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苦手から、逃げられない人へ。

私は、苦手なものと折り合いがつかない人種だ。
だから、“苦手から逃げられないこと”について考えてみる。

最近ありがたいことに、本職で大きなお仕事を任せてもらえるようになった。

純粋に嬉しいことだし、守備良く進めていけば自分のスキルアップにもちろん繋がる。
ただ、その仕事を進めるためには、自分の苦手と折り合いをつけなければならなかった。

例えば、私は人に仕事を頼むのが苦手である。
「自分の仕事を取られるのがいやだ」(そうは思ってなくても)とか、
「相手の貴重な時間を貰って申し訳ない」とか、その理由を深掘りしたらキリがないと思う。
さらにスケジュールを引いて、人を動かすのも苦手。
全体感を掴むのに時間がかかってしまううえ、上記の苦手もあいまって、相手のお尻を叩くことができない。

ゆえに自分でなんとかしようとして、痛い目をみる、凹む。
きっと全ては自信のなさの現れだと思うのだけど、それで凹んでいるのだから本末転倒じゃないかと、自分をぶちのめしたくなるばかりだ。

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一度、「こんなに苦手なのだから、いっそ逃げてしまえないか。」と考えたことがある。
心を蝕み、精神をすり減らす苦手意識。
スピード感も必要な仕事だし、これは得意な誰かに頼んで、自分は別の得意なことに専念すればいい。
そうすれば、周りも自分もうまくいく、そう思い込むようにした。

しかし思えば思うほど、不思議と涙が込み上げてきた。
なぜならその苦手は、私が目指す人間像に必要なスキルだったから。
人を動かすことやスケジューリングが苦手でも、ライターや編集を続けている人だっている。
そうはわかっていても、苦手から逃げてしまうことは、自分の夢を否定しているようで辛かった。

こんな話をすると、「理想が高すぎる」とか「とらわれないでやればいい」といったお言葉を頂く。
もちろんそれはしっかり受け止めるのているのだけど、ここではあえて、心の内を書かせて欲しい。

少しくらい、苦手を肯定できなくたっていいじゃないか。
どうしても逃したくない信念なら、心の中でぐらい時間をかけて考えたいじゃないか。

そんな心の小爆発を経て、最近は苦手について多少肯定できるようになった。
滑り落ちていく坂で、ちょっとスピードを落とせるくらいには、向き合えるようになったかと思う。
苦手があることもないことも、どちらも等しくその人の心の有り様。
一度は全部認めてしまうのが、メンタル奈落に落ちにくくなる道なのかもしれない。

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[追記]
こんなnoteを書いてる間に、ブログやnoteを拝読している方々が「苦手」について語られていた。
とても優しくフォローされる文章なので、苦手から逃げられないって凹みがちな方は、ぜひ一度読んでみてください。

▽鳥井 弘文さん

▽あかしゆかさん


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