見出し画像

フランス版NetflixのNarutoに見る翻訳の難しさ

最近フランス版のNetflixにも日本のコンテンツがたくさん!とは言ってもやはり需要があるのはアニメなのでしょうね。名作邦画や懐かしいドラマはあまりません。それでも日本のものをフランス語字幕付きで観られると、フランス人のパートナーと共有することができてとても嬉しいです。近頃ホームシックのようで、子どもの時に観ていたものを見返すことが多く、Narutoを見ていて字幕翻訳の難しさを痛感させられました。


訳せない役割語 / 特徴的な文末表現

まず驚いたのが、ナルトが使う語尾「〜だってばよ!」。よくよく考えたら当たり前なのですが、フランス語の字幕には全く訳されていません。もちろん木の葉丸の「〜だこれ」も訳されない。カンクロウの「〜じゃん」も訳されない。

現実の会話で「〜だってばよ!」という人に出会ったことはありませんが、アニメの中ではナルトらしさを強調する大事な表現。他にもおじいさんがおじいさんっぽく話したり、女の子が女の子っぽく、男の子が男の子っぽく話す”役割語”もフランス語字幕にはありません。

パートナーと話し合ってみましたが、フランス語の中には役割語と同じ機能の表現を見つけることができませんでした。その代わり、登場人物が使用する語彙や喋り方を使い分けることによって、その人物が所属する社会階層を描き分けることはあります。使うスラングによっておじさん臭くなったり、イマドキの若者っぽくなったり。育ちの良い喋り方の人もいればガサツな喋り方の人もいたり。

マチュー・カソヴィッツ監督のパリ郊外を舞台にした映画『憎しみ』(La Haine)に出てくる公営住宅に住む貧しい若者たちの言葉使いはとてもリアルです。

日本でも話題になった『最強のふたり』の白人大富豪フィリップとスラム街出身の黒人男性ドリスの喋り方の違いも良い比較になるでしょう。

また、日本と同じようにキャラクターの書き分けのため、地方の方言や外国人のアクセントを真似るようなことはフランスの映画やドラマでもよく見かけます。

このように喋り方と語彙やアクセントでキャラクターの性格や育った背景が見えることはあります。がしかし日本語の役割語とは異なる表現方法と言えるでしょう。

出身地や社会階級、ある程度までの年齢の書き分けは使用する語彙と発音やイントネーションによって翻訳可能なのではと思います。しかしフランス人に「〜だってばよ」ってどういう意味?と聞かれても説明できず、そこにアニメキャラクターの面白さがあるのに伝えられず残念な気持ちです。『サスケ奪還編』でチョージが後から追いつけるよう、シカマル、ナルト、キバは木に目印をつけます。「こっちだってばよ」と書いてあるのを見てチョージはナルトからのメッセージと判りますが、「こっちだよ」だったら誰が書いたのか分からなかったでしょう。


忍術の名前

それぞれの技の名前の翻訳も難しそうです。カカシ先生から教えてもらったサスケの新技”千鳥”。これは”チドリ”だから様になるのですが、フランス語字幕では直訳の”mille oiseaux”、つまり”千羽の鳥”。ミルオワゾーという響きもなんだかカッコ良くありません。技の説明「鳥の鳴き声のような〜」から技名を言うシーンでうちのパートナーは爆笑していました。残念!ここ、笑うシーンじゃあないのになあ!

音読みと訓読みを駆使してカッコ良さを出す日本語流漢字表現をフランス語に直訳すると、クールさがなくなってしまいます。でもNarutoの技は漢字をベースにしたものが多く、漢字から読み取れる技の意味を基にした翻訳は可能です。

話はNarutoから逸れますが、HUNTER X HUNTERの技名は言葉遊びやダジャレになっているものが多く、翻訳難度はさらに高そう。

例えばゴンの必殺技”ジャジャン拳”には、”じゃんけん”と”〇〇拳”と言う格闘技のイメージ、そして”ジャジャーン!”という効果音の3つの意味が隠されていますが、フランス語字幕では ”pierre papier ciseaux” つまり ”じゃんけん”。言葉遊びの面白さは伝わりません。


ニュアンスの伝え方

これは翻訳者の読み取り方や好みと、私の好みの違いによってしまう部分ですが、細かいニュアンスの翻訳は難しい。特に字幕翻訳は文章の翻訳と違い文字数の制約が大きく、翻訳する情報の取捨選択が必要になっていきます。

私のフランス語読解力は完璧ではありませんが、日本語を聴きながらフランス語の字幕を読んでいると、「うまい!」と思う部分もあれば「そこ、そう訳すのかあ」と疑問に感じる部分もあります。

例えば、自来也のセリフで確か「そんな奴は男として認められない」という部分の字幕が「そんな奴は忍者として認められない」となっていました。なぜ忍者と意訳したのでしょうか?ここで自来也は”忍者=職業”という観点ではなく、”男=1人のひと”として大事なことについて語っているからこそ深いいのだと思ったのですが。翻訳者的にはここで男と訳すより、忍者という言葉に訳す方が性差がなく平等だと考えたのかもしれませんね。

また、重箱の隅をつつくようですが、木の葉隠れの里は常にKONOHAと訳されているのに、砂隠れの里はSUNAと日本語の発音で訳されている時と、SABLE(フランス語で砂)と訳されている時があり、統一した方がわかりやすいのではないかなと思いました。

こういう細かいところが気になるので、字幕を読みながらアニメを見るのは面白い。ことわざや常套句には案外直訳できるものも多く、お国が違っていても、同じ表現を使うのだなと人間と人間の近さを感じられます。


Narutoの字幕を見るだけでも、これだけ訳しにくい言葉、ニュアンス、文化背景があるのだとハッとさせられることがしばしば。フランス語のものを日本語訳で読んでいるとき、私は一体どれだけの情報を読み落としているのでしょう。​言葉はとても面白いです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?