見出し画像

映画を観て、本を読んで、時々無性に嬉しさが湧き上がる

全然斜に構えている訳じゃないけれど、みんなが面白いと言う作品が全く面白くなくて愕然とすることがあります。
だからもちろん酷評されている作品に感銘を受けることも多々あるもの。そんな時は、「もしかしてこれは私のための作品なのでは!」なんて思ってしまえるし、時にはひとりでも自分はひとりじゃないんだと感じられます。
目の前にいる人に千の言葉を尽くしても伝わらなかったことが、本や映画の奥に見つかる瞬間。地球のどこか、いつかの時代に確かに存在した素晴らしい理解者と巡り会えるこの喜び。

共感と時に幸せな誤解、それは鑑賞者にだけ許された醍醐味なのでしょう。


最近の作品を観るとき読むとき、特に世間の評価と自分とのギャップを感じることが多いです。古い名作の方がハズレが少ないのは、時の流れによる選別を経て生き残って来た作品だからか、強度が違います。
でも評価の確かな古き良きものだけでなく、今の作品にも触れたいのは、同時代の作品だからこその切実さがあるから。渦中にいるからこそ胸に響くものもあります。
今日観ているこの作品は、果たして10年後30年後まで残っているだろうか。その頃にはどのような文脈で読まれ評価されるのだろうかと、ふと考えます。


創作物についての感想や考察を読むのが好きです。自分が好きな作品が酷評されているレビューを読むのも案外好きなのだけれど、好きじゃなかった作品のポジティブなレビューを読むことは、また格段に興味深いです。ネガティブな感想よりも愛情偏愛こもったポジティブな感想の方が、例え自分の好きでなかった作品のことでも心地よく読めます。それに単なる好き嫌いや罵り言葉で終らない上手な批判を書くのは難しいもの。

自分には合わなかった作品の感想を読むと、こんな見方もあったのかと視野が広がるし、人間の感性や創作、世界の広さを垣間見ることができます。これだけ好みやセンスや感性は無限大なのだから、自分だってもっと周りを見ずに好きに何かを作って表現して良いんだという自由を感じるのが嬉しい。突き詰めた作品ほど嫌われる可能性もたくさんあるけれど、たった1人の誰かにとって強烈な体験になるかも知れない。そう思うと力が湧いてくるし、自分のしていることにも、自分のため、は大前提だけれど、それ以外に、もっと大きな何かの一員としての意義を感じられます。
何かを観たり読んだりすることは私にとって生活に不可欠なものです。だから聞いた話で知った気にならないで、自分の目で見て生きたいと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?