私の背骨は控えめに言っても強靭

大学図書館に1,000円分のコピーカードを置いてきてしまったことに、研究室に戻ってから気がついた。
レストランのパトロンが良いワインをあけて、残りをソムリエに「飲んでいいよ」とお裾分けするみたいに、私も使いさしのコピーカードを置いてきたのだと思うことにする。多分違うけど。

「レストランの一番上座にどんな職種の人を案内するかで、そのレストランの方向性が決まるんだよ」
4年ほど前に私の恩師は、その日2番目に良い席に座って私にそう微笑んだ。

そのレストランはアジアで2番目に選ばれた、青山の創作フレンチのお店だった。
当時学部生だった私は、その高潔なエントランスに目を丸くしながらレストランに入り、すでに着席していた客達の目線を一身に浴びてかちこちに固まっていた。
先生はそんな私の分も注文を済ませて、ソムリエに私のグラスにシャンパンを注ぐように言った。
「よくみてごらん。中央のテーブルには日本人と欧米人の男性が四人。きっと、接待だね。給仕の人達が絶えず目を配れる場所で、場の中央にいると実感できるテーブルは、気分が上がりやすい」
「でも、先生はさっき車の中で、このレストランは僕のことために一番良い席をいつも空けてくれるとおっしゃっていましたよね。どうして、彼らの座る席でなくてこのすみっこの私の席が一番上座なんですか」
「どうしてだと思う」
私は先生のいたずらっ子のような笑みを見つめながら答えを探した。
「この席はとても居心地が良い。おそらく、適度に奥まっているからだと思います。けれど、奥まった席は給仕の方の目が届きにくい。その結果、お給仕の方は意識してこの席に気を配るのではないかしら」
「そうだね。その通りだ」
先生はうなづいた。その背後から静かに給仕の姿が現れる。テーブルの上でパンをこれから焼くのだという。

「社長、政治家、芸術家。レストランの一番上座にどんな職種の人を案内するかで、そのレストランの方向性が決まるんだよ」
そうかもしれない。
私はこれまで同席した会食のいくつかを思い浮かべた。そして、ソムリエのワインの選び方や説明の仕方の色合い、壁に掛けられた絵画の方向性、お給仕の方の距離感が少しずつ異なっていることにも思い当たった。
料理が進むにつれ、さまざまなワインが運ばれてきた。まだ封が切られていない状態のワインはどれも、王子様のキスを待つ眠り姫のように身体をソムリエに預けている。中には傲慢そうなものもいたが。
私がワインを勧められるのに取り敢えずうなづいていたら、合計6本ほどのワインの栓が開いた。どれも美味しくて2杯目をお願いするのだが、先生は、構わず次のワインを頼んでしまう。

口紅を塗り直すためにお手洗いに入ると、そこにはバカラのランプが置かれていた。
私の自室にあるランプの色違い。控えめに言っても、一般企業の初任給を優に超える値段がする品物のはずだ。
私のお部屋はトイレなのか。思わず苦笑したが、その指紋一つなくかがやくガラスの表面を見て、家に帰ったらランプを磨こうと決心した。
お金は幾らでも出せば、良いものは手に入る。けれど、その手に入れたものを損なうことなく自身の糧にできるかどうかは受け取り手の技量にかかっているのだろう。
幸い私にはその技量を身につけるだけの条件が備わっている。
私の強靭な胃と反射神経に乾杯。

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