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迷子



苦しい苦しい苦しい。

距離を取ってから仕事も生活も順調だったから、程々の距離感で他人事のように聞き流してたことを少し距離を近づけて助けようとしたら自分の古傷を抉ってしまった。

最近父の認知症が始まった祖父に対する暴力や、実家を出た当初から気にかけていた弟たちのこと、母のこと、全部含めて頼られることも必要なことも見捨てられないことも自分の中にあって、聞くたびにトラウマが、幼少期に父親や兄に白豚瀬蟲女と呼ばれていたこと苦しかったこと、スローモーションで近づいて来る怖い顔の父親や吹っ飛ぶ自分。母親の言葉。弟が殴られているのを何もできずに見ていたこと。弱いものいじめの連鎖。その背中を刺し殺そうと思ったこと。自分の腕を切って生きてると実感したこと。愛犬が殺されそうになっていたとき苦しくて泣いたこと心臓が握りつぶされそうなあの気持ち、自分じゃどうしようもなくて逃れられない無力なあの感じ。いまの私ではないけれど痛みがそのまま奥からブワッと湧き出て苦しい。
胸が苦しい。涙が止まらない。呼吸が。
キッチンから包丁を取り出して、刃先を太ももに押し付ける。その痛みで我に返って一度は胸の苦しみが引く。それ以上切るつもりもないけれどまた苦しくなったら刃先を押し付ける。きれないけれどミミズ腫れになった。
彼の悲しそうな顔が浮かんで殴りたくなった。そうじゃない、これは生きたいって苦しいけど生きたくてでも苦しくてどうしたら良いかわからない胸の痛みを外に逃したくてやってるんだ。
そんな顔するならそばにいてよ、そう思って元彼を思い出した。苦しい時電話に付き合ったりそばにいたり未熟な部分はたくさんあったけれど寄り添うことを忘れなかったことを思い出してまた悲しくなった。今の彼はきっと素敵な人だ。優しくて誠実で多様性に理解があって。けどそれ故に寄り添うことができない部分に苦しいと言えない、言ったところでどうにもならないところが悲しくて自分を抱きしめた。普通ってなんだ。幸せってなんだ。何で生きてるんだっけ。
ちょっと人として足りなくてもそばにいてくれて、寄り添ってくれたことを忘れてしまった自分を悲しいと思ったし、けれど別れてよかったと人として尊敬できる彼がいて良かったと思う反面、寄り添えない痛みの部分が迷子になって夜道を彷徨っている。
今私の魂は終電を逃した上野公園でうろうろと歩きまわっているだろう。

別れを決めて離した彼が今日だけ何時になっても良いから会いたいと、泣いてきた時に突き放したことを後悔した。きっと誰でもよくてでもこの苦しみを一人で持つには辛すぎるからすがったのだろう。突き放しても元気でいることもわかっているけれど、良き理解者を自らの手で消してしまったんだなと思う。

床に倒れて無気力に涙を流していると横で尻尾を振る愛犬がいた。大丈夫、こんなに元気にしている。あの時の自分も愛犬も今安全な場所にいる。そう言い聞かせる。

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