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気づかれなくてもここにいて、何不自由なく生きている


「岡崎、会社やめてたの?」

これは今日、前に働いていた会社の同期からきたLINEのメッセージだ。

珍しい人から連絡がきている、と思ってトーク画面を開いたら、内容がこれだった。

最初は冗談かと思った。

疲れて見間違えたかなと思い、何度か目を瞬いてみたけれど、何度読んでもメッセージの内容が変わることはなかった。

いやいや、ちょっと待った。
わたしが前の会社を辞めたのはもう3月上旬のことだし、それから半年は経っている。

季節で言ったらもう2つは過ぎているし、会社で言えば半期が終わる頃だ。

それなのに、今まで気づかれなかったとは。
しかも、そこそこ仲が良い方、だと(少なくともわたしは)思っていたのにだ。



ちょうど世界がざわつき始めて、前の会社ではすでにリモートワークがはじまっていた時期だったから、気づかれなかったのも無理はないかもしれない。

とはいえ、世界がオフラインではなくオンラインになることで、こんなにも簡単に自分は誰かにとっての見えない存在になってしまうのか、と思うと、少しだけ身震いしてしまう。

SNSを常に更新し続ける、という行為の裏には、そんな恐怖に抗いたいという感情もあるのかもしれないな、とふと思った。

オンラインの世界で、自分の存在を誰かに知ってもらうためには、忘れられないためには、常に何かしら発信し続けなければならない。

それがいいことでも悪いことでも、忘れられるよりはまし。いないことにされるよりはいい。そういう思いが、どこかにあるんじゃないか。

みんながみんなそう思っているとは思わないけれど、少なくともわたしがInstagramを再開した理由のうちのひとつには、こんな感情があったかもしれないなあ、と思う。



元同期はわたしが半年前に会社をやめていたことに気づいていなかったけれど、今、こうしてわたしを思い出して、連絡をしてきた。

オンラインでは一切つながっていないのに、何かのきっかけでふとわたしのことを思い出して、連絡してみようと思い立ったのだろう。

それはそれで、悪くはないかもしれない。

自分はここにいるよ、と常に声を張って両手を振っていなくても、自分はここに存在する。

それを知っている人は、覚えている人は、ちゃんとどこかに存在する。

だったら明日も今までどおり、自分が生きたい世界を無理せず歩いていたい。

気づかれなくてもわたしはここにいるし、何の不自由もないのだから。

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