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わたしの世界を変えたのは、全部きみの言葉だったよ



彼からもらった言葉を、どこかに残しておきたい。
そう思ったのは、年が明けて数日経った、ある日のことだった。


残しておきたい。


そう思ったのは、昨年のわたしが「今年はいい1年だったなあ」と思えていたのは紛れもなく、彼の言葉たちのおかげだったと気づいたから。


やさしい言葉ばかりじゃない。


時には、目を背けたくなるような現実を突きつけられたこともあった。

だけどそれも含めて、彼の言葉には無視できないような不思議な力があって、いつもわたしの心をまっすぐに突き刺して、ゆっくりと広がっていった。

時間が経つにつれて、最初は刺だと思っていた言葉が、ほんとうは優しさだったことに気づくということも、何度かあった。



彼は自分の身を削って、わたしにたくさんの想いを届けてくれた。だから今も、こうしてわたしの心に留まっているのだろう。

文章を書くと必ず誤字があって、言葉にあまりこだわりがない、彼。

それが、こんなにも自分の中に残っているというのは、なんだか少し複雑な気持ちでもある。

だけど、結局いちばん大切なのは、表現力や言葉遣いじゃなくて、相手の心に伝わってほしいという、「想いの部分」なのかもしれない。

彼のまっすぐで飾り気のない言葉に触れていると、「伝える」とはこういうことなのかなと、核心の部分を教えてもらっているような感覚になった。



彼と出会って、一緒に過ごした半年間。
わたしの世界を大きく変えた、5つの言葉。



時が経っても忘れないように、今ここに、書き留めておきたい。


「生きてるだけで、かわいいよ。あの犬と同じで。」


彼とはじめて会った日、この一言にわたしは目を丸くした。先に断っておくけれど、これは決して馬鹿にして言ったことではない。

(当時のわたしは、一瞬そう疑った。)



あれは、満月の夜のことだった。
ベンチの下でくつろいでいるゴールデンレトリバーを眺めながら、

「犬って、生きてるだけで可愛いよねえ。いいなあ」

と何気なくつぶやいたのを耳にした彼に、真顔で言われたのがこの言葉だった。

当時は「お世辞か冗談のどちらかだろうな」と思ってあまり本気にしていなかったのだけど、後になって、本心だったことを知った。


「生きているだけで、尊い。」

「そのままが、いいんだよ。」


そんなことを繰り返されても、当時のわたしは騙されないぞと何故か心を頑なにしていた。



そんなわたしが、昨年参加していたオンライン講座「企画メシ」を通して、自分の価値をちゃんと認めて、最終回で「自分のまま生きる」と宣言をすることになるなんて。

いま振り返ると、あれは彼の予言だったのかなあ、なんて思ってしまう。

企画メシでのわたしの宣言を知った彼は、


「そうだよ。俺は最初からそう言ってたよ。ようやくわかってくれて、嬉しい。」

と、ひとしきり感慨深そうに繰り返していた。



▼この言葉をもらった日のことを書いたnote


「ななみは、学びすぎている気がする。」


昨年参加していたオンライン講座「企画メシ」や、仕事の相談をしていた時に言われた言葉。

この半年間、毎回の企画メシでの振り返りや仕事での学び、自分自身の課題の話をすると、わたしの「学んだことはすべて吸収しようとする」姿勢に、



「その姿勢は確かに大事だけど、学ぶことに満足してない?」



と、問いを投げかけられた。

この言葉を聞いたときは、



「全力で頑張っている人に向かって、そんなこと言う……?!」



と、信じられない気持ちでいっぱいになった。

一方で、自分でも思い当たる節がありすぎて、簡単に無視することもできなかった。



わたしは「学びの量」が多いことに安心してしまって、ほんとうは何も身についていないのかもしれない。そう思うと、なんだか急に恥ずかしくなった。

この時から、わたしは何かを聞いたり学んだりした時に、すべて吸収しようとせずに、本当に心に残っていることを一つだけ決めて、実践するようになった。

ただ、「学びすぎる」のは自分の性格であり、強みでもあると最近ようやくわかってきたので、こういう自分も愛してあげたいなあと、思ったりもする。


「ななみは将来、絶対成功すると思うんだよね。」


将来の話をしている時に、何度か言われた言葉。

自分のキャリアや人生について不安を口にすると、必ずそんな言葉が返ってきた。

わたしを喜ばせようとか安心させようという気持ちで言っているのではなくて、本心から言っている、というのが伝わってくるから、わたし自身も、自分を信じることができるようになった。

心強くて、何度も背中を押された。



だからこそ、普段だったらプレッシャーに感じてしまうようなこの言葉も、彼が口にするとなぜか安心できて、いつしかわたしの中でお守りになっていた。

彼がいつもお世話になっている人に会わせてもらったとき、目の前で同じことを言ってくれたときは、嬉しさと照れくささで、つい下を向いてしまった。

がんばろう、と自分を奮い立たせるとき、いつもこの言葉と彼のきらきらした表情を思い出す。


「期待に応えたい」

じゃなくて、

「待っててね」

と心から言えることが、わたしにとっては何よりも嬉しい。


「決まりをつくろう。どっちかが成功したら、一緒に喜べるように。」


お互いに「刺激を与えなきゃ」って孤独に突っ走るんじゃなくて、一緒に頑張って、喜べる関係性でいよう。

まだ出会って2ヶ月くらいの頃、彼は電話越しにそんなことを言ってくれた。



わたしは相手が弱っている時、うまくいかない時に支えることはできるのに、自分がうまくいかない時、引け目に感じて相手に頼ることができない。

頼った途端に価値がないと思われて、捨てられてしまうんじゃないかと不安になる。

相手がうまくいった時、それでもわたしは不安になる。相手が自分を必要としなくなって、何処かへ行ってしまうんじゃないかと思うから。

自分のことは信じられるけれど、相手のことは信じられないのだ。



だけど彼は、わたしが企画メシでうまくいった時に、先手を打ってこんなことを言ってくれた。彼もわたしと似ているのだということを、この時はじめて知った。



「ふたりでルールを作ったらいいかもね。たとえばどっちかが成功したら、旅行をするとか。」



そんな提案をしてくれた時、世の中にはこんな優しい決まりごとをつくれる人がいるんだ、とびっくりした。

心が、ぐっと根を張ったような感覚だった。
とても心強かった。



きっと、これからはどちらかがうまくいったりいかなかったり、もしくはどちらもうまくいかない、そんな時期がたくさんくるのだと思う。

だけどそんな時こそ、ふたりでルールを決めておくことで、楽しく乗り越えられる。

不安さえも楽しみに変えてしまう彼の軽やかさに、わたしはこの先、何度も救われるのかもしれない。



どんな明日が来ても、大丈夫。

そんな、あたたかな予感に包まれていた。


「結婚は、ふたりで自由になるためにするものだよ。」


共同生活が大の苦手で、誰かと一緒にいると気を遣いすぎて心身ともに疲れ果ててしまうわたしは、結婚に対してあまり前向きではなかった。



自由が奪われてしまうのが、怖い。


自分が自分らしく生きていけなくなりそうで、不安。



口には出さないものの、ずっと心の底でそんな風に思っていた。

対して、結婚願望が強い彼は、たびたびその話題を口にする。ある時、わたしが素直に自分の想いを打ち明けると、電話越しに言われたのがこれだった。

今まで自分が見ていた世界が丸ごとひっくり返るような一言で、しばらく固まって、口を動かすことすらできなかった。

黙ってしまったわたしに彼は、



「俺も自由は奪われたくないし、奪うつもりもないよ。」


「それに、ふたりでいたら、なんだってできるよ?」



と、楽しそうに笑っていた。



そうか、結婚は自由を奪い合うものじゃなくて、もっと自由になるためにするものなのか。

今まで心の底にぶら下がっていた重りが、急にふっと軽くなって、呼吸がしやすくなったような気がした。



この人となら、一緒に生きていけるかもしれない。



生まれてはじめて、「誰かと一緒に生きてみたい」と思えた瞬間だった。




***

あとがき

当初、このnoteを書こうと思い立ったときは彼に限らず、2021年、心に残っている言葉をリストアップすることからはじめた。

けれど、気づいたらほとんど全てが半年前に出会ったばかりの彼からもらった言葉たちで、昨年は彼に支えられて生きてきた1年間だったんだなあと、しみじみ思った。

半年前はただの「知り合い」だった彼が、わたしの世界をこんなにも変えてしまうなんて、あの頃は想像もしていなかった。

自分や、自分の見ている世界だけじゃなくて、ふたりの関係性がここまで短期間で変わったのは、彼の言葉や伝えようとする姿勢に、強く心惹かれたからなのだろうな、と思う。

たとえこの先関係性が変わっても、この半年間で彼にもらった言葉だけは、ずっと忘れないようにしたい。




そして、わたしもいつか彼の世界を、少しだけ変えてみたい。


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