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あの頃の世界



秒速5センチメートルをみた。
まだケータイも普及していない、手紙でやり取りをする少年少女。
13歳、親の都合について行くしかない無力な自分達。
それでも世界は輝いていたし、舞い散る桜は雪のように降って、世界には自分と彼女でしかなくて、初めて乗る電車はあまりに一分一秒が恐ろしく長く遠く感じる。

大人になってお金も時間も自由も手に入れてしまえば東京と鹿児島だって飛行機で数時間足らずだ。会おうと思えば会える距離で、飛行機から眺める景色をぼうっとみて思いふけてもすぐに着く。
なんなら、海外へだってお金と時間さえあれば行けてしまう。どこへだって自由だ。
スマホ1つで飛行機のチケットが取れて、アプリでやり取りができてそのメッセージは光の速さで地球の裏側まで届いてしまう。

あの頃の私たちの世界はもっと狭くて、ずっとずっと広かった。
汗を流して漕いだ自転車。
進んだ距離はちっぽけでも、そこから見える景色は世界中のどんな美しい景色よりも輝いて見えた。額を切る風が冷たくて、上気した頰を冷たくなった汗が線を引いて流れ落ちた。

家族、家、学校、帰り道、最寄りの駅改札。生活を辿る毎日。そこだけが世界だった。
一歩外に出てみるのは、とても怖くて不安で握りしめた小銭では350円の蕎麦でさえ買うことがなくて。内側から抓られたように痛む空腹。
東京から3時間かけて向かう栃木はどれほど心細かっただろう。

東京では2分足らずの一駅の間隔が、恐ろしいほど長いのだ。見える景色も見渡す限りの雪景色。白く染まった田園風景ばかり。
心臓がキュッと締まって震える奥歯を噛みしめて精一杯自分を奮い立たせる。
この心細さに飲み込まれないように必死だった。

大人になって手に入ったものがたくさんある。
失ったものは、きっと自分たちではどうにもならない理不尽で残酷な、とてつもなく広い世界で見る、恐ろしいほど美しく儚い景色と長い長い1日だったんだ。
子どもに戻りたいのは、あの頃の目を、あの頃の自分を、あの頃の感情を取り戻したいからなんだ。
ねぇ、僕らの知った世界はもっと青く光ってた。
鈍行の列車に乗って揺られる遠くの街が、どれだけワクワクしたか。
車ではいけない、息を切らしながら登る自転車の坂道がどれだけ期待を孕んだものか。

早すぎる1日。
足りないと嘆く時間も、仕事終わりに動くことも今を生きてる証拠で。
何かに焦って何かを悲しんでいるのは、どんどん見えすぎていく視野と衰える心だ。
大事なものを無くさないように日々闘っている。

そういう世界を忘れたくないんだよ。
きっと、ずっとずっと大切にできるんだよ。
君なら大丈夫。

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