変わりゆく街 〜渋谷〜
私は、東京・渋谷で生まれ育ち、一時期実家が横浜に引越したこともあるが、今現在も渋谷で暮らしている。
数十年前から現在までの「渋谷」を知り尽くしている人間の1人だと思う。
渋谷に、外国人や他県から人が集まる人気の理由とは何なのだろうか。考えてもよくわからない。
毎日のように、テレビのお天気情報で、スクランブル交差点を行き交う人々が映し出される。
自分の知らぬ間に、一体何回くらいテレビに映り込んだのだろうか。
自分の生きてきた街が、いつからか自分の街ではなく皆の街になり、世界に知られる街となる。
これは、嬉しさというより寂しさを感じてしまうものだ。
新宿でもなく池袋でもなく、なぜ渋谷なのか。
子供の頃の渋谷は、本当に楽しかった。
今の渋谷ではあまり見られないが、何のお祭りも無い日に、安いアクセサリーの出店のようなものが出ており、1コ200円くらいのブレスレット等をお小遣いから捻り出して買ったりしたものだ。
お店の人がおまけで、もう1個持っていっていいよ、と言ってくれると本当に嬉しかった。
小学生が普通に歩いていても安全な街だった。
ストリップ劇場の前で、地べたに座り、中に入って行くおじさんたちを観察する。中ではどんなことが繰り広げられているのか、子どもには興味津々だった。
お店の人に顔を覚えられ、よく「あと10年したら働きにおいで。」などと言われたものだ。
中学生になるとマルキューに入り浸り。お金がなくて何も買えないが、いつかこんな服が着たい、と夢を膨らませた。
ダサい服は1着もない。超ミニスカートにハイヒール、欲しいものだらけを目の前にし、ただ指を咥えて眺めていた。そこには、可愛い、カッコいい、が溢れていた。
当時私が欲しかったハイヒールを、ある日、大人の女性が試し履きし、そのまま会計していた。羨ましい!私も早くハイヒールを履きたい!買えるようになりたい、と思いを募らせた。
この服は、デザインがこうだったらもっとカッコいいのではないか、等の妄想をいつも抱いていた。
そして、私は新卒で働く会社にアパレル業界を選んだ。服やお洒落が大好きな人間には楽しい業界だった。
今のヒカリエがある場所は、五島プラネタリウムが入っているビルだった。高校生のデートコースの定番。星より何より隣の相手にドキドキしながら、暗くなる瞬間を待ち、ロマンティックな気分に浸る。忘れもしない私の初デートの場所だ。
当時の恋人も渋谷生まれ。
渋谷で手を繋いで歩いていると、必ず誰かしらの友達にバッタリ会う。「ヒューヒュー!」(古い)だの「いいなあ。」だの言われながら、スペイン坂でクレープを食べたりした。
当時は、そのプラネタリウムの隣にフルーツパーラーがあり、パフェを食べていると、女優の浅野温子さんが隣に座ってきたこともある。渋谷は、皆さんが思っているより、有名人や芸能人、モデルさんがよく出没する。代官山、恵比寿はもっと多い。たくさんの芸能人を生で見たことのある者から言わせてもらえば、実物の皆さんはテレビの5倍は綺麗で、華やかで細い。オーラがあるので、すぐに気がつく。
私にとってはそれは日常的だが、遠くに住んでいる、たまたま遊びにきた従兄弟などは、芸能人に会うたびに興奮していた。
昔大好きで毎日のように通った、センター街のHMVがあったビルは、Forever21等を経て、今はIKEAになった。
あの時代のHMVやタワレコは、洋楽好きの聖地だった。90年代はj-popも最高だった。
CDを買うか借りるかしないと音楽が聴けない時代、ジャケットを見たり、試聴したり、店員さんに「今流れている曲は何て曲ですか?」と聞いたり、流行りの洋楽や知らないアーティストのCDを買うのが楽しかった。冒険のようだった。今のサブスクとは大違い。
捻くれた言い方をすると、何でも聴き放題だよと言われると何も聴きたくならない。自分で選んだ曲にお金を払い、自分の価値観を買う。その過程を楽しんでいた気がする。
最近のTSUTAYAは、1階が全てj-popアーティストで展開され、流れてくる曲もよく知らないj-popばかり。タワレコにはk-pop専用のフロアまである。何か一抹の淋しさを感じ、最近はTSUTAYAやタワレコにも立ち寄らなくなった。
渋谷駅から井の頭通りを過ぎ、公園通りをまっすぐに進むとNHKがあり、その手前に昔の「渋谷公会堂」がある。
現在は、C.C.Lemonホール等を経て、LINE CUBE SHIBUYAという名前になっているが、名前がコロコロ変わろうとも、私の中では永遠にあそこは「渋公」だ。昔、伝説のバンドBOØWYが解散宣言した場所でもある。もっと昔は、歌のトップテンを生放送しており、松田聖子さんなどの出待ちが行われていたそうだ。
同じ曜日にNHKホールではレッツゴーヤングという番組も収録されており、あの界隈は大賑わいだったらしい。NHKホールは、その後ポップジャムなどでも公開収録が行われ、紅白歌合戦で使われている場所だ。
その横に、SHIBUYA-AXというお気に入りのライブハウスがあったが、2014年で閉館してしまった。
赤坂BLITZもなくなり、時代の変化を感じる。
渋公の道路を挟んだちょうど前に、eggmanという老舗の小さなライブハウスがあり、そこで売れたバンドは、会場のキャパが上がる、渋公→NHKホール→代々木第一体育館までのし上がるという、成功者のエリートコースのように言われていた。(代々木第一体育館はNHKホールの隣にある。)
今現在、現役で活躍している日本人アーティストでeggman出身という方は少なくない。インディーズの聖地で、公園通りのあの界隈は、音楽やアーティストたちのテリトリーとなっている。
そして現在、MIYASHITA PARKと呼ばれている、お洒落なショップが集まったランドマークは、昔は1階が駐車場でその上は、ホームレスが多い、宮下公園と呼ばれるただの公園だった。あの公園には、昔から思い入れがある。あれはあれで、あのままで良かったのに…
今の宮下パークは、ホームレスを排除したかのような新スポットになっているが、実際には高架下には落書きアートも残っており、ホームレスもまだわずかだが健在だ。しかし、こうしてどんどん街というものは、いつのまにか私の知らない街へと移り変わっていく。
セルリアンタワー、マークシティ…今は、南口の開発も進んでいるし、今後も次々大きなビルが立ち並んでいくのだろう。
地上を走っているオレンジ色の銀座線は、やたらと乗り換えが難しくなり、JRからの乗り換えも大変になった。地元ネタだが、半蔵門線を使ってJRに乗り換えるには、表参道で降り、向かいに到着する銀座線に乗れば渋谷でのJRへの乗り換えが早い、という暗黙の了解があったが、それも今では昔の話になってしまった。さらには、東横線も地下に移動。
宮下パーク前の明治通りの渋谷〜原宿間は、90年〜2000年代にかけて、最も、行き交う人々がお洒落をして歩いていた時代だったと思う。現在のネットで安く買えるファストファッションなんかではなく、裏原や表参道で洋服を選び、ファッションを競って楽しんでいた男子が特に多かった。
女子は専らアムラーが台頭してきた時代。夏でも厚底ブーツを履くギャルをよく見かけた。
スマホもなく、インスタに上げる時代でもない。
そのような時代なのに、パジャマのような格好では恥ずかしすぎて歩けなかったと記憶している。
六本木に行くと、もっとレベルが高かった。
歩いている全員がモデルに見える。
とはいえ、冒険好きな私は、高校に入ると貯めていたお小遣いでヒールや安いワンピースを買い、下手くそな化粧をして、よく六本木のクラブに忍びこんだ。今は、クラブに入るには身分証がないと入れないが、当時はまあ緩かった。
どう見ても子どもにしか見えなかったはずだが、店員さんは中に入れてくれた。
帰りのバス代すら捻出できない時代、友達と六本木通りを歩いて帰ったものだ。六本木通りには、途中、西麻布の交差点に交番がある。厳しい高校で、補導されたら退学。一巻の終わりだ。
そこを通る時は、ダッシュで走った。私がヒールを履いていても走れるようになった由来だ。
そして、ハチ公物語のハチが雪の中、ご主人を想いながらひとり亡くなったと言われている場所が、渋谷ストリーム寄りの246沿いにある、今の渋谷スクランブルスクエアだ。
ハチ公は、普段はその場所には行かなかったそうだ。自分の死期を感じ移動したのかはわからない。
私は、そのビルの47階にある、オープンスペースの展望台SHIBUYA SKYという場所に行ってみた。
東京タワーと同じくらいの高さに感じる。
しかし、空からの視点で見る渋谷に何も感じない。
それは、私がいつも横から渋谷を見ていて、その場の地に足をつけ生きているからだと思った。
私は、海外旅行が好きで、コろナ禍前までは、よく海外に出かけていたが、旅行そのものは楽しいし、その時は帰りたくないとは思うものの、どこの地にも住みたいとは思わなかった。
多分、地元が1番好きなのだと思う。
お盆に皆さんが地元に帰るのと同じで、渋谷に帰るのは楽しみというか落ち着く。
出張で東京を離れると落ち着かない。早く家に帰りたいと思ってしまう。
ドライブが好きで、鰻を食べるためだけに浜松まで出掛けても落ち着かない。帰りの東名で「東京」の標識が出てくるとホッとする。
これは、ビル群で生まれた特性なのかもしれない。
コろナ禍は置いておいて、今の中高生は、どこで生きているのだろう。学校とスマホの中だけ?昔話が多い婆さんみたいに思われるだろうが、私のあの頃は正真正銘、街で生きていたんだよ。街の中で涙し、怒り、笑い、楽しんでいた。時代は変わっていくけれど、当時はJKというアイデンティティを存分に街で発揮した。無駄に生きることこそが青春。
私はギャルではなかったが、かつて渋谷にいたギャルや高校生を見なくなってから何年くらい経つのだろう。私のような元JKたちがただ単に歳を重ねただけなのか。それとも、現役の方々には、スマホの中で生きることの方が街にいるより楽しく感じるのだろうか。
いつからか、楽しくお喋りする場所であったはずのカフェも、MacBookを持ち込み、1人で勉強する場になった。それがいい悪いということではなく、街は楽しむものと思っていた自分には、ギャップを感じざるを得ない。
宮益坂、道玄坂と呼ばれるように渋谷には坂道が多い。私の家も坂道を上がらないと着かない。昔は何ともなかったことが年々しんどくなっていく。
加えて変化が早い昨今の渋谷。心身共に追いついていけるだろうか。
だけど、渋谷は人を選ばない。住人だろうが他県だろうが一見さんだろうが外国人だろうが、老若男女問わず誰でもウェルカム。
(まあ、なぜハロウィンやカウントダウンに集まるようになったかは謎ですが。)
ハチ公が街を見守っていてくれるし、街も人も変わっていっても渋谷は渋谷。ハチと同じで、ここを一生離れたくない。
森高千里さんの歌にあるように「でもこの街が好きよ。生まれた街だから。」
皆さんも同じですよね♪( ´▽`)
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