化粧総崩れ

「全米が泣いた」のような客觀的な惹句は私の心に響かないので、代わりの言葉を考えた。皆さん使ってください。男性でも可!

時折ふらっと映画を観に行く、ひとりで。気に入ったら4回でも5回でも映画館に足を運ぶ。
私はサプリメントよりも、美味しいご飯を親しい人と食べるのが好き。ご飯を食べた後にお腹がくちくなって、身体の奥から暖まるのがわかるから。
安易に答えを提示する自己啓発本よりも、答えを模索する姿を曝け出す小説が好き。読み終えた後も現実は変わらないけれど、一歩踏み出す勇気が湧いてくるから。
泣けるという反射を謳った映画よりも、問題に立ち向かえと突きつけてくる映画の方が好き。映画館を出た時に吹く風が、涙の跡をなぞる時、世界の隙間に居場所を見つけた気がするから。
この世には、映写機でしか照らせない闇があるのだ。

この間、エンドレスポエトリーを有楽町へ観に行った。

この映画は、私が日常的に目を背けることを常態化している由無し事を日の光の下に引きずり出した。
私は映画を観ながら傷ついた。

同じ言葉を話しながらも、絶対零度で横たわる空虚は、言葉の本質を伝達させることができない。
暴力を振るった時の快感と、その後に打ち寄せる哀しみの波は、自我を沖の向こうまで押し流す。
それまで人に向けて語っていた言葉を、誰もいない路地裏で鏡の脇で呟いた時、「詩人」であることは、詩を生み出す「行為」に変わる。
道化師の姿を脱ぎ捨てたホドロフスキーは何者でもなくなったけれど、それでも、人は行為によって形作られるのだ。
ホドロフスキーは、それを映画の内側と外側を使って表現したのだろう。

映写機の光は救済の希望となって照らす。その光を受けて、歩き出せるかどうかは私自身にかかっているのだ。

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