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久しぶりの朝の反省〜3歳息子転園して3週間目〜

今朝の反省


今朝は怒ってしまった。
自分に原因があって時間が遅れて自己嫌悪になることが多かったけど、昨日今日は比較的自分を律して生活リズムも家事をこなすのも上手くできたのに、それでも予定した時間をはるかに超えてしまい、「なんで頑張ったのに報われないの?!」ってなった。子どもに対しても、「なんでママはこんなに頑張ってるのに言うこと聞いてくれないの?!」って。
私はできることをやるしかなくて、それをやっても結果はわからない、自分が思う通りに人は変えられないってことを忘れてた。。

こらしめたい自覚


冷静になってぼんやり考えたのは、人って誰かを「こらしめる」ことが気持ちいいんだろうなってこと。私は言うこと聞いてくれない子どもに怒りながら、それを何かしらの方法で痛めつけることで発散してたと思う。かろうじて手は出さなかったものの、手を繋ごうとした子どもの手を振り払ったり、「わらってほしい」という子どもの訴えを無視したり、精神的に痛めつけてやろうと(ほぼ無意識に)行動していた。
後になるとそれもまた自己嫌悪になるんだけど、その一瞬はスッとするんだ。

叱るパフォーマンスと人間の性


公共の場で子どもが騒いで冷ややかな目で「叱れよ」ってプレッシャーをかけられる。それに応えざるを得ず、(これもほぼ無意識に)パフォーマンスのように子どもを叱るんだけど、冷ややかな目を送ってきている彼らにとっては一種の娯楽なのかなと思う。いじめの傍観、人を笑いものにするエンタメと近い。私も傍観者の経験はあるし全てを悪とするのも線引きするのも難しい。
おそらく人間の本能なのだろう。大学時代に出ていた心理学の講義でもそんなことを言っていた。人は自分が手を下さずに人が痛めつけられたり災いにあっているのを見ると快感を得るって。
きっとその性からは逃げられない。自覚していくことしかできない。

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