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どんな箱を満たすのか

先日、東京都新美術館で開催されているメトロポリタン美術館展に行った。
美術館鑑賞は、私の数少ない趣味である。言葉を越えたところで心が動く場に時折身を置くのは心地が良い。

今回メトロポリタン美術館展に行くにあたって、予習をしてみることにした。予習といっても軽いものである。今回「初期ルネサンス」から「ポスト印象派」までの絵画を順を追って鑑賞できるということなので、それぞれはどういう時代に興った芸術なのかということ、どのような画家の絵画が来日しているのかということなどを、メモに簡単にまとめてみた。

どうやらそれがとてもよかった。いままでなんとなく庶民的だ、華やかだ、荘厳な絵だ、と絵画を鑑賞してやみくもに動かされていた一つひとつの心を収めるそれぞれの「箱」を持った状態で鑑賞できたような気がした。

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こうした「箱」をいろんな場面で作れるようになることが、私が思う大人の条件の一つかもしれない。
生徒や学生、子どもであった時には、やみくもに目の前のことに取り組んで、たくさんのものを取り込んでいれば、誰か大人が、その一つひとつを収めるためのそれぞれの箱を準備してくれていたように思う。満たしていくことだけに注力していけばよかった。

ただ満たすことじゃなくて、「どんな箱」を満たしていきたいのかということ、これをどの箱に入れたらいいのかということをもっと考えて過ごしていかないといけないんだろうなあ。これは箱を「満たしていく」作業に比べて至極地味で個人的で、根気のいることだ。しかし、この先に、自分の人生の責任を持つということがあるのだろう。そして、そもそも、箱がなければ「満たす」もなにもないでないか。

そんなことを考えた、先日の休日であった。



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