【習作 無題②】瀬名さん (修正再投稿)

 七十になったばかりの瀬名さんは、まだらボケのある軽度の認知症で、一人で生活するのは危ないけれど、認知症が進行してしまうのも心配だというケアワーカーのアドバイスもあって、ことぶきハウスの中の共同キッチンのあるフロアに入所した。身寄りはいないという話で、本人も認知症が進む前に財産や部屋をどうにかしたいと話していたが、幸い親しい友人は何人かいるらしく、本人も周囲もそれほど心配はしていないらしかった。食事や排泄は基本的に自分ひとりで済ますことができるけれど、足が少し弱っていることと、なにかあるといけないということで、入浴だけは介助が入ることになった。
 ごめんなさいねえ、膝がもうすこし言うこときけばねえ、と言う瀬名さんは、小柄で細身で、さほど身体の大きくない私でも介助は大変ではなさそうに思えた。

 瀬名さんが介護者の条件として「去勢された人」を希望していたのは聞いていた。去勢自体はなんかしらの理由をつけて八十年代まで行われていたから、若い世代でもいないわけではなかった。だがその数は多くはなく、またいたとしても履歴書にそれを書いたりはしない。ほんとうはこういう理由でお願いしたりはしちゃいけないんだけど、と前置きをして、チーフは小柄で喉頭隆起のなかった私を指名した。瀬名さんは希望の理由をはっきり言わなかったが、去勢だけでなく切除までされた人だということは前もって職員に知らされていたから、おそらくそのあたりが理由なのだろうと思った。
 服を脱いた入居者の姿をじろじろ見ないというのは常識だが、やはり瀬名さんの場合は少し気を使った。
 切除された人だから――。
 戦前では、去勢は一般的に行われていたから、入所者でそれとわかる人はかなりいたが、切除された入居者は、ここに勤め始めてからは瀬名さんが初めてだった。戦後生まれで切除と聞いて、おそらく多くの職員が湘西産院の孤児の集団切除事件を思い出していた。
 服を脱いだ瀬名さんは、へそのあたりから下をタオルで隠して浴室に入った。おやと思ったのは、乳房の形で、授乳をしたことのある人ではと思うような形で、けれどそれも切除のせいだろうかと思い、入浴補助に意識を向けた。
 身体を洗いながら、おやと思った。湯船に入った姿を見て、それは確信になった。臍下から陰毛の生え際まで伸びる線は、ここで何回も見たことのある、出産後と同じものだった。

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