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「猫をもらうのも手放すのも月額380円」のサービスが炎上する理由と具体的な課題点

こんにちは。審査制の保護犬・保護猫マッチングサイト事業責任者をしている井島と申します。

「猫をもらうのも手放すのも月額380円」という驚きのキャッチコピーで物議を醸しているサービスがあります。主に批判的な意見メインで炎上し始めて数日経った今では、「保護猫の譲渡数を増やすためには必要なのではないか」と援護する意見も散見されます。

今回、炎上理由を「猫が可哀想」「命にお金がかかるのか」だけにしてしまうとミスリードな方向に向かいそうだと感じたので、具体的な課題点について言及してみようと思います。この記事はあくまで個人的な見解と課題整理を目的に執筆しています。

大前提、猫たちは自分達が「保護猫である」「お金が発生している」という理解や認識は持ちません。そばにいる人間が自分に危害を加えるのか、それとも愛情を与えるのか。今いる場所が安心して休める場所なのか。空腹を満たす食の在処、人間よりも遥かに「今」と「事実」に生きる命だと思っています。

なので、結果的に1匹でも多くの猫たちが、信頼できる人間(飼養者)と、食事と、寝床と、喜びが得られるであれば、人の主観・感情論は必要ありません

しかし今回炎上をしているサービス形態や運営のスタンスでは、その結果を得られない可能性が非常に高いため、ここまで批判を集めているのだと思っています。そして私も本件に関しては批判的な見方をしている人間の1人です。

SNSを筆頭にさまざまな意見を拝見する中で、「本サービスへの批判は感情論ではないか」「譲渡数を増やすためには仕方ない部分もある」という目眩がするような意見も見受けられたので、なぜ、指摘ポイントが多いのか具体的に説明していけたらと思います。

整理しきれていない部分もあるかもしれませんが、まずは「本件は感情論ではなく実害がある可能性が高い」という点が伝わると良いなと思います。

そもそも、どんなサービスモデルなのか?

まずは、サービスの概要を確認しましょう。すでに知っている方はスキップしてください。

ねこホーダイのaboutページ

✅ 株式会社のら猫バンクが運営する、月額会員制のサービス
✅ 月額費用380円を支払うと無料で猫を譲渡
✅ 飼養継続が難しくなったら提携シェルターで無料引取り可能(※猫の状態によっては引取り不可)
✅ 面倒な審査やトライアルもなく高齢者や単身の方も対象

月額380円払うと猫が「無料で」譲り受けたり手放したりできる。月額払うのに、そもそも無料という表現は…?という訴求文言の破綻も気になるところですが、ここまで批判が強まっている理由としては、人間の希望を叶えるために猫の負担が全く考慮されていないように見受けられる運営側のスタンスとサービス設計にあるでしょう。

「猫を飼うなら一生責任を持って面倒を見る」これは当たり前のことですが、それだと高齢者や単身者は中々飼うことができません。それならその「責任」を誰かが代わりに負えばいいのではないか、そんな思いで作られた「人と猫をつなぐプラットフォーム」それが会員制サービス『ねこホーダイ』です。

『ねこホーダイ』は月額380円の会員制サービスです。会員様は提携シェルターの猫を無料で譲り受けることができます。面倒な審査やトライアルもなく高齢者や単身の方でも大丈夫です。また、会員様が飼っている猫を飼えなくなった場合に、提携シェルターに無料で引取ってもらうことができます。

https://noraneko-bank.co.jp/about

飼えなくなったら誰かが責任を負えば良い、審査やトライアルは「面倒なもの」、この表現でGOが出るだけでも、保護猫のQOLに配慮した譲渡推進を行なっているとは考えにくいですね。

この過剰反応社会とも言われる世情の中、企業・個人の発信者は過剰なまでに表現の確認を行います。この表現で問題ないと思えたのはある意味ピュアというか、炎上商法なのかと勘繰るレベルです。

このサービスと提携する保護団体がいるのか純粋に疑問だったのですが、取締役として在籍されている方が保護団体を運営されている方のようですね。

表題にある具体的な課題点に関しては、2点言及したいと思います。

課題点①|本サービスによって実現される譲渡は、一般的な譲渡と比較し猫の心身に大きな負担が発生するリスクが高い

▼希望者の飼養者としての質に対しての懸念

本サービスが利用メリットとして打ち出している内容では、審査やトライアルを面倒なものとして捉え、何かあったら手放せることを利用価値に見出すユーザーが多い可能性が高いです。

その場合、猫によっては高頻度で環境が変化してしまう状況が許容されてしまったり、本来迎えるべきではない家庭への譲渡が簡単に実現できてしまったりするリスクがあります。(「迎えるべきではない家庭」には、ペットの食事・医療費の捻出が難しいほど経済状況や、個々の猫の性格に極端に合わない家庭環境、などが挙げられます)

ちなみに、過度に終生飼養に固執することも、それはそれで猫や飼養者のQOLを阻害するケースもあります。多頭飼育崩壊の現場を知っている方に「どんなに生活が苦しくても、死んでも手放すな!」と言う方はいないのではないかと思います。

しかし必要に応じてすぐに猫が手放せるという点をメリットに感じる又は違和感を抱かない希望者は、迎えた命に最期まで責任を持つ覚悟が欠落した状況で迎えます。その場合、猫の命を預かる候補者として質が高くない可能性は説明も不要なのではないでしょうか。

▼アニマルホーダーや虐待者への譲渡を防ぐことができない

上述した理由とも重複するのですが、「面倒な審査やトライアルがない」と記載されているので、譲渡先の環境・身元確認も行われていないと考えられます。その場合、虐待を目的にした人やアニマルホーダー(劣悪な環境で多頭飼育を行う人)の元に渡るリスクも格段に高まります。

保護活動に関わらない方にとっては聞き慣れないことかもしれませんが、世の中には虐待目的で野良猫の捕獲・保護団体から引き取ろうとする危険人物がいたり、自分の飼養能力を超えた頭数を抱えながらも手放すことができない悪質なホーダー(hoarder)も存在します。これらは動物愛護の問題だけではなく、精神疾患や社会福祉問題とも紐づく課題として認識されていますが、一見人当たりの良い雰囲気であるケースもあり、厳しい譲渡条件を通しても完璧な見極めは難しいといわれています。

多くの保護団体は猫たちの第二の猫生に強い責任を感じています。「相性の良い家庭に譲りたい」という想い以外にも、このような究極のリスクを避けるために審査を実施しているのです。

その役割を「面倒な審査やトライアル」と一蹴し軽視している運営側が、本当に猫のための譲渡推進を求めていると受け取ることは難しいです。

課題点②|本来の目的が置き去りになり一人歩きする「譲渡数増加」

「殺処分ゼロ」の是非の議論と似ているのですが、今回は「譲渡数増加」の目指し方から生まれた議論でもあるのかなと考えています。

殺処分問題への社会的関心が強くなり始めたここ数年間で、「殺処分ゼロ」こそ目指す指標だとして賛同を集めてきました。

しかしその数字目標と推進の裏では、保護後は過密飼育や行き届かない医療・ケアでQOLが全く保たれていなかったり、殺処分を行う保健所への過度な批判・妨害行為であったり、「数」を減らすために保護団体への横流しが強化されてしまったり。本来の目的を置き去りに「殺処分ゼロ」という言葉だけが一人歩きしました。

今回はそれは「譲渡数」に置き換わったverと感じています。譲渡数はKPIの一つに過ぎません。「飼い主のいない猫を減らすことを優先するには、ある程度仕方ないのでは?」という意見もありましたが、冒頭で記載したように、目的にすべきは1匹でも多くの猫たちに、信頼できる人間(飼養者)と、食事と、寝床と、喜びを与えることです。

殺処分数や譲渡数という、KPIだけを追うと本来の目的に反する綻びが生じることを、私たちはそろそろ自戒していかなければいけません。

▼殺処分数を減らすための譲渡数の増加?

そもそも、譲渡数の増加推進はすでに生じてしまった課題に対しての対処療法であり、殺処分問題の根本解決を担っているとは言えません。

猫の殺処分数は年間1.9万匹強で、そのうち66%は幼齢期の子猫が占めています。猫の高い繁殖能力による過度な野外繁殖・家庭内での想定外の出産によって幼齢期の子猫が収容されますが、離乳前の子猫の場合は3時間おきのミルクや排泄サポートが必要で行政職員の現実的な対応キャパシティを越えてしまいます。そのため、処分数の半数以上を離乳前の子猫が占める結果となっているのです。

なので、数を減らしたいのであれば「リスクあるけど、面倒な審査やトライアルやめて、手放すのも簡単にして一旦譲渡数を増やそう!」という極論の展開の前にも、ミルクボランティアの普及、飼養者の飼養能力の超える繁殖を防ぐための不妊手術の普及や、TNRを伴う地域猫活動の推進など、しっかりと根本的な数値課題からブレイクダウンした施策の議論を進めるべきだと考えています。

従来の後見人制度と何が違うのか?

「ねこホーダイ」のサービス背景にある課題感には「飼い主を必要とする猫はたくさんいる。そして猫を迎えたくてもNGにされてしまう方もたくさんいる。手放す時のリスクを軽減することでその数を増やせば良いのではないか?」という考えがあると認識しています。

実は設計の仕方さえ整っていれば、昨今増えてきたペットの後見人制度と仕組みは類似するところがあります。サブスク的な費用が発生すること自体に嫌悪感を抱いている意見も見受けられましたが、保護活動においても譲渡費用などは発生します。

一般的な譲渡でも数万円の譲渡費用は設定されていることが多い(細かい話をすると届け出ている動物取扱業によって費用設定の制限は異なる)ため、月額380円という価格設計は、サービスの規模や今後の拡充性も考えると、利益だけを目的にした商売として運営するには安価すぎる印象です。

命に値段は付けられませんが、命を守り、責任を果たしていくために資金は大切です。それは人間社会であっても同じだと思います。良質な食事を得て、適切な医療を受けるためにもお金は発生します。私個人の考えではありますが、保護活動こそ、どのように資金を得ていくかは愚直に考えていくべきだと思っています。

なので、私は本サービスの利用に費用がかかること自体に批判的な意見は持っていません。しかし、本サービスと既存のペット後見人制度には大きく異なる点が2点あります。

▼ 誰が責任を負うべきかの観点

本サービスサイト内にも記載されているように、高齢者や単身者は譲渡審査で落ちやすい事実があります。それは終生飼養の達成の実現可能性を検討軸に設定されていることが多く、OMUSUBI(お結び)には全国280団体が登録していますが、方針は本当に千差万別です。

終生飼養に特にこだわる団体の場合、高齢者に限らず単身者や未婚カップル、妊娠・出産の可能性がある既婚家庭へもNGを出す場合もあります。これに関しては保護団体の価値観・方針によりますが、審査落ちした希望者はペットショップやブリーダーから子犬・子猫を迎える方も多い現実があるため、譲渡条件の過度な引き締めは保護犬・保護猫から迎える選択肢の普及を阻害しているかもしれない、というリスク回避と普及のバランスに関する議論は継続的に行われています。

と、譲渡条件の実情の前置きが長くなってしまいましたが、ねこホーダイと既存のペット後見人制度では、譲渡条件の際に課題に挙がりやすい終生飼養が困難になった際に「誰が責任を負うべきか」の観点と「想定される引き取りシチュエーション」が異なると考えています。

ねこホーダイでの「責任」を誰かが代わりに負えるようにすれば良いというスタンスに対し、ペット後見人制度は、一度迎えた飼養者が最期まで責任を果たすためのセーフティネットを担保しておく仕組みです。

この違いで発生するのは、課題点で挙げたような利用者の質はもちろんのこと、想定されている引き取るシチュエーションや条件の違いも大きいと考えられます。いつでも手放せる飼育放棄を助長するサブスクと、万が一のセーフティネットとでは全く次元が異なるものです。

▼費用の設計と持続可能性

また、引き取りを伴う費用設計も大きく異なる印象を持ちました。これはむしろ、ねこホーダイが月額380円という安価な価格を設定している状況になります。私が知っている既存のペット後見人制度では月額数千円〜が設定され、実際に飼養継続が困難になった場合は追加費用が発生する設計もあります。

これは安価だから良心的、という訳ではありません。例えばアニコムの年間支出調査では猫1匹にかかる費用は年間16万円程度といわれており、平均15年寿命としたら生涯240万円はかかる計算です。

ねこホーダイで万が一引き取りが発生した場合、1匹の猫の1年間を担保するだけでも、約421ヶ月分(35年分)の会費を回収しなければいけません。もちろん付帯サービスも検討しているのかもしれませんが、サービスの持続可能性としても私は疑問を持っています。

さいごに

n数1のことはあまり語りたくないのですが、さいごに元保護猫の愛猫と19歳のシニア犬と暮らす飼われ主として。

猫が考えていることなんて、分からないですよね。結構ポーカーフェイスだし、共通言語ないし、人間が必死に「この仕草はこの意味があるんじゃないか!?」って研究して、なんとなく把握できていることもあるけど、本人(猫)たちからの答え合わせがないんじゃ100%なんて無理なこと。

でも私の愛猫のサンは、自分の名前を完璧に聞き分けているようで、「サン」と呼ばれたときだけ尻尾をパタっと振ったり、振り向いてきます。家族の足音も聞き分けて、帰宅後駆け寄るか、無視して寝るか決めているようです。

本当にしっかり人を見ていて、数ヶ月に一回しか来ない来客も忘れず覚えていて、一年位かかってやっと挨拶に出てきた人もいれば、初めましてで撫でられにいく人もいる。猫にも好き嫌いや相性ってあるんだなって実感します。

野良生活も長かったから、いまだにお腹を出して寝ることはありません。でも、一番信頼する人間(私)には、お腹部分をびたーっとくっつけて寝ることも増えてきました。

猫って、人間が想像するより、自分の置かれている状況を分かっていて、家族や家を認識しているんですよね。

人生何があるかわかりません。終生飼養が絶対!!なんて言っても、病気や事故、疫病や戦争、何が起こるか分からない。一生一緒にいられるなんて、人間と人間であっても奇跡のようなものです。

でも、家族の始まりに手放すことが当たり前の選択肢として存在することと、どうしようもない状況下でのセーフティネットがあること、これが同列だと思う方がどのくらいいるのでしょうか。

今回広がるさまざまな意見を拝見し、自分の当たり前だと思っていた価値観は、思ったよりも共感を得られないものかもしれないと、少し不安になりました。

保護活動って、猫たちからしたら別に感謝の対象ではないです。野良猫、保護猫、家庭猫、そうしてカテゴライズして呼んでいるのは人間側なのですから。

ただ、猫は野生動物ではありません。伴侶動物として関係を生んでいるのであれば、その責任はあくまでも人間にあります。だから、猫たちが生きる「今」と「事実」を快適で安全なものにしていくために、保護活動が必要なのです。

今回の件をきっかけに数字や社会情勢を都合よく解釈・利用することへの危機感と、問題の本質を振り返りながら、正しい「保護ビジネス」が展開されていくことを期待します。

お気持ちだけで嬉しいです!人と動物の共生社会のため、日々メンバーと頑張っています。もし良ければ私たちのサイトに遊びに来てください! → https://corp.petokoto.com/