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毒舌 「すっぽん三太夫」シリーズ 「“正規雇用”統計に潜む、まやかしのトリック」

 どうやら、世は再び、「正規雇用」「収入増加」という御旗に向かって順調に突き進んでいるらしい。
 この国から非正規雇用という言葉をなくす―。某国の宰相がそう叫んだのは、記憶に新しいところでは2018年1月にさかのぼる。

 それから半年も経たない同年5月、厚生労働省は有効求人倍率が44年ぶりの高水準に達したと発表した。なかでも目を惹いたのは、正社員の求人倍率である。過去最高を更新したという。総務省による完全失業率も当然下降し、高らかに掲げられた数字は、『働く意思のある人なら働ける「完全雇用」の状況』(2018年6月29日付日経)を演出してみせた。

 だが、その数字にはどうやら小さな〝ゆがみ〟が堆積しているらしい。

 その年の夏、知人の採用担当者が苦り切った顔で駆け込んできた。

「いや参ったよ。ハローワークに正社員募集って出したら、本当に応募が殺到しちゃってさ。でもさ、うち、正社員を新たに雇う余裕がなくてね。本当はパートの募集だったんだよね」

 ハローワークの手続きにミスがあったのだろうか。

「じゃあ、ハローワークに間違えてますっていって、訂正したらいいじゃない。パート募集だって受け付けてるでしょ」

 そう返すと、そこなんだよ、と。

「でもさ、担当の奴が、とにかく正社員募集で出してくれってうるさくてさ。それで採るときには非正規でもいいからって。オレも渋ったんだよ。でも、それだと、正社員で応募したのになんでって、うちの信用にも関わるからって。でも担当者が、とにかく正社員での募集にして、あとは面接の段階でいろいろうまく対応してくれって、その一点張りだったわけ」

 で、と訊ねた。

「どうだったの?採用は決まったの?」

「ああ、採ったよ。でも、パートね。もともとパートでしか採る余裕はなかったんだし、パートで十分だったんだから」

 聞けば、教習所の窓口業務職を募集したのだとか。

 しかし当然、ハローワークから紹介されるほうも、正社員応募の心づもりである。面接の場でいきなり「うちはパートだけど」と切り出されれば面食らう者もいる。そして、食い下がる者も当然に。

「ハローワークに掲げている募集内容はウソですか」と。

 採用担当者はそこに参ったのだ。常々、募集をかけるときにお世話になるのはハローワークだ。むろん、企業側も担当者とはうまくやりたい。機嫌を損ねたくない。その担当者が、「とにかく正社員で募集をだしてくれ」と頼み込む。無碍にすれば、今後どんなお上の意趣返しが、と企業は怖い。やむなく「じゃあ募集だけは…」となる。

 ハローワークは言わずもがな、厚生労働省の出先機関であり、各種業務の結果は、日本の雇用統計の根幹を担っている。各都道府県の雇用関係統計は、独自に集計する手段がない。雇用対策の部署は、厚生労働省の数字を流用し、援用しながら各地域の雇用対策を練っている。その意味でも、名実ともに日本の雇用状況のすべてを掌握しているのがハローワークともいえる。

 そのハローワークで、パート募集を申し出てきた企業を「正社員募集」へと誘導する。むろん建前では任意であり、強制ではない。だが、そこはこの島の人間関係である。そこまで言うお上の担当者にガンと抵抗すれば、その後が怖い、という心理が働く。

 企業は「正社員募集」をしぶしぶ掲げる。その結果、正社員が採用されればいいだろう。しかし、実際に採用しているのは宰相が言葉さえ無くすと意気込む「非正規雇用」である。

 ところが、ハローワーク側は正社員の求人が一件増えた、とカウントする。これが全国およそ550ヶ所のハローワークで横行しているとするならば、どの程度の水増しになるのか。

 でも、と思うだろう。結果がパート採用ならば、パートにカウントされるのだから、正社員採用件数の水増しにはならないのでは?と。

 ハローワークでは、求人に対する採用実績を「充足率」と呼び、もちろん、採用があったかどうかをその後に確認する。企業にファックスやメールで確認の書類を送り、企業はこれに書き込んで送り返すのが通例だ。

 だが、そこに記すのは採用したかどうか、つまり、採用形態は確認できない、しない「制度」となっている。

 あえて、そこに付け焼刃の意図はないとみるべきだろう。なにしろ、この島では、はるか以前からずっと、この仕組みであったからだ。

 すると、ハローワークの求人で「正社員募集」となっていた場合は、企業がパート職員として「採用」した場合でも、ハローワークが確認したのは、形式上、正社員採用ということになる。ここで、正社員の充足率のポイントに加算され、それを全国のハローワークの充足率の数字として集積。厚生労働省の統計となり、発表へとつながっていく仕組みだ。

 一国の統計調査のあり方として信じられないほどザルであることは言うまでもない。各地のハローワークで例外なく、この方法で充足率が積算されているのだ。

 正社員の求人倍率が過去最高―。さっぱり見当がつかない。この島の統計は、かように根本が底抜けているからだ。こんな状況を、各都道府県の雇用促進担当者もまた、気付かぬわけがない。

「だいたいね、法律ばっかり整備してもね、逆に困ってるんですよ。たとえばシルバー人材活用を推進するのにいろいろと斡旋策を考えているんですが、実際、ハローワークでは年齢不問というから面接に行ってみたら、うちは六十歳以下じゃないとちょっとと言われてばかりでね。でも、いま求人票では男女や年齢の制限はつけられないことになってますから。でも、それが決して採用の公平性に実態としてつながっていないわけでね、困っちゃうんですよね」(東京都庁職員)というわけだ。

 なお、この実態を把握しているかとワタシに突きつけられた厚労省本省の某担当者は、その〝制度的欠陥〟を認めたうえで、うめいたのだった。

「しかし…そんなことが…確かに、全国のハローワークを上げて、正規雇用の促進を展開させてはいますが…それがそんなことに…その話…記事とかになるんですか?」

 こう答えた。

「大丈夫。安心して。朝日と赤旗には内緒にしておくから」

 コロナ禍を挟んであれから5年。さて、今度こそ大丈夫なのか。

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