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交友の新陳代謝に理由をつけない


特別気に入らないことがあるわけでもなく、喧嘩などをしたわけでもないけれど、交友があった人と疎遠になってしまうことがある。


感覚的な言い方になってしまうのだが、なんとなく相手と自分の間に流れる空気が滞ってきた時、だんだんと疎遠になっていく。けれど私はこの疎遠になっていくことを悲観的には捉えていなくて、「卒業」に近い感覚で受け止めている。


もう会っていても、なんとなく共有する時間を楽しむことができないな、と感じた時、私はその人との交友を黙って諦め、静かに去るようにしている。その事実に見ないふりをして会いつづけることは可能だけれど、大体無理をして会ったあとは後悔する。潔く終わらせた方が良かったかもしれない、と。


個人だけではなく、グループでの集まりも、代謝が滞っているように感じたら、静かに卒業するようにしている。そうではない人間関係の築き方を選択している人もいるけれど、どうにもその状態を維持することが苦手で、定期的に新しい場所へ移動してしまう。


一つの交友関係を終わらせる時、気を付けているのは「関係が終わることに理由をつけないこと」。○○が嫌だったから、とか〇〇が気に入らなかったから、など理由はいくらでも捏造することはできるけれど、本当の理由は違う。新陳代謝は滞らせない方がいいからだ。


なるべくスムーズに、静かに交友関係も循環させる。傷ついたり悲しくなったりする時もあるけれど、「卒業」だと受け止めて、進むようにしている。それに意外と終わりだと思っていた交友関係が復活することもある。長期的な目で見たら、なんてことはない通過点だったこともしばしばだ。


人間関係も循環するもの、と覚えておくだけでいいのだと思う。






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