平行線のふたりでも「一緒に生きる」を選ぶのは
この人と一緒に、生きてみたい。
そう思っていたはずなのに、年明け早々、わたしは大きな壁にぶつかった。
誰かと一緒に生きるって、こんなにも難しいことなのか……。
そんな風に思ったのは、お互いに自分と相手の感情に向き合い、心と身体を消耗しながらふたりで「話し合い」を1ヶ月半続けてきたから。
出口の見えない日々の中で、もがき、ぶつかり、傷つけ合うこともあった。
それでもわたしたちは「一緒にいる」ことを選んでいる。
今わたしの中には、とても不思議で、それでいて必然のような、はじめて抱く感覚が広がっている。
年が明けてから、わたしと彼は毎週「話し合い」を繰り返していた。
お互いに仕事や勉強で忙しく、いつもより些細なことが気になる時期だったというのもあるかもしれない。
わたしの場合は、ほとんど外に出ない日が続いて、気持ちが落ち込んでいたというのもあるのだろう。
とにかくわたしたちは、毎週のようにどちらからともなく
「実はこういう時、とても苦しいと感じる」
「ずっと言わないでいたけど、本当はこう思っていた」
など、小さな不満や苦しみを、定期的に伝え合うようになった。
それらはどれも、価値観やこれからの生き方の根幹に関わるような話にまで発展していって、最終的には
「じゃあ、わたしたちはこれから、どうやって一緒に生きていけばいいんだろう?」
という、一筋縄ではいかない迷宮に入り込んでしまうのだった。
彼が「実現したい未来のために、今、できる限りの努力をしたい」と思うのに対して、わたしは「後悔したくないから、今をいちばん大切にしたい」と思っていた。
だからわたしは、彼が毎日仕事や勉強を頑張っているのは応援したいと思う一方で、
「この時間は、結婚して家族ができたら終わってしまうし、今しかできないことを、もっとふたりでしたい」
と、少し寂しく思っていた。
それに対して彼は、
「自分はふたりの未来のために頑張っているし、それによるプレッシャーも大きい。それだけは、わかってほしい」
と思っていた。
彼は仕事が好きで、一緒にいる時もよく考えていることを話してくれる。
わたしも仕事は嫌いじゃないし、むしろ楽しいと感じることの方が多いのだけど、年明けから急激に「自分が苦手な分野」と向き合う時間が長くなって、かなり弱っていた。
だから、ある時わたしが
「こういう話を聞き続けるのは、実は少し苦しい」
と言ってしまった時、画面越しから彼の落ち込んだ様子が伝わってきて、「ああ、こんなはずじゃなかったのに…」と落ち込んだ。
一方で、わたしが仕事以外のことを考えたくて、彼といつか一緒に行きたい旅先やお店を見つけては共有していると、
「情報が送られてくるたび、負担に感じて苦しい。自分にとってこういう情報は、仕事以上に頭を使うものなんだよね。」
と申し訳なさそうに言われて驚いた。
お互いが好きなもの、得意な分野が違うこと。
半年前までは、こんなにも違う人間であるということが面白かったし、それがお互いの魅力なんだと思っていた。
それなのに、今はこんなにも苦しいなんて。
どうしたらいいのか、わからなかった。
そしてそれ以来、今後の生活水準、仕事と家族について、お金の使い方など、ありとあらゆるテーマについて「お互いの感情を伝え合う期間」がしばらく続いた。
それはとても、心と身体の両方を削られるような時間だった。
話をすることが大切なことだと頭では理解していたし、こんなにも価値観が違うわたしの話を辛抱強く聴いてくれる彼の存在は、とてもありがたかった。
けれど心はそううまくはいかなくて、ただでさえ苦手分野に向き合うことで追い込まれていたわたしにとって、それは過酷な日々だと言うしかなかった。
彼の感情は、守りたい。
彼が大切にしているものはわたしも大切にしたいし、夢は一緒に叶えたいし、ふたりで幸せになりたい。
本心からそう思っていた。
だけど、彼の感情を優先することは、自分の感情を押し殺してしまうことと等しい。
「未来の目標がなくなってしまったら、自分は何のために頑張ればいいんだろう。生きる意味がわからなくなるよ」
と不安げに口にする彼の声を聴きながら、わたしは
「それでもやっぱり、この時間にはいつか終わりがくるから、今ふたりの時間を大切にしたい。今を我慢して日々を過ごしていたら、それこそわたしは、何のために生きているのかわからなくなる」
と心許ない気持ちになる。
本当は、お互いの価値観や感情、大切にしたいものを、一緒に守りたい。その気持ちは、ふたりの間で共通していた。
だけど、こっちを立てたら、そっちが立たない。
そんな状況ははじめてで、困惑した。
「自分と相手の感情を守る」ということが、こんなにも難しいものだったなんて。わたしは全くわかっていなかった。
誰かと一緒に生きるって、こんなにも難しいことなのか。
突然、人生の行き止まりに来てしまったわたしは、それでも出口を見つけようともがいていた。
彼との「話し合い」は、しばらく平行線だった。
中間地点をみつける、というのもなんだか違うし、「いい解決策」はなかなか思い浮かばない。
毎回、わたしの中では
「結局は、お互いの話を聴き合うしかないね」
という結論に至ったし、彼も
「こうやってふたりで話をして、傷つけ合っては仲直りすることを、これからもずっと続けていくんだろうね」
と言った。
「それができる関係性になった」と捉えたら、決して悪いことではないのかもしれないなあと、暗闇のなかで、ようやく手を繋いだ時のような心地がした。
この1ヶ月半の中で、最も大きな「話し合い」を終えた深夜3時、わたしはふと
「こんなにも価値観が違うのに、別れるという選択肢が全く浮かんでこないのは、不思議だなあ」
と思った。
「ただ、彼のことが好きだから」という理由だけで、わたしは心も身体も消耗する話し合いを、なんとか続けることができている。
こんなにも平行線なのに、なぜかふたりの関係性に、未来に希望があることを、信じて疑ったことがない。
「他にもっといい人がいるんじゃないか」なんて発想も、1ミリもない。
ただ彼のことを好きというだけで、こんなにも大変なことを乗り越えられるのなら、わたしたちはもしかして、どこへでも行けるんじゃないだろうか?
そんな楽観的な考えすら浮かんできた。
「結婚と、恋愛は別」とはよく言うけれど、好きじゃなかったら、彼に恋をしていなかったら、わたしはこんなにも大変なことを、乗り越えることができたのだろうか。
少し前まではわたしもそうやって結婚を割り切って捉えていたけれど、いざ自分がその渦中に飛び込むと、「合理的な理由よりも、好きという気持ちの方が、よっぽど大事かもしれない」と思うようになった。
むしろ「好きという気持ちだけで、価値観の違いも乗り越えて、一緒に生きる道を実現するんだ」と、心の中に闘志のような感情すら芽生えてきて、思わずそんな自分に笑ってしまった。
そしてこの週末、久しぶりにふたりで出かけたわたしたちは、これから行きたい場所、やってみたいことの話ばかりしていた。
ふたりでいると楽しいことが次から次へと浮かんできたし、この先の未来を考えると、明るく鮮やかな映像が目の前に広がった。
話し合いの続きも少ししたけれど、心は終始穏やかだった。
何より、
「考えてみたけど、結局は好きってところに戻ってくるんだよなあ」
という彼の言葉を聞いて、「なんだ、同じだったんだ」とわかって嬉しかった。
「一昨日まであんなに喧嘩してたのに、今日こんなに楽しいなんて、すごいね。やっぱり俺たちは、これからも一緒にいるんだろうなあ。」
そう微笑む彼の言葉に頷きながら、これからもわたしたちは、ただお互いを好きという気持ちだけで、どんなに長いトンネルも、高くそびえ立つ山も、乗り越えていくのだろうなあと思った。
「春になったら、桜見に行こうね。それまでは、頑張るぞ〜!」
大きく伸びをする彼の隣で、次の季節を待ち遠しく思うあたたかな幸せを、ゆっくり噛み締める。
こうやって何度も、わたしたちは一緒に冬を越えていく。
壁に突き当たっても、分かり合えないことに絶望しても。
ただ、お互いのことが好きだから。
たったそれだけだけど、いちばん大切な理由で。
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