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自分なんて、と思ってしまう思考のクセのようなもの 。満足しながら向上心を持つ。

なぜ私はこれだけしかできないんだろう、もっとやれるはずなのに、とずっと思ってきた。

地元でトップの私立中学に進学し、その後大学はそこそこくらいの難易度のところへ行った。少し悲しいのだが、今でも人生のピークは中学受験の合格だったような気がしている。

高校生の時、担任の先生に暑中見舞いを出して、なぜこんなに自分はセルフコントロールができないんでしょうか、みたいな相談をしたことがある。ということは、十代半ばで既に悩んでいたらしい。

あれからいろいろあって、専業主婦になった今も、もっと効率よく家事ができるんじゃないか、もっと少しはおしゃれになれるんじゃないか、痩せられるんじゃないか、などと、自分は理想にどこか足りない、と常に思い続けている。

それが向上心というものであることは分かるが…ずっと、三十年以上こんな感じなのだ。下手に進学校に入ったがために、あまりいい成績をとれず、自分は中途半端だと思い始めたあの頃から。

こういうところ、そろそろ変えたいな、と思うようになってきた。

おばあさんになっても、私はもっと違うはずだ、もっとやれるはずだと思い続けるのだろうか、と考えたら…ちょっとぞっとした。

満足と向上心のどちらを取るかという問題。

ありのー、ままのー、過ぎても向上心がないということになるが、人生の終わりがけに自分に不満足なままで、幸せとは思えない。

でも、一生勉強、みたいな話も聞くし、そういう人は素敵だとも思う…じゃあどうしたらいいのか?

満足と向上心を同時に持つ、ということだろうか。

向上心は持ち続けながら、自分の人生は充実している、ここまでのことに満足している、と思うこと。

なかなかバランスをとるのが難しそうだけれど、目指してみる価値はありそうだ。




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