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学年で下から2番目の私を学年7位にした先生。
忘れられない先生は、たくさんいる。何を書こうか色々悩んだ。悩んだ結果、今回は「勉強」面で私を伸ばしてくれた先生にスポットを当てたいと思う。
忘れもしない。中学入ってすぐの学力テストが返却された時。
「31人中29位」
私の地元は小さな田舎で、学年に1クラスしかない。31人の中で頑張ってもなぁという言い訳と、隣町の高校にエスカレーター式でみんな進学するし。というなんとも甘ったれた思考でふわふわと生きていた。
親からすればこの成績は発狂ものだった。ウォークマンを取り上げると言われ、どうしようもないと言われ家にも居場所がなくなっても、どうでもよかった。好きなことをして好きなものを食べられるなら無問題。究極の刹那思考だった。
それでもお気に入りのウォークマンを取り上げられるのは勘弁だ。大好きなビリー・ジョエルとエアロスミスだけは自分の手元に置いておきたかった。
好きなもののために、気は進まなかったが勉強をすることにした。
とりあえず問題集を何回も解く。同じところを何十回も解いた。原始時代を何度も繰りかえした。
国語はもう分からないから漢字を覚えた。こんな感じで五教科を繰り返し勉強したのだ。
当時の中学校では家で勉強したのを「家庭学習」として、各教科の先生に渡すというシステムがあった。帰りのHRで家庭学習は返される。隣近所の席から「え、めっちゃやってるじゃん!」と驚かれるのが楽しかった。30分の勉強時間がいつしか1時間、1時間半、2時間と伸びていった。
あれよあれよと中学2年の冬になった。途中で友達が転校したり色々あった。勉強は、ずっと12位、11位あたりを彷徨い、伸び悩んでいた頃。期末テストの結果が返ってくる。キスアンドクライで結果を待つフィギュアスケート選手さながらに祈る。
「30人中7位」
手のひらサイズの小さな成績表を3度見した。
ここまでたどり着くまで勉強法を変え、苦手な数学をなんとか伸ばした結果だった。今でもこの努力は私が生きていく上で頑張らなければならない時の支えとなっている。
「勉強する」ことを教えてくれた先生。それは
ビリー・ジョエルとエアロスミスだ。「好きなことをやるためには、まずやるべきことをやりなさい」と教えてくれた。
この記事は、ビリー・ジョエルの「ストレンジャー」を聞きながら書いている。ほんのちょっと前まではこの曲を聞きながら、右手の側面を真っ黒くして勉強していたんだと思うと時の流れは早い。大好きな音楽に教養を授けてくれたことを感謝しよう。
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