スポーツがきっかけで不登校になった私がスポーツにこだわる理由
はじめまして!
筑波大学体育専門学群4年の高木です👐🏻
スポーツで不登校になったくせに、体育学専攻してんの?と驚いた方は是非読んでください
突然ですが、わたしは将来スポーツ界に貢献したい!と本気で思ってます。
ちょっといきなりすぎましたね。笑
ただ今の私にとってこの気持ちが1番の原動力なのです。
では、なぜそこまで【スポーツ】にこだわるのかをここで書き記したいと思ってます。
スポーツがきっかけで不登校になった中学時代
これについては友達にすら言ったことがなく公表することにかなり不安はありますが、この出来事が自分にとって【スポーツ】というものに真剣に向き合うきっかけになったので友達や知人には読んでほしいと思い書きます。
中学時代の自分は
バスケ部キャプテン/生徒会長/スポーツテストは満点/勉強もそこそこ/家族や友達も大好き と字面だけみれば超絶ハッピーなやつでした
こんなタイプの人が不登校になるの?と今の自分でも思いますが、こんなタイプだったからこそ不登校になったんだと思います。
中学入学当初の自分は、バスケ楽しい!上手くなりたい!もっと練習したい!みたいな感じの素直なスポーツ大好きマンでした
ただ中学時代周りの指導者はプレーで怒ることもはもちろんですが「お前なんかキャプテン向いてない」「お前が口出しするとチームが悪くなる」「恋愛してるやつは上手くならない」「テストで点取れないやつはバスケも無理」「怪我するほど練習してないくせに休むなよ」とわりと過激にその人自身の問題についてチクチク言われることが多かったのかなと…ですがそれに従い周りの指導者から選手として認められるほど周りの仲間からは遠ざけられ、陰でごますってると言われてしまうジレンマ。笑
学校という教育現場では指導者に従い文句は言えないのが当たり前、友達は大切にして仲良くしないといけないのが当たり前になっていると思います。
そしてそれが部活やスポーツだとより強調されることが多いのではないでしょうか。
このような環境下にい続けているうちに、自分でも自分がわからなくなり気づけば
監督の思い描いてる人物像にならないと
人に何か言えるほど自分はえらくない
悪口言われても仲間と仲良くしないといけない
上の人の言うことは聞かないといけない
こんな気持ちだけに心が支配されていった記憶があります。
スポーツ自体を楽しんでいたはずがいつのまにか他人の期待や信頼を裏切らないために必死になりすぎ、なぜそうしないといけないの?という思考も止まっていました。
中学までは真面目に先生の言うことをちゃんと聞いて、友達とも仲良くすることが正しいと思い込んでいたからこそこうなってしまったのかなと。
これ以降、自分が起こす言動の1つひとつに自信が持てずバスケをプレーすることはもちろん、人と話すこと自体が怖くなり気づけば家の部屋から出られなくなり学校にも行けなくなりました。(ここから救い出してくれた母のエピソードもありますが、今回は割愛します。)
これを機に、スポーツを観ることもすることもパッタリと辞めたのです。
高校入学で全てが狂う
塾や家族の支えもあり高校へ進学することができたのですが中学時代、目立てば目立つ程周りからの期待が大きくなることや、陰でたくさん反感をくらうことを経験していた分「高校では静かに目立たない様に生きていく」と決意し入学説明会にいきました。
説明会が終わり母親と帰ろうとした瞬間にポンっと後ろから肩を叩かれ振り向くと、
「入学式で新入生代表挨拶を、高木さんお願いします」
と初対面の先生に言われてしまいました。
そんないきなり目立つようなことしたくないと断りましたが先生も代わりを探すのがめんどくさかったのでしょう、ゴリ押しされてやることに
この時に父親が
きっとあなたはそうゆう運命なんだから諦めて今まで通り自分らしく過ごせばいい
と応援してくれました。
そして高校では運動部にすら所属するつもりがなかったのですが
絶対楽しいからハンドボール部入ってよ
と先輩から入学早々に誘われて、渋々体験入部にいくと楽しすぎる!!!と入部を決断
「スポーツとは一生関わりたくない」とずっと思っていたのに一瞬で心変わりをしてしまいました。笑
高校でハンドボールに出会いその面白さに魅了され気づいたらスポーツのことが大好きな自分に戻れていたのです。
スポーツは諸刃の剣
スポーツには、人を魅了する力もあれば人を傷つける力もあるんだな
とハンドボールに出会い強く思いました。
自分はスポーツで苦しめられたけど、それでも自分を救ってくれたのもスポーツでした。
スポーツだけではなく何事も関わり方だけで、その人に与える影響や価値は変わってきます。
だからこそ私は
より多くの人が幸せだったり楽しさを見つけられるようなスポーツとの関わり方や魅力を探していきたいのです。
東京オリンピックを機に
東京オリンピックパラリンピックの開催に向けても多くの意見があげられています。
もちろんどちらかが絶対に正解ということはないと思います。
ただ、どの判断をするにしても
どちらの意見や気持ちも考える/知るということが1番大切なのではないでしょうか。
これが絶対!と決めつけるのではなく、こんなデメリットもあってあんなメリットもあるから今はこれがベターなんじゃないか!そんなふうに考えていけたらいいのではないでしょうか?
スポーツは感動を与えることができれば、スポーツで絶望を与えることができてしまうのです。
本当にこの時期に開催することはスポーツの価値を存分に生かせるのでしょうか?
それともスポーツの価値ってこんだけかよと思われてしまうのでしょうか?
オリンピックを機に今一度、【スポーツの持つ力】について考えてみてはいかがてしょうか?
読んでいただきありがとうございました。
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