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ただ渡すだけが配達ではない


私が知る限り、最悪の配達だった。


馴染みのお店のカウンターで食事をいただいていた時のこと。

貸し切りも同然の店内で店主と話をしていたところ、突然お店のドアがブワッと開いた。青い縞々ではないほうの、宅配便会社の配達員だ。


その配達員は、挨拶もなしに大股でドカドカと上がってきて、「メール便ですー」とだけ伝えて店主に手渡すと「では、私は急いでますので」と態度で伝えるようにお店を出ていった。


配達員の態度を見て、私は最初、この人は何度かこのお店に来ている担当者なんだろうと思った。ところが、そうではないことを店主のひと言で知ることになった。


「これ違う店だし!(お店の入り口のほうに向かいながら)おーい、おっちゃーん!. . . 行っちゃったか。」


なんとこの配達員、届け先を間違えていたのだ。捺印不要で手渡しが認められるメール便なことが災いしてしまったようだ。


しかも店主の話によると、数軒離れた、全く別のビルに宛てられた荷物とのことだ。同じビルにある違うお店ならまだわかるけど、全く違うビルで全く違うお店への荷物を間違えるのはどういうことか。そんな話をしていた。


私がこの一連の出来事を見て感じた、この配達員の落ち度は主に3つあった。


1つは、最初に挨拶がなかったこと。頻繁に届けることがあろうがなかろうが、お店に入るのであれば、「お世話になります。〇〇です」と挨拶をするのが社会人としてわきまえているべきマナーであるはずだ。

ところがこの配達員、その最低限の挨拶すらせずに、あたかも自分の家であるかのようにドカドカと上がり込んできていた。少なくとも、初めて訪問する時の態度ではない。


2つめは、宛名の確認をしなかったこと。慣れているのかと思ってしまうほどドカドカと上がり込んできていたにも関わらず、お店に配達に来たのは初めてだったようだ。(そうでなければ、届け先を間違えることはないはず)


それなら、「△△様よりメール便のお荷物ですね。」とか「〇〇様でよろしいでしょうか」と、"普通なら"確認をするのではないだろうか。ところが、この配達員は、謎の確信があったのか、やけくそだったのか、届け先の確認をすることもなく、店主に荷物を押し付けて帰っていった。


これのなにがいけないかというと、万が一、届け先を間違えて、配達完了としてしまうと、正しい届け先に荷物が届かないままになる。

しかも、それが高級品で、なおかつ、違う届け先の人がたまたま同じ商品を欲していたとしたらどうだろう。ご丁寧に届け直してくれる親切な人なら事なきを得るかもしれないけど、世の中、そんな正直な人たちばかりではない。心当たりはないけど、「うわ、ラッキー」とそのまま受け取ってしまう人もいることだろう。

本来の届け先に商品は届いていないまま完了させてしまえば、会社の名前に傷がつくのはもちろん、関係者全員に迷惑をかけることになる。会社の顔としての責任感も著しく欠いていたのが、件の配達員というわけだ。


そして3つめが、退出前の挨拶。「ありがとうございますー」なり「またお願いいたしますー」なり言ってもいいものなのに、この配達員はそれすらなく、「あー次の配達先行かなきゃな、めんどくせー」とばかりに、そそくさとお店を後にしていた。


入口も出口も最悪の印象で、さらには届け先まで間違えているという、目も当てられない惨状がその短時間でもたらされていたのだ。幸い、店主はご親切に本来の届け先のお店まで荷物を届けにいっていたものの、「これはいくらなんでもありえんわな。」と呆れていた。


配達員の立場を考えるなら、次の届け先までの時間が迫っていて余裕がなかった可能性もある。仕事に追われている時は往々にして雑になりがちだ。それは別の仕事でも言えることだし、焦る気持ちもわかる。


とはいえ、捺印不要のメール便であっても「せめて確認はしよう?」と思った一件だった。店主とはこの一件の後、「自分だったらこうする」という話をしていた。


緊急事態宣言の頃から物流の需要が跳ね上がって、私たち国民の自粛期間を支えてくれていたのが、物流業界の人たちだ。


そして、なかには信念と誇りを持って、丁寧な仕事を徹底してくださっている配達員の方々もいることを私は知っている。しかし、今回遭遇したのはその真逆のタイプだった。配達員もピンからキリまで。いろいろな人がいるのだなと現実を見てしまったような気分だった。


でも、件の配達員の態度を振り返った時に、「少なくとも、私は最低限以上のことはできているんだな」と知ることにもつながった。自分にとっては当然のようなことでも、別の誰かはそれすら心得ていない可能性もあると、目の当たりにしたのが今回というわけだ。


ということで、今回私が言いたいことは、「確認は十分したと思っていても、もう一回するぐらいがちょうどいい」ということだ。

自動車の教習所で、「"だろう運転"をしてはいけない。"かもしれない"のつもりで運転せよ」と教わるように、念には念を入れるに越したことはない。間違えて迷惑をかけたり評判に傷をつけたりするぐらいなら、その瞬間に数秒かけても確認するほうがいいに決まっている。


件の配達員が、また配達ミスを起こさないことを切に願うばかりだ。



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