キブツって何それ?
当時は怖いもの知らずというか、人生万事塞翁が馬で、見切り発車でも全然平気。走りながら考える適当さでも、若かったからできた。
若くなかったらほぼ無理ゲー。リスク管理とか考え過ぎてしまいますから。
ちなみに、ググればすぐ分かるようなことは割愛します。
ここでは、わたしの独断と偏見に満ちた切り口で書きます。
コルホーズみたいなところ
キブツ(Kibbutz)とは、コルホーズみたいなものと聞いてたのだけれど、(学校で習ったよね?Wiki:コルホーズとは、ソビエト連邦時代の集団農場のこと。 全て国有だったソフホーズと違い、半官半民で協同組合に近い)おそらくもっと自由で、住民も出入り自由なところでした。
アラビアのローレンス
ネット以前の時代の情報収集は、資料請求して届いたパンフレットのみ。
そこに小さく載っていた写真の数ショットのみの情報で頭に描いた想像図は、アラビアのローレンスや十戒の映画のシーンみたいな、砂漠に張った幕屋(テントの大型版)に住んで、移動手段はラクダか?という認識レベルでした。
実際に着いたキブツは・・・何ここゴルフ場?
ベン・グリオン空港で集合した同期の海外からのボランティアたち(イギリス人の比率が多い)を近隣のキブツから迎えに来た人が適当に振り分けて、それぞれのキブツに連れて行ってもらいます。
わたしが案内されたキブツは小規模なところで、成人メンバー(住人)数が200人ちょい。 大きいキブツだと1−2万人はいるらしい。
それプラス子供たちも含めると実際の人口はもっと膨らみます。
そこには砂漠は無く、芝生が敷き詰められたゴルフ場、またはテレタビー・ランドのようなゆるい起伏のある土地の上に、小さな平屋建てがポツポツと点在していました。
夜に出歩く時は気をつけるよう言われたので身構えたら、「夜にスプリンクラーを回すので濡れちゃうからね」だって。英語を聴き間違えたのかと思った瞬間でした。
キブツで何やるの?
”個人無所有・集団共有体制の集団農業社会主義生活”なので、車も共同で使うという、今でいうライドシェアは当たり前。
ボランティアという名の、長期格安滞在、衣食住付きホリデーなので、各々希望のキブツ内の仕事につきました。例えば、コットン・ファームで農作業、牧場で牛の世話、鶏舎で七面鳥の世話(ん千羽)、巨大ランドリー・ホールでの洗濯その他。
朝5時起き
朝5時起きで、小鳥のさえずりがピーチクパーチク鳴り響く、まだ薄暗くモヤがかかっている中を、目をこすりながら中央の集会所を兼ねたダイニングホールまで歩いて2分。
ヘブライ語でおはよう〜
ヘブライ語で「おはよう〜」は「ボケル・トブ」。
語呂合わせで覚えやすそうでしょ。
私の仕事は、一度に3−400人くらいは軽く座れるダイニングホールでのお手伝い。巨大な鍋が並ぶキッチンで作られた食事をビュッフェ式の配膳台に並べたら、朝食の時間。キブツ中の住人がやってきてワイワイ食事。
朝刊の取り合いをする子供たち
ホールの入り口の横には朝刊が山積みになっているのを、大人はもとより、10−11歳くらいの子供たちも競うようにピックアップしては、トーストを頬張りながら新聞を一心不乱に読んでいるのが印象的でした。同じくらいの日本人の子供なら、新聞よりも漫画を一生懸命に読むんだろうなぁと。
朝食が終わると、兵役を終えたばかりのミハイルとでホールの片付けと掃除。
広いホールを二人でひと通り掃除し終えるには2時間かかりましたが、ラジオをガンガンかけて踊りながらのモップさばきは完璧。当時よく聞こえてきたお気に入りの曲は、クイーンのボヘミアン・ラプソディとか、ニルバーナのSmells Like A Teens Spiritとか。
便座のない、便器だけのトイレ
建物内のトイレ掃除もしたけど、3つ個室がある女子トイレのうち1つに便座がない!ので「これじゃあ使えないじゃない。なんで直さないの?」と聞いたら「わざと便座を取ってある」と言われても理解不能。
首をひねっているわたしの側を通り過ぎて、便座のついていない唯一のトイレに入って行ったのは、お相撲さんのように大きい女の人でした。
「・・・だからなのか・・・?」百聞は一見に如かずですね。
まだ全然書き終わらないんですけど、長文になってきたので、続きはまた明日書きます。次の記事は、イスラエルの小学校に日本の科目があったことについて。
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