ふつうの人生
パートナーの友人カップルで、私も仲良くさせてもらっているVとSに会ってきた。Vはフランス人、Sはオーストリア人。つい1ヶ月半前にVが男の子を生んだばかりだ。まだ人間というよりは虫のような小さな生命がぽこんと現れて、ふたりの腕の間を行き来しているのを見ると不思議な気持ちになる。
4人で話していたのが、いつの間にかVとうちのパートナー、Sと私、と会話がふたつに分かれた。最近はどうしているのか、仕事はどうかとSに尋ねる。
Sはオーストリアの地方の小さな町に大きな家を持っていて、母と二人で住んでいる。町に根ざした堅実な家業を継いでいて、それなりの収入を得つつ自由な時間もあり、今までVが住んでいるパリとオーストリアを行き来しながら生活していた。コロナ禍もあり、ふたりでウィーンに住もうと計画していたところVがめでたく妊娠。出産するならフランスがいいということで2カ国生活が続いていたが、赤ちゃんのパスポートが出来次第ふたりでウィーンに移る予定だ。
Sは芸術家として創作活動にも力を注いでいて、実家の敷地内にある倉庫を改装したアトリエで映像作品やオブジェなどを作っている。
会えばいつも、若い頃のメキシコ放浪話、次のプロジェクトのアイデア、最近読んだクリエイティブな本の話など、生き生きと興味深い話をしてくれる人だ。
ところが今日はいつもとちょっと様子が違っていた。
仕事が面白くない。海辺の街で暮らしたい。
でも仕事を辞めると言っても何をして食べていこう。そう、食べていかなくちゃならないのだ。
「今年45歳でまだ芸術家として成功していないってことは、そういうことなんだよね」
と言ったSを見てグッと心臓を掴まれた気持ちになった。
そういうことを考える瞬間が、来るんだな。
Sは決して貧乏ではない。どちらかと言うと恵まれた環境にある方だと思うし、本人もそれを自覚している。でも彼の周りの同年代の友人たちで芸術家としてかじりつこうと頑張っている人たちのほとんどは、食べるために働く必要がなかったり、パリに両親からもらったアパートがあるような、家賃のために働く必要がない人たちなのだと言う。
そんな夢のような環境に生きている人、存在するのか?と昔は思っていたけれど、パリで出会う写真家や芸術家、創作活動で生活している人の多くは、家族がすでにその業界で成功していてコネクションがあったり、実家が裕福だったり、田舎に住む両親がパリにもアパートを持っていてそこに住んでいる、なんて言う人たちだった。自分の思っていたよりも世界はずっと広く、環境や資産に恵まれている人は多い。
でも誰しも自分の持っているものでなんとかやりくりするしかないのだ。
Sも私も、パリに遺産相続したアパートは持っていないけれど、それでも十分恵まれている方だと思う。恵まれていると言うのは、自分で考えることができ、選ぶことのできる選択肢があると言うことだから。その世界で名を残す確率は低いかも知れないけれど、挑戦するという選択肢を選ぶことができる。それがもう恵まれているということだと私は思っている。
成功するって言うのはどういう状態なのだろう。
中学生の時はノーベル賞をとりたいとかオリンピックで金メダルをとりたいと本気で思っていたし、本当にほしいと願うものはいつか手に入るものだと思っていた。
今はパートナーと一緒に毎日面白く楽しく過ごせるのが良いな、と思う。その一方で、そんなこじんまりした幸せで満足するような"ふつう"の人間に自分もなってしまったのかと心で苦くも感じる。リスクを負って何かで世界一を目指したり、芸術一本で生きたり、名声を得るとか大金持ちになるとかそういう分かりやすくカッコいい夢を追う姿にも素直に憧れるから。
ウィーンでのSの個展には行けなかったから、彼が今どんな作品を作っているのかはわからない。でも続けてほしい。多分Sは、たまにバーで友達と飲んで愚痴をこぼして、サッカーを観て、食べるための仕事をして、それだけで充足できるタイプの人じゃないと思うから。
お金を稼ぎながら自分のやりたいことを続けていくって言うのは、永遠の課題だよねと言い合った。芸術家として名を残すことはないかも知れない。ほしいものがほしい形で手に入るとは限らない。でもそれがどうしてもやらずにはいられないことだったり、やっていて心から面白いと感じることならばやるべきで、それは少なくとも自分自身のために良いことであり、精神衛生上必要なことだよね。
こんな話をしながら、でもSは決して「子どもができたから」という前置きを使って人生の選択肢を狭めるようはことは言わなかった。
相変わらず私たちは、一番の理想は週3で働くことだよね。それで1日休息日を作っても、まだ3日自分の好きなことをできるのが最高だな、なんて話している。
今日は3月のパリには珍しく、青空が広がっている。太陽の光で身体がぽかぽかするのは何ヶ月ぶりだろう、ようやくカフェのテラスでお茶を飲める季節がやってきた。
VとSが交互に赤ちゃんを抱いているのを眺めていると、自然と心地よい陽気が胸に広がって、思わずパートナーと目を合わせ微笑み合う。
今日もまた良い一日だった。
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