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コロナの時代の愛を考える~哲学対話~をしてみて

去る4月24日(金)・4月26日(日)に「コロナの時代の愛を考える」というシリーズで第1回は「コロナの時代のセックス」第2回は「コロナの時代の恋愛」としてオンライン哲学対話を主催しました。

「哲学対話」とは、簡単に言うと身近な物事に関して立てた問いに対して、参加者同士の対話から思考を深めていく取り組みのこと。その対話にあたっては「無理に話そうとしなくてもいい」「借り物の言葉や専門用語を使わずに、なるべく自分の言葉を使って話す」「他者にアドバイスをしようとしない」「自分のことを茶化したり、自虐したりしない」などといった、安全に対話を行うためのルールが存在します。今回はファシリテーターとして今、全国で一番哲学対話を実施している(?)AV監督の二村ヒトシさんにご協力いただきました。

今回出てきた問い

哲学対話では、今回どんな問いについて考えるのか最初に参加メンバーで問いの候補を出し合います。そこから特にこれについて話したい!という問いについて対話を深めていきました。

■ コロナの時代のセックス(一部)
・セックスを超えるパートナー間のコミュニケーションは今後現れるか?存在しているか?
・不倫関係にある人たちはコロナで会えない中どうしているのだろうか?
・会えなくても愛情を保つことはできるのか?保つためにはどうしたらいいのか?
・オンライン上のやり取りでもドキドキすることはできるのか?
・コロナの時代、セックスの価値は上がるのか下がるのか?またそれは誰にとって?
■ コロナの時代の恋愛(一部)
・恋愛のオンライン化は、恋愛関係の維持や恋に落ちることを難しくする?簡単にする?
・濃厚接触せずに恋愛はできるのか?
・感染させるリスクがある中で恋人と会うのは愛なのか?
・恋愛の形は多様化するのか?
・どういう関係性の人からの感染なら許せる?許せない?(家族?不倫相手?…)

印象深かった言葉

以上の問いから生まれた対話中の印象的な言葉を一部ご紹介します。

自分の身体が嫌いなので、身体性から逃れられるオンラインでのやりとりは全く問題ない
オンラインだと相手に巻き込まれる感じ(侵襲性)が感じられず、興奮できない、エモさを生み出しにくい
無理して会う必要のない大義名分ができてむしろ楽になった
私の恋のトリガーは匂いであると気づいた
オンラインは必要・不必要のコントロールがしやすい。人は相手のコントロールできない要素に恋していたのかもしれない。
相手の身体や権威と対面する必要がなくなったからこそ、それによって生じていた苦痛から逃れられ、対等性のある関係性が築けるようになるかもしれない。
恋は愚かで愛は正論。
いやいや、そんなに愛って一義的なもの?

「コロナの時代の愛」オンライン哲学対話を主催してみて

コロナによって明らかにこれまでとは違う世界の在り方が訪れている中で、愛はどのように変容していくのか、それを考えようと今回この哲学対話を企画しました。しかし、いざ開催してみると結局各々がこれまで何に興奮していたのか、そもそもセックスに何を求めていたのか、恋愛関係を成り立たせているものは何だったのかなど、これまでの自分をより突き詰めることに繋がったのが印象的でした。

私自身はコロナによってリアルに人と出会える機会が少なくなったことを憂いていたのですが、この状況の可能性を考えることで「恋愛は人生に必要不可欠」「好きな人とはずっと一緒にいなきゃいけない、自分のキャリアを考えるとそんなことほんとに可能なんだろうか」そんな自分を時には苦しめもした固定観念とも向き合える気がして、このような機会を設けるに至りました。そういった意味でも愛に関する根源的なところへの問いにつながったこの哲学対話は私にとってよい時間となりました。

また、今回初めて哲学対話を主催しました。面白おかしく話そうとする必要なく、しどろもどろでも真面目に話していいんだ!と安心できる場はとても居心地の良い空間…!今回告知した際に少なくない私の友達が興味を持ってくれて「意外とみんな真面目に対話できる場を求めているんだなあ」と嬉しくもなりました。これまでどれだけざっくばらんに話すことの大義名分をお酒に求めていたことか、茶化さなきゃいけないという強迫観念に苦しめられていたことか。
またぜひ開催したいと思います!!

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