3回目WSの感想(金川→細谷)

2021年度開催の ななめな学校 連続ワークショップ における 金川晋吾さんの授業「夏への扉 日記をつける、写真をとる」の往復書簡で、金川さんとななめな学校ディレクター細谷でやり取りしています。
これは金川さんから細谷への、WS三回目のレポートに対する返信です。

細谷さま

ワークショップの丁寧なレポートと感想ありがとうございます。

今回もものすごくおもしろかったですね。
自分は先生の立場ですが、あと2回で終わってしまうというのが今からすでにさびしくなっています。同じようなことを参加者の一人も言っていて、WSが終わってからのことやさらにその先の未来においてこのWSが自分にとってどういう意味をもつかみたいなことまでその方は話してくれていて、そのときは思わず笑ってしまいましたが、自分も同じような気持ちになっています。今を未来にとっての過去として眺めるというのは、日記をつけたり写真を撮ることによって生じる視線のひとつだと言えると思います。

細谷さんと同じように、本当にいろいろなことを思ったのですが、なかでももっとも印象的だったのは、家事や子どもの世話に追われる毎日のなかで、「母」であるということや自分の生き方についてさまざまな悩みを抱えているが、それをどこまで日記として書くのかについて葛藤されているAさんのことでした。

Aさんの日記を読むと、母という立場に置かれた人は、自分の悩みを吐き出すことがむずかしい状況に追い込まれやすくなり、逃げ場がなくて追いつめられやすいということ、この社会の構造的な問題としてそういう状況が生まれやすいのだということが伝わってきます。Aさんは「私が駄目だからこんなに辛いのか」「母って何なのか」「母だから仕方がないのか」という呟きをされていますよね。フェミニズムの有名なスローガンである「個人的なことは政治的なこと」であるということが、とてもリアルに感じられます。身の回りにいる具体的な他人のことについても書かれているので、それをどういうかたちで外に出すのかということは考えるべきだとは思いますが、ああいう声が本人のなかだけに留まらずに、いろんな人に届けられたほうがいいと僕は思っています。

何が個人的で、何が政治的なのかという線引き自体が、とても政治的なことなのだということをあのスローガンは語っています。8月の展覧会が、個人的であることについての境界線を探るための場となればいいですよね。次回のWSでは展覧会のかたちについてもみなさんと話をしていきたいと思っています。

引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

2021年07月14日 金川晋吾

■ひとつ前の書簡(WS三回目のレポート)はこちら

金川晋吾(かながわしんご)・ 1981年、京都府生まれ。写真家。千の葉の芸術祭参加作家。神戸大学卒業後、東京藝術大学大学院博士後期課程修了。2010年、第12回三木淳賞受賞。2016年、写真集『father』刊行(青幻社)。写真家としての活動の傍ら、「日記を読む会」を主催している。
近著は小説家太田靖久との共作『犬たちの状態』(フィルムアート社)


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