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目を閉じたから、見えたこと。「わからない」から、あなたの声が聞きたくて。



あ、「わからない」ことって、悪いことじゃないんだ。


阿部広太郎さん主催のオンライン講座「企画でメシを食っていく」の第4回目の講義を終えて、いちばん最初に浮かんだのは、そんな感想だった。


今回、講義をしてくださったのは「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」の檜山晃さん(ひやまっちさん)。


講義の中で耳にしたこの一言に、わたしは心を救われた。



ここ最近、仕事や私生活のなかで、


「自分はなんて、ひとりよがりな人間なんだろう……」


「どうしてこんなに、一方通行なコミュニケーションしかできないんだろう……」



と、毎日悶々と悩んでいた。


けれど講義を経て、


今すぐに、相手の全てを理解しようとしなくてもいいのかもしれない。


一度伝わらなかったとしても、何度も言葉を変えて、対話を重ねたら、いつかお互いに "わかる" 瞬間がくるのかもしれない。



そんな風に思った。





「対話って、何?」


「どうしたら、相手のことも理解できて、自分のことも、理解してもらえるの?」



そんなことを、ぐるぐると考え続けた4週間。


自分にとっては「企画メシの課題である」ということ以上に、自分の生き方を見直す上で、大きな意味のある時間だったなあと思う。


そこで考えていたこと、最終的にわたしの「対話の企画」が生まれるまでの経緯を、今回も、書き留めておこうと思う。


1. 「対話の企画」ができるまで

目を閉じてパラリンピックを「音」で観戦してきてください。
そこで発見したことを「40秒」で話してください。

これが、今回ひやまっちさんから出された課題だった。



スポーツにまったく興味がなく、オリンピックすらまともに観たことがなかったわたしは、真っ先に


「まずい。これは今までで、いちばん苦戦するぞ……」


と思った。


出口がまったく見えないトンネルの中に、背中をどんっと押されて飛び込んでしまったような、心細い気持ちだった。



それに加えて、「音声を録音する」というのも、今まであまり関わったことのない領域。


26年間、ラジオもほとんど聴いたことがないし、電話すらも苦手で、避けてきた。


耳から入ってくる音声に集中できないわたしが、誰かに自分の声を届けることなんて、できるのだろうか……?


目を閉じる前からもう、わたしはすでに真っ暗な迷宮の中に潜り込んでいた。

1-1. 「対話の企画」の解釈


「興味がなかったこと」と「自分にとってあまり触れたことのない領域」の掛け合わせで、最初の一歩をどのように踏み出したら良いのかわからず迷子の状態。


そこから抜け出すため、ひとまず今までのように、「課題の解釈」をしてみることにした。

○なぜ、「対話の企画」なのか?

国籍や性別、文化の違い、様々な人が認められつつある世の中で、もっと「自分とは異なる他者」と理解し合い、誰もが生きやすい世の中にしたいという想いから、この企画が生まれた(ひやまっちさんが講師として呼ばれた)のかな、と解釈。
○対話とは、何か?

自分にとって対話とは、自分が見えている世界と、相手が見えている世界を、言葉を通してお互いに見せ合うこと。それを繰り返すことで、まったく別の人同士が限りなく近づき、混ざり合って新しい世界が生まれること。


1-2. どんな企画にするべきか?

パラリンピックの開会式前に、阿部さんとひやまっちさんの対談があった。


課題の解釈のヒントを見つけるために視聴して、今回の課題について、こんなことを考える。

○課題の解釈
・ひやまっちさんは、自分の盲点(他の人が、どんなふうに見えない世界を見たのか)が知りたいのでは?
・だとしたら、自分の着眼点で、自分が感じたことを、自分の言葉で伝えたらいいのかもしれない。
・同じものを見ている相手に対して、「自分はこう感じている。あなたは、どう見えている?」と問いかけることが、対話なのでは?


2.  パラリンピックを「音」で観戦して


8月24日。パラリンピック開会式。


普段、テレビをほとんど観ないわたしは家族のなかでテレビを観る権限がなくて、慌ててNHKの動画視聴サイトに登録する。


オリンピックすら観たことがないわたしに、パラリンピックを「音だけ」で観戦して、何か気付けることってあるのだろうか……?


不安でいっぱいな気持ちを落ち着かせて、競技の種類を上から眺めていく。


パラリンピックにおいてどんな競技が注目されているのか、どんなスポーツがメジャーなのかもわからなかったわたしは、


「とりあえず、気になったものを、片っ端から観ていこう。」


と決めて、少しでも身近に感じられるスポーツや、パラリンピックにしかない競技を、順に観戦していった。

2-1. わたしが発見したこと


わたしが今回観戦したのは、4つの競技。

○「音だけ」で観戦した競技
・陸上
・競泳
・車椅子バスケ
・ブラインドサッカー


それぞれで気づいたことを、観戦後に書き出してみたのだけど、今回の課題には、直接の形では反映しなかった。


それは、「こんなこと話しても、きっと面白くないだろうな…」という、自分の感性への自信のなさがあったからだろうな、と講義を聞いてから気づいた。


ひやまっちさんが、「今回、課題に取り組んでみたけれど、わからなかった」という人が、一人はいると思った、というお話をされていて、「ああそうか、それでもよかったんだな」と思った。


感じることは、人それぞれ。むしろその感性の違いを伝え合うのが「対話」であり、ひやまっちさんが「やってみたい」と思っていたことだったのに、わたしは自分を信じられていなかった……!と、反省した。



だから、自分が感じたことをなかったことにしないで、ここに全部、書き留めておこうと思う。


面白いかどうかはわからないけれど、これがわたしの感じたこと、考えたこと、だから。

○陸上
・まず、何が起きているのかまったくわからない。ピストル音の後は、しばらく無音が続く。
・選手が走っている音はあまり聞こえないけれど、近くに来ると、馬のような足音がする。人と馬の足音の違い、自分には聞き分けられない…!
・「48秒」って、どのくらい速いのだろう?目で見ればどのくらい速いのか、他の選手と比べられるからわかるけれど、数字で言われても、いまいち想像できない。でも、体感としては、「もう一周して、戻ってきたの?」と思うくらい速かったのが、音でわかった。
○競泳
・意外と解説の声が大きくて、あまり競技自体の音は聞こえなかった。もっと水音が聞こえるのかな?と思っていたから、意外。
・選手の「肩が動かない」という話を聞いて、じゃあ、どんな風に泳いでいるのだろう?ということが気になった。
・飛び込みの際は「ジャバン!」という音が聞こえたけれど、その後は、あまり水の音は聞こえない。無音が続く。
・「平泳ぎ」とか「ストローク」とか言われて、泳いだことがない人は、それらがどんな動作かわかるのだろうか?
・応援の音が印象的(カラカラと、高い鉄がぶつかる音)
○車椅子バスケ
・車椅子の座面の「高い」「低い」について解説があったけれど、具体的に視覚でイメージしづらいなあ。どのくらい違うのだろう?
・思ったより、ボールの音よりも、応援の声?選手の声?が大きく聞こえる。
・「ハンデに応じてポイントが決まっている」とのことだが、どのくらい違うのだろう?見えないと、想像しづらい。
・車椅子に座ってシュートしたら、ゴールまではどのくらい距離があるのだろう?そのシュートはどのくらい「高い」のだろう?
・「座面の低い選手が高い選手に囲まれる」って、どんな感じなんだろう。どのくらいの身長差があるのだろう?
○ブラインドサッカー
・選手も見えなければ、目を瞑っている自分も見えない。見えない状態で観戦して、初めて選手と同じ目線に立てる気がする。
・ボールの音は聞こえるけれど、声や衣擦れの音はあまり聞こえない。実際にピッチに立ったら、聞こえるのだろうか?
・気配や匂い、声、触れる手や足の感触で、「相手が誰なのか」分かったりするのかな?
 →見える状態で日常生活をしていたら、多分そこまでわからないだろうな。暗闇に入ったら、大切な相手を、自分は見分けられるのかな?
・キーパーは自分が見えている景色、起こっていることを、見えない選手にわかるように教えないといけない。
 →これ自体が、「相手から見えている世界を想像する」対話なのかな?


2-2. 見えていたから、見落としていたこと。


こんな風に気になったこと、感じたことを書き出していくなかで、わたしは今回「ブラインドサッカー」を通して気づいた「対話すること」について話したい、と思った。


はじめてブラインドサッカーを観戦してみて、他のどの競技よりも、選手同士が自分の意思を「言葉」にすることが大切で、仲間の考えや動き、気持ちを想像することが求められる競技なんだなあと思った。


見えていると、自分の枠組みで考えて、動いてしまう。でも、見えていないと、相手の枠組み(視点)で考えざるを得ないんだな、と。



…でも、待てよ。それは少し、違うかもしれない。



そう気づいたのは、自分がここ最近、


「自分の伝えたいことが、相手に伝わらない」


「自分の想いを優先してしまい、相手の気持ちが考えられない」


ともどかしさを抱いていたことを、ふと思い出したからだった。



自分が相手の目線で考えたり、相手がほしい言葉を選んだりすることができないのは、自分が目の前の相手を「見えている」「わかっている」つもりになっていたから、じゃないだろうか?


わたしは、


「こんな表情をしているから、きっと相手はこんな感情なんだろう」


「この人は自分と似ているから、たぶん同じように感じているだろう」


と、相手のことを、勝手に決めつけていたのだ。



「見えないから、選手たちは、相手のことが想像できる」


のではなくて、


「見えているかどうかに関係なく、どんな相手だって、きちんと言葉にして伝えたり、聞いてみたりしないと、本当のことはわからない」


と、当たり前だけれど見失っていたことに、気づいた瞬間だった。




だからわたしは、あなたの目で、心で、世界が見たい。


どんな色、形をしているのか、知りたい。


そんな切実な想いで、今回の「対話の企画」を、つくることにした。



▼そのときの気づきを綴ったnote。


2-3. あなたに伝えたかったこと


そんな気づきを経て、今回わたしが提出した企画は、こんな内容だった。


(なかなか40秒に収まりきらなくて、テイク7でようやくぴったりおさまったときは、飛び上がるくらい嬉しかった。)



***



「あなたの目で、世界が見たい。」


16番、岡崎菜波です。

「ブラインドサッカー」は、「言葉」が勝敗を分ける競技だと思っていました。

お互いに見えていれば、言葉にしなくても伝わる。
見えていないから、言葉にすることで、意思を伝えないといけない。


でも、本当にそうなんだろうか?

わたしたちが日々感じていることは、それぞれ違うはず。

言葉にしないと伝わらないのは、見えていても、同じなんだ。

今まで、相手の世界を想像しているつもりだったけれど、自分の目でしか、見ていなかったのかもしれない。

だからわたしは、自分の目を閉じて、あなたの目で、世界が見たい。


あなたの世界は、どんな色をしていますか?


***

3. 「対話の企画」と、これから。

3-1. 企画生の「対話の企画」を聞いて

企画生81人と、阿部さんや運営のみなさん、延長戦に参加している企画生の先輩方の声を深夜にひとりで聴きながら、わくわくする気持ちが抑えきれなかった。


一つひとつ再生ボタンを押しながら、最初は


「やっぱりみんなすごいなあ、わたしは反省点だらけだ…」


と落ち込んでいたのだけれど、声を聴けば聴くほど、その感情は次第に薄れていった。



着眼点が独特で「どうしてここに着目したんだろう?」と気になったり。


迫力のある歌声で、心を大きく揺さぶられたり。


強く焦がれてしまうような、比喩や言葉に出会ったり。


純粋に声が心地よく、何度も再生ボタンを押してしまったり。


まだ直接顔を合わせたことのない、画面の向こうにいる相手に想いを馳せる時間は、とても贅沢だった。

これからもっと、ここにいる人たちと対話を重ねていけるんだなあと思うと、自分はとても幸せな環境にいるんだな、という実感が、改めて湧いてきた。


3-2. 講義での気づきと、これから。


講義を経て思ったのは、こんな3つのことだった。

○講義を経て、気づいたこと

①もっと素直に自分が感じたことを、怖がらずに伝えてもよかったのかもしれない。自分の見えている世界を、相手にそのまま伝えることから、対話は始まるのかも。

②相手の名前を呼ぶ、呼びかける、感情を声に乗せて話す。それはどれも相手への気遣いや思いやりで、「話してみたい」を生み出すきっかけなのだろう。

「わからなさ」を受け入れつつ、今すぐに全てわかろうとせず、対話を重ねて、相手との境界線を溶かしていけばいい。焦る必要はない。わからないこと、知らないことも、楽しめばいい。


自分が相手の世界を「わからない」ことを素直に受け止めた上で、自分の世界に引き込もうとするのではなく、「どんな世界が見えるの?」と、素直に相手の言葉を聞いてみる。


それを聞いた上で、自分の見ている世界を、相手にいちばん伝わる言葉を探して、伝えてみる。


その繰り返しを経て、いつかわたしも「見えているか、いないか」にとらわれず、どんな相手とも「対話」を重ねて境界線を溶かして、一緒に、新しい世界を生み出していきたい



わたしの「対話の企画」は、たぶんここから。




わたしとあなたの境界線が溶け合った先には、一体どんな世界が待っているのだろう。



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