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0からの撮影

最初の撮影について(written by 監督 岸)

 撮影を始めたら?という先生のアドバイスに基づいて、ツテをたどって役者やロケ地を手配して、いよいよ夏休み中に撮影が始まります。役者さんのスケジュールとロケ地の都合を加味して、4日間の強行突破撮影でした。

 1日目の撮影が終わって、丸一日かけて撮り終わったのに編集し終わったシーンはおそらく5分ほどでした(撮っているときには15分くらいだと思っていたのに、こんなに短いとは…)。しかし、そのシーンは実は最終版においても追加撮影以外で使われることとなった唯一のシーンとなります。 

 そして、いまだに撮影を担当した伊藤くんはそのシーンを観るたびに当時のカメラの腕前に愕然とした表情を浮かべています。本編を見ると、おそらく画面でも撮影の腕がどれだけ上がったかというのはシーンごとにわかるほどで、周りも驚くほどに伊藤くんの撮影技術は伸びていました。
 3日目の撮影当日の朝、これは撮り終わらないという結論が出て、ワンシーンワンカットという手法ですべてを乗り切ろうと決断をすることになります。そして、結局ここで撮ったシーンは授業で見せてすべて再撮影になりました。

 追加撮影に向けて、毎週のように授業での監修の先生方の言葉を思い出しては、ああでもないこうでもないとカメラ位置をボードに書いてはみんなで話し合っていました。ロケハンで自前のカメラを持ち、最初のシミュレーション撮影で撮りたいシーンを語った彼に可能性を感じて撮影監督を任せた次第でした。何度もの撮影を最後まで奮闘してくれた、いわば戦友の一人、撮影担当の伊藤くんにバトンタッチします。

撮影担当 伊藤くん

 『ななめの食卓』撮影を担当しました伊藤です。

 今回、監督の方から「編集後記を作りたいから、今週末までに1000~3000字の原稿を送ってほしい」という、大学生のレポートのような依頼を受け、こうして筆を執っているわけですが、なかなかの無理難題であるように思えます。何しろ、撮影していたのは一年近く前のことなのですから。それゆえ、内容には多少の不正確さが伴うことをお許しください。人の記憶は都合の良いように書き換えられていくものです。

 思えば、この作品の撮影自体が無理難題への挑戦の連続であったように思います。この作品の制作が始まった一年前、私には映画を撮影した経験がないばかりか、制作現場に参加した経験すらなかったのです。私は当初、映画作りのことはよく分からないが雑用や手伝いであれば自分にでもできるのではないかといったぐらいに考えていました。それなのに、監督に趣味で写真を撮っていると話したことをきっかけに、気づけば撮影監督の大役を任されているではありませんか。

 さらに監督は私に、自分には映像のイメージがはっきりとあるわけではないので画面の構成は任せると言いました。私は内心、困ったなと思いながらも、撮影の勉強とコンテ書きを始めました。撮影に関しては、カメラの仕組みや扱い方といった初歩的なことからの勉強でした。白状すると、私はそれまで写真を撮っているといっても、気にいった風景を何となく撮っていたという程度で、フォーカスを手動で合わせたことすらなかったのです。その一方で、コンテ書きは非常に楽しい作業でした。作った経験はなくても見る方に関してはそれなりの数の映画に触れていましたから、ここにはあの映画のあのショットをといったように想像しながら作っていくわけです。

その当時、私は蓮實重彦氏の『監督小津安二郎』に傾倒していたので、小津映画に関してはかなりの本数を見返し、参考にしました。今思い返すと、映画撮影という全く未知なことであったにも関わらず、当時の私は心配や不安というよりむしろうまくいくという自信と期待を感じていたように思います。突貫工事ではありますが撮影についても勉強しましたし、何より頭に浮かんでいるのは世界の小津安二郎の映像ですから、何も不安を感じる要素がなかったわけです。無知って恐ろしいですよね。

そして迎えた撮影の日

 そうして撮影を迎えたわけですが、当然と言ってしまえば当然ですが、全くもってうまくいきませんでした。まず、私が不慣れなこともあってとにかく段取りが悪い。三脚を立ててカメラをセットするというだけでも時間がかかります。さらに現場にはコンテを書く段階では分からない様々な制約があるものです。思ったほど引けず、狙ったサイズの画が撮れなかったり、そもそもカメラの置き場がなかったりといったようなことで、その都度方針の変更を余儀なくされます。そうこうしているうちにスケジュールはどんどん押していく。撮影最終日、進みの遅さを見かねたスタッフに1シーンあたりのカット数を減らして全てのシーンを撮りきるよう指示されましたが、予め用意したカット割りの通りに撮ることすらおぼつかない私にそんな臨機応変な対応ができるはずもなく、撮影は散々な結果に終わりました。

 撮影時の手応えとして分かってはいたのですが、改めて撮影した素材を見ると、そのあまりの出来の悪さに愕然としました。小津の映画はおろか、私がこれまでに見てきたどの映画の足元にも及ばない画面のひどさ。その時感じたショックとスタッフ、キャストの皆に対して申し訳ない思いは今でも忘れられません。

 その後追撮を行い、作品が完成した(作品の大半は追撮の素材を用いています)わけですが、追撮した素材について私から述べることはここでは避けたいと思います。それは作品をご覧になった方々に判断していただくことだと思うので。ただ、少しでも良い作品にしようと、ひとつひとつのショットについて反省を重ね、その時々で出来る限りの努力をして撮影を進めていったと、そのことだけは言えるんじゃないかと、まあそう自負しているわけです。

 ここまで意外にも長々と(監督、字数はクリアしましたよ)自分のことばかり書いてきてしまいました。それは私が他のセクションのことは全く把握していないためであり、撮影に専念させてもらっていたのだなと改めて感じました。ひょんなことから担当することになった撮影でしたが、監督をはじめとしたスタッフの皆、キャストの方々に支えられ、どうにかやり遂げることができました。

 今振り返っても、本当に良い経験になったと思っています。あとは一人でも多くの方々に作品を見てほしい(実を言うと、自分の撮った映像を見せることには少しばかり恥ずかしさもあるのですが)、その思いです。

 映画『ななめの食卓』をどうぞよろしくお願いします。

 次回は美術、スチール写真担当の川口さんです。長らく会っていませんが、元気にしてるんでしょうか。思えば、早稲田松竹での上映も打ち上げもコロナで延期となり、メンバーのほとんどとは1月の上映会を最後に会っていないことに気づきます。あの頃は世界がこんなことになるとは思ってもいませんでしたね。落ち着いたら打ち上げでもしたいですね。それでは、次回もお楽しみに。

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(監督の難題に度々首を傾げながらも、毎回じゃあやってみようとカメラを構えてくれた伊藤くんでした。ありがとう!)

スチール写真 photo by 川口