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私とは。


私は現在26歳の身体障害者です。小学校1年の時に「劇症型心筋炎」っていう重い病気にかかって心臓が何秒か止まって脳に空気がいかなくなってしまって高次機能障害と左半身麻痺という後遺症が残ってしまいました。(劇症型心筋炎漢字間違えてるかも…💦)高次脳機能障害は人によって色んな症状が出るようで私の場合は現年齢より精神年齢が低くなってしまったのと覚えるのが苦手な事が症状としてあります。
病気が発覚して地元の病院から街の設備が整っている大きな病院に救急車で搬送されました。私は自分の足で歩いて病院に入ったことからその先の事は覚えていません。

目が覚めると首や鼻や股関節にいっぱい管がささっていました。鼻に通された管に異物感があり抜こうとすると母や看護師さんに止められましたが夜に誰も居なくなった隙に勝手に抜いて母を騒がせたこともありました(笑)次の日また管の入れ直ししてすごく苦しくて痛かった思い出があります。
ずっと寝たきりで頭にハゲができてしまった時はすごく恥ずかしくて悲しかったです。今はちゃんと生えてきたので大丈夫ですが…当時は何だかもう髪の毛が生えてこないんじゃないかってずっと思ってました。
まぁ色々騒動もありまして徐々に病状も良くなってきて流動食から起き上がってヨーグルトやプリン、アイスと食べれるようになりました。ハーゲンダッツが当時お気に入りでした。初めてお粥を食べた時はおかわりして綺麗に食べてたそうです。
ICU普通の病棟から普通の病棟に写ってからはすごく大変でした。まずご飯の時間になる度に吐いてたし、ICUに居た時に使ってた強い睡眠薬のようなものの副作用で夜も眠れないし、体全体に力が入っていて常に疲れてる状態だし、興奮状態で夜中にお漏らししちゃうし。私どうなるんだろうっていう怖さがありました。

でも時が経つとだんだん体が慣れてきてそんなこともなくなって、相変わらず声は出せないけど体調はどんどん良くなりました。そして、ちゃんとした学校がついている子供病院への転院が決まり、冬休みに合わせてお家への外泊の許可が出てようやく家に帰れました。

家に帰って新しく学校に行くなら入院して出来なかった分を取り戻したいって母にお願いして進研ゼミを始めました。問題集が届いて鉛筆を握っていざ挑みましたがなんと簡単な漢字も書けないし、足し算引き算も桁が多ければ多くなる程理解が出来なくなっていました。でも毎日毎日汗を書いてできない時は悔しくて泣きながら繰り返し繰り返し練習して高校二年生の時に漢検準2級まで取得することが出来ました。算数、数学は苦手なままでどう頑張ってもテスト赤点でしたがその他の勉強は普通に平均的にできてたからまぁ良いかな〜??って感じです。
この頃は出来ないことも頑張って乗り越えられてたのにいつから頑張れなくなってしまったのかなぁ?今の私は「ダルい~」が口癖で鬱々と日々を過ごしています。ここに至る経緯は今度綴らせて頂きます。人の過去の話とかとてもきになりませんか??私はとても気になります。では今日はこの辺で。

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