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「全国の体育の先生へ/球技音痴より」を読んで

この記事は私の高校時代女子ハンドボール部で同期だった友人が書いた記事です!

彼女との何気ない会話から広まったエピソードがこんな形で記事になるとは思っていなかったので嬉しい限りです

ぜひ読んでスポーツの指導者の方達の意見をいただけたら嬉しいです。


そもそもこの記事は朝日新聞のオピニオン面にて「ドッジボールは恐怖の時間」というとある学生の投稿から始まります。

教育現場での指導

学校という教育現場においてスポーツの時間が恐怖になってしまうという現実について再度考える必要があると感じます。

私は体育や部活という教育現場に感じる問題点はやはり勝利至上主義があまりにも強すぎるということです。

スポーツの指導者は、過去の競技歴が必ずと言ってもいいほど強調されます。「あの先生〇〇高校で全国大会出たことあるらしいよ」や「あのコーチはプロ選手と一緒にやってたらしいよ」と。確かに競技歴は気になりますし、上手い人に教えてもらうと上手くなれそうな気がします。

しかし、指導という場面ではその人自身のスキルや技術がどれだけすごくても、コーチングの能力が高いとは限りません。むしろできるが前提でやってきた人こそ、できない人の感覚がわからないことが多く「1人ひとりの動きを観察してアドバイスする」ことが苦手な人も多いイメージです。

そもそも少し考えてみて欲しいのですが数学の先生が「数学オリンピックで入賞したことあるらしいよ」や「あの先生の修論がすごかったらしいよ」とは言われません。

指導者という立場の人が持つスキルにここまでフォーカスが当たるのは体育やスポーツだけな気がします。

指導者の語られ方

なぜそこにフォーカスが当たってしまうのかを考えた時に色んな理由が絡み合っているとは思いますが、私が感じることは

良い指導者として世間から評価される人が過去に輝かしい競技歴がある人ばかりだからだと思います。

もちろん相対的に競技歴がある人の方が実績を残している人が多いのかもしれません。

ですがそのような人たちがこぞって出すインタビューや書籍は「スポーツにおけるスキル指導」ではなく「勝負場面での戦略や選手の組み合わせ」「勝つ組織を作るには」や「どこに行っても通用する人材になるには」のような個人技術以外のことばかりです。

正直スポーツで結果を残しただけで、人格形成的なことまで経験論で声を大にして発信しているのも少し違和感があります。笑

逆に個人技術の専門書は、大学の教授などが「球が速くなる投げ方」や「スイングスピードが上がるバッティングフォーム」などを科学的な根拠を用いながら説明している印象です。

世間で話題になる指導者が個人技術について多く語らないのは「人それぞれの特徴にあった指導法があるから」なのかもしれませんがその指導をする選手はもともとの基礎技術が備わったいわゆるエリートの人たちばかりですしついていけない人は置いていかれることもあるのではないでしょうか。

そもそも体育とは

教育現場ではエリートだけが対象ではないのが前提ですし、基礎技術を初め周りとどのようにスポーツを楽しむか、どうやったらより身体をうまく使えるかを主体的に考えさせることが本来体育や部活に求められることではないのでしょうか。

運動が苦手な人が恐怖や負い目を感じスポーツを嫌いになってしまうような現状はやはり本来のあり方ではない気がします。

勝つことだけを目指す指導方法は変わるべきですし、個人のレベルに合わせた指導や、それによって得られた結果や成長を認め尊重できる指導者やチーム、組織が増えるといいなと思います。

おわり

教育現場では「個人と向き合う」ということはとても重要ですが、それらをこなせるほど先生や指導者に余裕がないことや、人手が足りていないこと自体も問題だと思います。

東進予備校が個人にあった勉強の仕方を「映像」を用いて提供したようにスポーツでも「映像」や「分析」「情報」を用いてより質の良い指導やコーチングが広まるといいなぁと思います。



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