こんな女の子になってしまった

女性は誰でも一度はお姫様ごっこをしたことがあるのではないだろうか。
面白いことに、そこで選ぶお姫様の傾向は、大人になった時にどんな人生を歩んでいるかに直結していることが多い。

オーロラ姫を好んだあの子は、注目を浴びるのが好きで恋人を絶やさなかった。
シンデレラをよく選んでいた友人は、健気な素振りを見せつつも恋愛には計算高い女性へ変貌した。

それでは私はどうだったか。
私の憧れのお姫様。
それは、コーデリア姫だった。

シェイクスピアの戯曲の中に出てくるこの姫を知ったのは、幼稚園の頃だった。
それまで一番好きだったお姫様は、白鳥の湖のオディールと、インディアンの娘ポカホンタス。
だけれどもオディールは悪いお姫様だと友人達から非難轟々、
ポカホンタスは可愛くないと散々けなされ、
終ぞ私は母親に、素敵なお姫様を教えてと泣きついたのである。

「コーデリアって名前はどうかしら。素敵なお姫様の名前よ」
私はもっと華やかな名前がいいなあなんて思ったけれど(スカーレットとかヴィヴィアンとかなんかそんなやつ)、
そのしばらく後に連れていかれた舞台でその戯曲を目にし、コーデリアを好きになる。

嘘をつけず、かといって自分の気持ちを伝えられるほど弁が立たない私と、
舞台上のコーデリアはまるでそっくりだった。
違うのは、その逆境に耐え自らの信念を貫ける心の強さの有無だけだった。

幼稚園の頃に憧れたコーデリアの存在は、年齢を重ねるにつれ近くどころか更に遠ざかってしまった。
それよりも今となっては、人の愛情を試さずにはいられなかったリア王の孤独と、年老いてなお愛を注がれ続けたいと願わずにはいられない人の滑稽さに泣きたくなる。

劇を観たのちに池袋の雑踏を歩いた夏の日が忘れられない。
浮浪者であろう老婆が、襤褸を纏い気がふれたように戯言を喚いていた。
その姿は、上の娘に裏切られた悲しみから正気を失い嵐の荒野に飛び出したリア王の姿と重なった。
現実を見据えることは、死ぬことよりも恐ろしいことなのか。それまで当たり前に享受していたものが、全て不確かな虚像に思えてきて、その晩は恐怖に慄き眠れなかった。

薄暗い舞台の中でリア王の腕の中で事切れているコーデリアを白い光が照らす。
狂気の連鎖の最中で、自分の愛に気づいてもらえた彼女の喜びは如何ばかりか。

真実を持参金にすることが、どれほどに難しいことか、私はもう知っている。お姫様ごっこに興じていた少女時代は終わったのだ。
けれど、それは悲しいことではない。
愛する人に自分の愛に気づいてもらえる喜びがどれほど大きいのかも、私は知っている。
言うべきことではなく、感じたままを語り合う事の豊かさも、私は知っている。

コーデリアを好いた少女は20年の歳月を経てこのような女性になりましたとさ。

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