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呪い



ななみが死んだ。

3/8に呼吸が荒くなって夜間救急へ駆け込み「覚悟してください」と医師の言葉に涙を必死で堪える。再発した乳癌が肺に転移していて気管支炎を起こしているのではと。隣にいたダックスを連れておばさまに火葬場の情報を聞いたりして、酸素テントレンタルをして自宅へ戻る。夫は仕事終わりだったが協力してくれて、次の日も見てくれた。

11日にななみと一緒に2年暮らした元カレが家にきて嫌ないじり方をしてきたけどななみに会わせてあげたかったから許す。夫とWBCを見て仲良くなって帰った。今カノが愛知で学生やってると聞いた。

12日の日中、ななみは元気だと連絡をもらい遅番終わりに苺をななみにと買って帰ると頭をぐるぐる回して焦点があっていなかった。
もうダメかもしれない、苦しそうに数回鳴いたななみの悲鳴が頭にこびりついて離れない。私の目を見る彼女の目から涙が、苦しい助けてと。もう楽にしてあげたい、首を絞めたら少し苦しむけど楽になるかなと思いながら背中や首をさする。夜間往診対応の病院へ電話するも医師が来るのと最期が来るのとどっこいどっこいかもしれない。結局、連絡がつかなかった。そのうちななみが立ち上がってぐるぐると回った後座り込んで伏せをして涎をダラダラと垂らしながら白目を剥く。肛門から便が出ていた。意識が遠のいて舌の色が白くなっていた。酸素マスクを当ててタオルで隙間を埋めると呼吸がだんだんと落ち着いてきたので、交代でシャワーを済ませる。しばらくして意識が戻った。
意識が戻るとマスクを外したがって暴れてしまう。何度つけようと近づけても、もがいてとってしまう。もしこの状態が朝まで続いてしまったら、往診の先生に安楽死を依頼すると夫に話していた。ななみを見ると先ほどまでの呼吸が止まり足がピンと伸びていた。急いで駆け寄ると、呼吸が止まり時々全身に力が入ってピンと伸びるように痙攣している。声をかける。「ななみ!ななみ!」瞳孔が開き、瞳にはもう光がない。身体を持ち上げるとぐにゃりと首が垂れ下がる。それでもまだ心臓がトクン…トクン…と動いていた。抱きしめて、2人でありがとうと伝える。痙攣が治ると同時に心音が止まった。
夫の肩に額を当て嗚咽を漏らした。肩を抱き寄せななみと私を包むように抱きしめた。2人で泣いた。
両親に連絡をすると来たいと言ったので深夜に、ななみに会いに来た。それまでに遺体の処理を夫と済ませる。生きてたら触らせてくれなかった口の中だったりお尻の穴にコットンを詰めた。何だか表情が情けなくて笑ってしまう。よく頑張ったねと声をかける。
泣きながら冷たくなっていく亡骸を撫で続け連日の寝不足でうとうとしていると両親と弟がきた。
父親が「まだ温かい」と言うから「ずっと撫でてたからだよ」と答える。
「たろうくんやポニくんも待ってるから」とかほざく。お前ら面倒みてないくせに一緒にするな。すぐ何かあると保健所だの、殴ったり閉じ込めたりしていたくせに。同じにするな。「会えなくなるわけじゃないんだからしっかりしな」と父親に言われる。原型をとどめていないくらいぐしゃぐしゃになった顔を見たからだろう。会えなくなるわけじゃない…?は?いなくなったら会えないだろう。うるせぇなこの糞爺。悲しんでる遺族にまともに声かけられないなら黙って金だけ置いていけよ。そう心の中で思いながら不祝儀袋を受け取る。

ななみ、あの温かいななみに触れられないんだ。目の前にある死体がななみの形をした全く別の物に見える。そこにあるのに本体はいないんだ。もういない。ななみのいた空間、形跡はあるのにななみだけがいない部屋。急にぶわっと寂しさが込み上げて苦しくなった。夜勤だったから、夜勤入りで火葬しようと思ったら夫が「夏じゃないから2日くらいは置いても大丈夫。ゆっくり行こうよ」と夜勤明けの日に有給をとってくれた。
夜勤明けにそのまま火葬場へ向かう。犬の葬儀だからか人の対応が簡素で別のところにすればよかったかと思うが金額が安くて、結果的にまぁいいかと。

魂と肉体は別と思っているからそんな執着していないのに、火葬炉に入れられるななみの死体をみて「行かないで」と思わず声をかけたくなった。ななみの姿形がこれで無くなるんだと思うと、悲しくなった。
骨になるまで30分くらい。手持ちのブザーがなるまで車で夫と話をする。不思議と晴れやかな気持ちで送り出せた。ななみが最後に看取る準備の時間をくれて待っていてくれたからだろう。苦しむ時間が少なく済んでよかったし飼い主に安楽死という選択をさせずに亡くなった彼女は本当に優しくて良い子だったと何度も繰り返した。旅行に行こうと、楽しいことをしよう。考えようと夫が言う。そうだね、これからは色んなところに行けるね。自由と引き換えにななみを失うなんてつらすぎるけど。ブザーがなる。なんだかフードコートみたいだね、このブザーと笑う。

葬儀の人に「結構年齢いってたでしょう。生まれた時に頭の骨の正中線と脳天の横方向に入るヒビが塞がってる。天寿を全うした証拠。人間で言うと100歳近い。顎の骨や歯もしっかり残ってる。大事にされてたんですね」と言われる。少し気持ちが晴れた。
「2人若いね、兄弟?」と聞かれたので「夫婦です」と答えると驚いていた。「若いんだから次に進まないと、日本の未来を背負う若者たちナンダから」とか人の話を聞かずに話したところはいただけなかった。うるせぇなこの糞爺。(2回目)

帰りに、好きな回転寿司まさのすけまで40分くらいで行けると言うのでいくことに。眠気も合わさってそんなに食べれなかったが、自分らを労わるには十分な食事だった。
ななみの骨を連れながら、旅先で散骨するかなんて話す。海は嫌だろうな、水が苦手だったから彼女。酸素濃縮機の返却に向かう。新吉田は前の職場でよく通ってた駅の近くだった。レンタル会社の受付の人が最後に深々と頭を下げていたのが印象的だった。

よく晴れた春の空が眩しかった。

ななみの骨壷を家のななみ用の餌台の上に乗せる。おかえり、ただいまと言い合う。
夜、選びきれなかった4枚の写真をコラージュしてコンビニプリントして100均で買った木目の額縁に入れる。近くの居酒屋で味の濃い沖縄料理を食べていると頭の中で平井堅の「瞳をとじて」が流れた。「カラオケに1時間だけ付き合って」と伝え、夫とまねきねこへ。平井堅の「瞳を閉じて」を夫に歌ってもらう。ついでに優里の「レオ」も。冒頭の動画でななみが家にきた時、箱に入ったななみが車で不安そうに私をみたことを思い出して号泣。あの小さなななみが伸び伸びと大きく育って寿命を迎え犬生を全うしたんだ。もう悲しくて悲しくて悲しい歌ばっか歌ってたら腹が立って、クリープハイプを叫んだ。
怒りの根源が悲しみであることを実感した。帰るとななみがいない。

次の日、仕事があるから朝早く家を出る。
日中に日が照って天気予報では21℃まであがると聞いていたから、家の空調が大丈夫かな、ななみは暑くないかなとか思いながらもういないんだったと、見守りカメラを開いて思う。開いた時に直前まで写っていた映像が少しだけ見れて写っていたななみが消えた。
軽い眠気に襲われながらも慌ただしく1日がすぎて帰宅する。ただいまと言ってもしんと静まったリビング。寝室だった部屋で寝そべってお菓子を頬張る。ななみの足音や後ろ足を引きずる音がしないか耳を澄ませる。おやつを欲しがる彼女が目に浮かぶ。おやつのボーロを手に取るけど、ななみは来ない。
ななみの匂いの染み付いた毛布に包まれながらスマホを見る。身体がだるい。19時になった。腰が固くなっていたのでヨガをする。夕飯を用意する。野菜の切れ端をまな板の端っこに寄せるけど「あ、ななみいないんだった」と気づいて自分で食べる。ななみのご飯用意しなきゃ、お水かえたっけ。生活の一部に必ずななみがいて、ななみがいるスケジュールや動きだったから何かするたびにななみがいないことを実感して、空虚な喪失感に苛まれる。すっぽりと抜け落ちてしまったみたいだ。
夫が帰ってくると泣いてしまった。ななみがいなくなって自由になったけど、ななみのいない世界で自由でも楽しくない。いてほしいと思ってしまう。彼女を見送れたこと、最後まで一緒にいれたことはよかったと思うす後悔もしていない。これ以上苦しまなくていいと思ったし、これでよかったと思っているけど、寂しいよ。彼女を言い訳にしたくないけど何もやる気が起きない。
疲れて眠る。

次の日、休日だけど眠い。コタロフ(犬のぬいぐるみ)を抱きながら眠る。スマホをいじる。布団から出たくない。何もしたくないできれば人に会いたくない。仕事があれば外には出るんだけど。
今日はハセさんがランチに誘ってくれたから、外に出た。天気が悪い。少し肌寒い。
心配してくれてるのもうれしかったけど職場の愚痴というか結果的に私が話を聞く感じになって疲れた。でも夫のことや両親への不満を聞いてもらえたのはかなり救われた。
ななみのことを考える。頭が痛い。帰りたい。夫に牛乳を買ってほしいと言われてたことを思いだす。
ここ数日、ななみがいなくなってから夫の帰りが早くなってたのが嬉しくてできれば、ずっとこう早く帰ってきてくれればいいのにと思った。子供なんかできたら、早く帰ってきてほしいし。仕事や趣味も頑張ってほしいけど、彼がしたいような生活はきっと私が寂しくなる。辛いだろうな。ななみがいなくなったら、どうなるんだろうってずっと思ってた。きっと早く帰ってきてくるのも続かないだろうな、今日は遅いみたいだし。

母親に「あのまま女子校から大学まで行ってれば今頃子育てしたりできてた」と言われたことを思い出す。まずあのままで大学行って結婚してたら子供産まれても虐待するか殺してたよ。今自立してやりたいこともできてるのは実家を離れて自分でものごと決められたからで、紆余曲折があったから夫と出会えたけどそれがなかったらきっと今の私もいないし結婚なんて考えられなかった。それはおかしいよ。そう言いかえした。
父親に夫が独立したいと考えていることを伝えたら、私が家庭に入ってサポートするべきだと言ったことを思い出して、中学生の時付属大学の就職率をみて「どうせキャバレーにでも売ってんだろ」って馬鹿にしてたことを思い出す。忘れてないから。あの時あの発言。アンタらがしたこと言ったこと忘れてねぇから。全てが憎い。彼らの思考が呪いみたいだ。

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