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原体験の旅~イタリアでの衝撃~


アメリカへのなじみが深い幼少期

私の両親は旅行が好きで、父が外資系航空会社に勤めていた時期があったり、母が私を産む前にアメリカ留学経験があったり、同級生に比べて海外が身近な環境だった。
そもそも、沖縄というアメリカ文化の影響が濃い土地で育ったのも、海外への抵抗感があまりない要因のひとつになっているのかもしれない。
私が幼少期の頃は、基地の中に遊びに行くことが今より簡単だったため、車で行ける「アメリカ」で、ビッグサイズの本場のバーガーキングを食べたり、やたらカラフルなお菓子やおもちゃを買ってもらったりするのが楽しみだった。

初めての海外はシンガポールとマレーシア


初めての海外旅行は、シンガポールとマレーシア。
モニターツアーに当たったからみんなで行こう、と喜ぶ母。
私は小学生だったこともあり、ただ親にくっついて異国へ行き、はぐれないように常に意識して、初めて見る景色を体中で受け止めるだけで精一杯だった。
その後も、アメリカ、中国、インドネシアに家族旅行で訪れ、その度に、「いろんな街があるな~」「世界は広いな~」とそれぞれ学びや発見もあるのだが、観光旅行の楽しさの域は超えていなかったように思う。

中学2年生でまさかのミラノに3ヶ月滞在

私が中学2年生の時に、父がイタリア・ミラノに短期留学をすることが突然決まった。せっかくだから、と家族で行くことになった。
初めてのヨーロッパ。家族の誰もイタリア語は話せないし、日本から距離が遠いというだけで心細いが、バタバタ準備をして出発。
どんなに不安でも、現地に着くと日常が始まる。どうにか、ここで3ヶ月無事に暮らさなければならない。できれば、できるだけ有意義に。
私は語学学校に通いながら、日本から持ってきた学校の課題をこなす生活を送ることになった。
語学学校への道のりは、最初こそ親もついてきたが、すぐに一人で通学するようになった。
生きていかねばならない環境に放り込まれたのと、中学生の吸収力で、3ヶ月が終わる頃には、生活に必要な最低限の日常会話はできるようになり、家族の買い出し番長を担えるようになった。
目の前でスリにあう人を目撃したり、デザイン性の高いファッションや雑貨にうっとりしたり、日々初めての発見があるあっという間の3ヶ月だった。

イタリアで感じたこと

ミラノは今まで訪れた海外となにもかもが違った。
まず、石の文化に驚く。日本だと木造が多いため古い建築物が少なく、あっても文化財扱いであることが多い。しかし、ミラノでは何百年も前に建てられた建物がそこら中にあり、生活に利用している。教科書で習った歴史的建造物も、気軽に入れることが多い。

レストランやバール(カフェのようなもの)も歴史が古い。
日本だと「イタリアン」はおしゃれなイメージだったが、食事やメニューは意外と保守的。
素材や調理のおいしさは絶品だが、メニューは案外少ないし、過度な「映え」はない。

知り合いになったイタリア人も、通学時に見かけるバールの常連も、それぞれ自分のルーティンやお気に入りを大切にしていた。

ある日、バールで隣になったマダムが、「ヨーロッパに比べれば、アメリカは新しい国。文化もふるまいもお子ちゃまよ」と話していたのも衝撃だった。
当時、私にとって、アメリカは大きな国だった。
映画や基地の生活でみるアメリカ文化への憧れもあったし、学校で習う英語はアメリカ英語だし、アメリカの政治経済に大きな影響を日本は受けていた。そのアメリカを子供扱いするとは。
でも、たしかに、アメリカだけがすべてではない。
少し極端に感じるマダムの言葉にも一理ある。
なにより、自国の文化に誇りを持っているのが伝わってきた。
「文化の成熟」「豊かさ」ということなのかなあ、と家族談義になったのも良い思い出だ。

世界にはさまざまな価値観の人がいて、生活スタイルも好みも意見もみんな違う。
言葉にすると当たり前のことだけど、中学2年生で、現地で体験したからこそ印象的だった。
私の旅の原体験となり、今も知らない土地や人に出会う楽しみにつながっている。



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