受容すること以上にできることはない
自分ではない、周りにいる人達に向けて、できる最善のことは、「受け入れる」ことだけなのでは、と思っている。
そのままの自分の姿を、誰だって受け入れてもらいたがっている。そして、他者である私達はその隠れた欲求に気付くか気付かないか、その違いだけがコミュニケーションの質を左右するのではないだろうか。
私はなんとなく話しながら、他者が持つ「こう在りたいと望んでいる自分の姿」を想像し、その姿を黙って見つめ、邪魔しないようにしている。私含め「本当の自分」と「こうで在りたい自分」には差異があると思うし、その差異を指摘されるのを、望んでいない人は多い。なので黙って、受け入れる。
人に受け入れてもらって喜びを感じたことがある人は、人を無闇に拒絶したりしない。些細な言葉で人が人に壁をつくることは簡単で、拒絶された悲しみやショックを持っている人ほど、言葉遣いに敏感になる。
私は割と神経が細かい方なので、人に受け入れられないことを想像して不安になったりするし、言葉遣いにも敏感だ。しかし、「沈黙」という形式を取って人を受容するようには努めている。他者に対して否定的な言葉を使わない、黙って受容する。
言葉を尽くすよりも、沈黙での受容がその人のためになることは、あると思うのだ。
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