個人的メェルストロム

自身の内面に、宇宙よりも広い内的世界が広がることに気がついたのは、十四歳の冬のことでした。
理科の授業で気圧について学んだ日の帰り道に、その考えはふと私の心に降り立ったのです。
空は高く、手の届かないところに刷毛ではいたような白い雲がたなびいていました。しかし、その雲の冷たく指先にちりちりと寄ってくる感触を、私は確かに知っているのです。

気圧に負けずに大気の底で生きるためには、それと同じだけの力強さで内側から押し返さなくてはなりません。
噂話によって、他者の悪意によって、外界から人間性は確立されるのでしょうか。
そうだとしたら、私たちは皆ぺったんこに押しつぶされてお煎餅になってしまいます。

十歳の頃の私は、ランドセルを嫌いリュックで登校し、ポケットのない白いワンピースで登校するためにハンカチとティッシュを入れたポシェットを提げ、お洋服が汚れるのを憂い教室で読書をするような少女でした。
担任は私のことをあからさまに嫌い、クラスメイトを扇動し私をいじめ排除しようとしました。

担任は、私を「好きだ」と言った男子を私とくっつけようとして、席替えの時に隣同士になるよう仕組みました。
微笑ましいですか?私は授業中も休み時間もその男子につきまとわれ辟易していたのですけれど。
彼は「七瀬ちゃんを見ると嬉しくなる」「楽しい気持ちが溢れてきてしまう」と言って、飛び跳ねたり、抱きついてきたりしました。きっと多動癖のある男子だったのでしょう。ただ、私はそれを素直に怖いと感じました。
担任の工作をクラスメイトから教えられた私は「フェアじゃない」と担任に抗議し、「席を変えてもらえるまで登校しない」と宣言しました。

家にいても学校にいても私がすることは変わりません。素敵なお洋服をまとい読書をし、時に楽器を弾いたりしていると、夕方過ぎに近所の子が私の家に連絡帳を届けに来ます。数日後に、席替えをやり直すことが決まったことを私は連絡帳で知りました。

学校の中の空気は目まぐるしく入れ替わります。自分の場所だと信じて疑わなかった机と椅子だって、よく考えれば一年前には全く知らない誰かが座っていたのですから。それが五年、十年と続いているのに、その痕跡はほとんど感じられないくらい小さくなっていく。そうでないと学校なんてパンクしてしまうのです。
久しぶりの登校は、自分の居場所がなくなった教室に無理やり体を押し込めていくような作業でした。教室の内側から、目線が圧力となって私の体を押し返すのに鈍感になることがどうして出来るのでしょう。

「あなたの自己中なふるまいのせいで、私達の時間が奪われたのよ」
女の子にそう言われた時、私は何が起きたのかわかりませんでした。数人の女子が私の机を囲み、上からそう浴びせかけ去っていきました。
仲の良かった男子に、私が休んでいたときのことを尋ねると
「先生が、七瀬さんは自己中です、ってホームルームで言ってたよ」とこともなげに教えてくれました。

それから数日のうちに私を襲った出来事は「いじめ」と定義してもよかったのでしょうが、私は自分は悪くないことを知っていたので、登校を続けました。
女子が机を囲んで行っていた「嫌いな人ランキング」の一位に選出された時、担任はホームルームでにこやかに
「そういうことをすると傷つく人がいるのでやめましょう」と言いました。私は手を上げて
「私は傷つきません。ただ、そんなことをしている人たちを可哀想だと思います」と発言し、教室を去りました。
前日の晩、母が私の髪をなでながら「あなたはきちんと自己主張が出来る、強い子なの」とベッドの傍らで囁いたことを思い返します。私は、大丈夫。

学校近くの公園で物思いに耽っていた私に、仲の良い男子数人が
「習い事ないんだったらサッカーやらないか」と声をかけてきました。
「靴が汚れるじゃない」と言いながらも、彼らの指導でだんだんコツを習得した私は、ボール遊びに熱中するうちに、体がほぐれていくのを感じました。がさつなだけだと思っていた男子が、こんな不器用な気遣いを見せてくれたこと、今思い返しても涙が出そうなくらい嬉しい。

十歳の私は、たくさんの愛を体のうちに取り込んでいることに気が付きませんでした。体の内側から生まれてくる力強さは、美味しいご飯と水に、美しい物語と音楽と、そして何よりも生まれたときから注がれ続けてきた愛情が混ざり合って循環したものなのだと、気が付きました。
脳裏に理科の教科書が蘇ってきます。山に降った水は人里を通りやがて海へたどり着き、また山へと戻っていく。その全てを太陽が見守っているのです。目を閉じると髪を揺らす風が耳元で音を立てるのが聞こえます。私も自然の恩恵に与る素晴らしい存在なのだと思いました。
雨が上がると、気圧は宇宙からの柔らかな抱擁となり私達を包みます。
愛された記憶は、時空を超えて太陽のように私の心を暖めてくれるのです。曇りの日も、雨の日も、太陽は変わらずに地球を照らします。
かつて私にあの男子が言った言葉が思い出されました。
私もきっと彼にとっての太陽だったのでしょう。

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