一番驚いたのは父とうちのパートナーと3人で電車に乗っている時のことでした。


「あれ?え?!人!?」とパートナーが隣の車両を指差して言います。なんのことかと振り返ってみると、確かに電車の通路を横切るようにカバンと人の体が横たわっている様子が遠くに見えます。
「え?人?」「倒れたの見た?!」と父と私。「倒れたところは見てないけど、たまたま目に入って今気づいた!」とパートナーが答えます。
隣の車両には他にも乗客がいるようなのですが、誰も動きません。

3人で席を立って隣の車両へ行ってみると、女の人が床に倒れています。
父と共に声をかけますが応答がありません。
倒れている女の人のすぐ目の前に子共を2人連れた夫婦が座っているので「この人いつから倒れてたんですか?今倒れたんですか?何があったんですか?」と尋ねるのですが「ああ、はあ、えーっと」などと言うだけで、はっきりと答えてくれません。目の前で人が倒れているのに、この人たち何してたんだろう?

声をかけ続けていると女の人はぼんやりと目を覚まします。
「大丈夫ですか?」と父と尋ねます。起きあがろうとするので手伝うと、ちょうど駅に着いたので一緒に降りました。
「とりあえず座りませんか?」と尋ねますが、声は出さず手を振り頭を振り断っている様子です。「一緒に行きますか?」と尋ねるのですが、彼女は断るように手を振りゆらゆらと歩いて行きます。そのまま行ってしまうのを見送り、電車に戻りました。

後から3人で反省しました。

「倒れている人に大丈夫?って聞くのは良くなかったね」
「大丈夫って聞かれたら大丈夫ですって答えるもんなあ。大丈夫じゃないですって言いにくいしな」
「そうやね。ついて行きましょうか?じゃなくてついて行きますって言えばよかった。急いでなかったんだしせめて改札くらいまで見届けたらよかった」
「いや、歩かせたらあかんかったわ。ああいう時は無理にでも座らせて1人が見ててあげて、もう1人が駅員さん呼びに行かなあかんかったわ」と。


何事もなく彼女が無事にお家に帰れているといいのですが。でも今更心配しても遅いのです。
次もしも倒れている人を見たら「大丈夫ですか?」とは尋ねないようにします。



それにしてもデストピア映画のような不気味な光景でした。

倒れている人がいるのに、誰も動かない車内。車両の真ん中に倒れている人がいるのは異常な状況ですが、それ以上に誰も何もしないその様子が不気味でした。

倒れた彼女の目の前に座っていたあの家族。一体どういう心境だったのでしょうか。目の間に倒れている人がいるのに何事もないかのようにただ平然と座り続けることができるというのが恐ろしいです。

他にも乗客はいました。でも誰も動かない。
ケータイを一心に見て、耳に栓をして音楽を聞いているから全く周りの状況を把握していないのでしょうか。側で人が倒れても一ミリも気づかないくらいケータイに没入しているのは、咄嗟の事態に遭遇したとき状況を理解できず判断が遅れ本人にとっても非常に危険なのではと心配になります。

でも咄嗟の事態など起こらないくらいに神戸は平和な街なのかも知れません。たまたまあの車両に乗っていた人たちが何が起きても微動だにしない特殊な人たちだっただけかも知れません。私たちは彼女が倒れる瞬間を見ていないので、もしかしたら倒れる前に彼女の方から「今から電車の床で寝るけれど絶対に起こさないでくださいね」と断りでもあったとか。もしそうだとしたら私の想像力が足りなかっただけで、不気味な状況でもなかったのかも知れませんよね。


パリで人が倒れるところに遭遇したことが何度かありますが、必ず何人かが駆け寄って話しかけたり救急車に連絡したりしていました。

私の母がパリで車と衝突したときも、たまたま居合わせた人たちが救急車を呼んでくれ、私に電話をかける母と代わりどこに搬送されるかなど教えてくれました。

パートナーと歩いている時に突然見知らぬ人から殴りかかられたときも周りの人たちが駆け寄ってきて助けてくれました。

そんなとき、パートナーに「パリは危ないこともあるけれど、見て見ぬふりされないのがいいよね」と言うと「いや当たり前じゃない?」と言われるので冗談まじりに「いや、日本だったら見て見ぬふりする人ばっかりだよ。倒れても誰も助けてくれないかもよ」なんて言って笑っていたのですが、まさか本当にみんな見て見ぬふりするとは、驚きと恐怖を感じました。あの車両に乗っていた人たちがたまたま特殊な人たちだっただけで、大抵の人は目の前で人が倒れたら立ち止まって声をかける社会であってほしいです。本当に。


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