【つらつら草子⑲】うたうたい

 これも朗読用のネタです。
※知り合いのバンドの楽曲からの引用があるので、様子見て消すかもしれないけれど、一旦投下。

うたうたいがうたうたえというがうたうたいのようにうたうたえたらうたうたいのようにうたうたうけれどうたうたいのようにうたうたえないからうたうたいのようにうたうたわぬ
歌唄いのように歌唄えないことは歌唄いのように歌唄わぬ理由にならぬと歌唄いは言う 歌唄うものが歌唄いなのだから歌うたうものが歌う歌が すなわち歌唄いのような歌だと歌唄いは言う
 歌唄いのような歌とはなんぞや 歌唄う者の歌がそれだ 歌唄う者とはなんぞや それが歌唄いだ けれど歌唄う者が俺は歌うたいでないと名乗れば歌唄う者は歌唄いではないのか? ここには何も書いてありませんと書かれる黒板のパ ラ ド ク ス !

歌唄いは言う
おれを取捨選択するな おれを効率化するな おれを再開発するな
歌唄いは言う
おれを分析して 分断して 大体のところに当てはめようとするな
歌うたいはまごうことなく歌うたいのように歌う歌唄いだが、歌うたいは拒む レッテルを 歌唄いの名を 歌うたいのようだという形容を けれど歌うたいはまごうことなく歌うたいでそれは歌うたいという言葉が歌うたう行為そのものを指しているからで、歌わぬ歌うたいを指差して「あー歌うたいだ」と眼差されることを歌唄いはよしとしないのかもしれないけれど歌唄う歌唄いを指差して「あー歌うたいだ」と呼ぶ、その瞬間、歌うたいは、歌うたいであることから逃げ出すのかもしれない
歌うたいは言う
おれを取捨選択するな おれを効率化するな おれを再開発するな
おれを分析して 分断して 大体のところに当てはめようとするな

女か男かどちらでもないかは 今日の天気で おれが決める
いつどこで何を食うかは 今日の気分で おれが決める
何が大したことで何がそうでないかも おれが決める
歌唄いは言う
ねぇ君そうだろう?
歌唄いは言う
歌うたいのように歌唄えないから歌唄えないという俺に歌うたいは言う
何が大したことで何がそうでないかも おれが決める
女か男かどちらでもないかは 今日の天気で おれが決める
歌うたいは言う
順風満帆な人生とやらの 人質にだけはなってくれるなよ!

人質。
いやそうは言うても順風満帆な人生大事ですよ今31で10日後に32なんですけど、そうバレンタインデーなんですけどバレンタイン神父の命日生まれなんですけどチョコレート好きなんで「チョコ祭りだー!わーい!」とか言ってるうちに毎年誕生日過ぎてるんですけどいやー、平穏な人生素晴らしいっすよ、4月からドイツいるんですけどなんでか6回も引っ越しするはめになったんですね。ホームステイもしたしシェアハウスも住んだしユースホステル転々とする一週間とかもありまして、最初はね、初めての体験ですし楽しいんですけど、切羽詰まってくると「自分ひとりの部屋ほしい……おうちがあるって素晴らしい……」ってなりましてアグレッシブに動きすぎたせいなのに加えて今年本厄で「うそだろ去年のあの波乱万丈がまだ前厄だと!?」って愕然として、厄年関係ないんでせうけれど疲労困憊、日本帰ったら広くてキレイなおうち住みたい丁寧な暮らししたいきちんと掃除もしてきれいな環境できれいな空気のなか朝日を浴びて目覚めて深呼吸をしたいそのためにはお金がいっぱい必要だからお金を稼がなければいけない日本ひどい企業ばっかやけど馬車馬のように働いてお金をかせがないといけないって
これかーーーーーー!!!!!!
 あーーーー!
 めっちゃ人質になってるやん俺順風満帆な人生かどうかはわからんけど平穏無事な人生の人質になろうとしちゃってるじゃん俺、でもそれはそれとして健康で文化的な生活は必要ですだけどだからといって自分の境遇がクソならそれを肯定する必要はない、です!!心は!自由!思うだけなら自由で口に出したらそれはもう内心の自由でもなんでもないですが思うだけでは飽き足らない私は声を大にして言います健康で文化的な生活を送りたい月に一度は2.5次元に会いたいそのためにお金がほしいけれど「きっと親御さんも遠慮して口にしないだけで孫の顔見たいと思ってると思うよ」とか言うてくる上司、職場を!そこで金もらってるからと言って肯定する必要など!ない!!
 思うだけなら自由ですが自分の権利を勝ち取るには声を大にして訴えて戦わなければならないので内心の自由をはみ出してあーだーこーだと声に出します、0925検察庁を囲め、郵便ポストを爆破しろ!

歌唄いは言う
大阪駅の高速バスターミナルで
東京に帰るバスを待つ俺に

ライブはまたやりたいんやけどね、
でも今は、ロックって歌だけでなくて生き様やと思うんよ

 発言が薄っぺらく聞こえるのは私がうろ覚えの状態で彼女の言葉をいろいろすっ飛ばして朗読に使っているからです生き様、詩人であること作家であることロックンローラーであること、書かずに唄わずにそれを行う「自称なんちゃら」はワナビーと言ってしまえばそれまでだけれど、実際の功績と自称私であることとの間でもがいているのが自称なんちゃらですし私にとってその歌唄いは歌歌っていなくても歌唄いであり続けるしけれどそう思っている間歌うたいはもう自称歌唄いですらなくなっているかもしれない
 「近代文学の終り」に掲載されていた柄谷行人の講演録だかの中にあった、どこかの国の作家に関する記述で「その人は作家であるがゆえに筆を折ったのだ」というような内容があった、ような気がする、われながらうろおぼえすぎる悪い引用の見本ですごめんなさい、もう10年近く前に当時大学生だった弟と電話口で「作家なんて書いてこそ作家でしょ書かないことが作家だって意味わからん」とぼやきあった、それだけは覚えている、書いてこそ作家書いているからこそ作家じゃん何いってんと思った、けれどそれから数年たった大阪駅のバスターミナルで彼女の言葉にああと頷く
 歌うたいは言う
おれを取捨選択するな おれを効率化するな おれを再開発するな
おれを分析して 分断して 大体のところに当てはめようとするな
女か男かどちらでもないかは 今日の天気で おれが決める
いつどこで何を食うかは 今日の気分で おれが決める
何が大したことで何がそうでないかも おれが決める
歌うたいは言う
ねぇ君そうだろう?

歌を歌えばそれは歌唄いだろうが歌をうたうか唄わないか歌唄いなのかそうでないのかはその日の気分でわたしが決める
歌唄う歌うたいを見て「あー歌うたいだ」と眼差す俺の視線を歌唄いは否定こそしないがそれを是ともしないかもしれない歌唄う歌唄いはもう歌うたいではないのかもしれないし歌唄わず歩くそのときうた唄わずともその人は歌唄いであるのかもしれない
 頭を打ち抜けは虹が溢れるそれは頭の中で流れ続けているそれだそれは歌かもしれないし歌でないのかもしれないし歌でなくてもその頭は歌唄いのものかもしれない
 あたしが誰かはあたしが決める
 俺が誰かは俺が決める
 今日の天気で その日の気分で 起きた時間で 星座占いで たなくじで 
 ポプテピピックの中の人は毎回変わる!にも関わらずポプ子とピピ美はポプ子とピピ美である、ポプテピピック突っ込んだのは、たなくじって書いたら、あ、ポプテピピックじゃんて思ってそのまま書き出して見たんですけれどあれやばいですよね声優とはなにかキャラのアイデンティティとは何か中の人とは何かっていうそういう歴史とかキャラとかひっくるめた、私にはポプ子もフリーザもばいきんまんもスニフもみんな「ポロリ君」です!!
 ポプ子がポプ子であることは作者も読者も視聴者もディレクターも離れてもはや自律したポプ子である、ポプ子がポプ子であることはポプ子が決める、あるいはピピ美かもしれない、が!
 俺が誰かは俺が決める、今日の天気で俺が決める、あるいは占いで、あるいはおみくじで、棚くじで、今週のピピ美声優によって、あるいは一年前の私の書き残した「一年後の予定」によって、けれどそれを守るかどうかは今日の俺次第であるグッバイ一年前の俺!
 俺が誰かは俺が決める 明日何になるか俺が決める
 歌うたいのように歌唄う人を人は歌唄いと呼ぶかもしれない今ここで歌唄う俺を人は歌唄いと言うかもしれない歌唄いは生き様かもしれないし職業かもしれないしそうでないかもしれないが明日俺が歌うたいであるということを今日の俺が担保するのは覚悟にもなりうるが足かせにもなりうるけれどその覚悟も足かせも課せられるのは俺だけだから
 歌うたいは言う
順風満帆な人生とやらの 人質にだけはなってくれるなと
 歌うたいは言う
おれを分析して 分断して 大体のところに当てはめようとするな
 歌うたいは言う
 俺が誰かは俺が決める
 私が誰かは俺が決める
 俺が俺であることは俺が決める
 俺を、俺は人質に、するな
 ねえ君、そうだろう?

ご清聴感謝!

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