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カラオケ嫌いをこれ以上増やさないために


こんなタイトルをつけておきながら、はじめに断っておくべきことがある。


私はカラオケが嫌いだ。


いや、この言い方では誤解を招くので、なにがどう嫌いなのかを言うべきだろうか。もっと詳しく言うと、こうなる。


私は、カラオケ(を強要してくる人間)が嫌いだ。


もちろん、カラオケそのものに悪はない。何年かに一度はひとりでカラオケに行って練習したり、発散したくなったりする瞬間が訪れる。仮にも音楽を嗜んでいる身だ。チープなカラオケ音源に不満を抱くことはあるものの、音楽に触れられる時間は決して悪いものではない。

ところが、「カラオケいこーよ!」という話が出てくると、途端に心をざわつかせる悪寒が襲う。「うわ . . . これ帰ったほうがいいかな」という方向に心が一気に向き始めるのだ。


そして、タチの悪いことに、カラオケ好きを自称している人ほど、「〇〇も歌いなよ」と無理矢理歌わそうとしてくるのだ。理解のある人もいるので全員とは言わないけど、私の経験上、だいたいはこのタイプだと考えて差し支えない。


「歌えないから」といってやんわり断ろうとしても、「いいから」とゴリ押ししてくるわ、「ここまで来て歌わないなんてなんなの? 白けちゃったじゃねーかよ」とか「楽しみに来てるんだから!」とばかりに場の空気で圧力をかけてこようとするわで、カラオケ嫌いの人は極めて肩身の狭い思いをしなければならない。


歌いたくない気持ちと、この後に来るであろうリアクションを想像して憂鬱になった気持ちによって胃をムカムカさせながら渋々歌うと、反応は2つに分かれる。


ひとつは、案の定、「歌えない」と伝えたにも関わらず、なんともコメントしづらそうな気まずい空気になる。このパターンのせいでカラオケ嫌いになった方も多いのではないだろうか。


10年近く前の話になるけど、とあるバンドのコピーバンドをやっていた時に、ボーカルをやっていた人が「カラオケいこう!」と言い出したことがきっかけで、カラオケに行くことになった時があった。

その時、私はまさにこのパターンで場の空気が気まずいものになってしまった。というのも、私にとっては歌う機会が皆無も同然だったので、どんなキーなら無理なく歌えて、私の知っている曲のなかでどんな曲なら自分に合っているのかすらわからなかったのだ。だから、自分の知っている好きな曲を渋々歌おうとしても、自分の声質に合わない曲で思うように声が出せなかった。それが場の空気を悪くしてしまったようだった。


ボーカルの人は本当にみんなで楽しみたかったからカラオケに行こうとしたのか、それとも、バンド活動だけでは飽き足らず、自分の土俵でさらにスポットライトをかっさらいたかったから行こうとしたのか。それはもはや私には知る術のないこと。

それでも、自分の「楽しい」を相手に強要するな、ということは私もここで何度か記事で伝えてきたことだけど、それはこのカラオケ問題でも当てはまる。

ボーカルの人にとっては歌うのはなんともないことかもしれないけど、他の人はボイストレーニングを受けているわけでもなければ、同じように歌うことが好きとも限らない。これはバンド以外にも、上司と部下、先輩と後輩、その他の関係にも言えることだ。


一方、もうひとつは、歌ってみたら案外周りからの評判が良くて、「もっと歌ってよ!」と言われてしまうパターン。こうなるとさらに断りづらくなる上に、歌いたくない曲の時までマイクをまわされることになって、地獄のようなカラオケの時間がさらに延びることになる。


そう、どちらを辿っても、カラオケ嫌いの人にとっては地獄でしかない。まさに「どうあがいても絶望」なわけだ。

「カラオケいこーよ!」と提案した本人にとっては楽しい時間であっても、カラオケ嫌いの人にとっては自分の印象が悪い方向にひっくり返るかもしれない、一生に一度の大勝負に匹敵する極限の緊張を強いられる時間なのだ。


そして、どちらを辿っても地獄ということは、つまり、さらにカラオケ嫌いが加速することを意味する。こうしてカラオケがどんどん忌み嫌われていく、という悪循環が完成する。


では、カラオケ好きの人が、カラオケ嫌いの人をこれ以上増やさないようにするためには、どうすればいいのか。答えはとても簡単だ。


強要をしないことだ。


まず、カラオケへの参加そのものを強要しないこと。カラオケがあまり好きではない人なら、強制ではないし行かなくていいよと伝えるか、その人がいる時は代わりに別のところへ行くように配慮すること。


そして、一緒にカラオケに行ってくれるのであれば、「いてくれるだけでいいよ」という姿勢で、歌うことを強要しない。中には、歌うのは好きではなくても、合いの手を入れたり、サビの部分だけ一緒に歌ったりするのは好きという人もいる。私も合いの手専門を自称するぐらいで、どちらかというとこのタイプにあたる。

そういうタイプでもない場合は、一緒に飲み物を飲みながら話しているだけでもいい。聴く専門がいてもいいじゃないという器の大きさを示すことができれば、相手も安心するし、あなたへの評価も上がるはずだ。


結局、「相手の気持ちに配慮する」という、人付き合いの延長だ。大事なことはここでも変わらない。


いくら盛り上がるための場とはいっても、自分にとって楽しくても、相手にとっても同じとは限らない。誰かにとっての「楽しい」は、別の誰かにとって「苦痛」になる。これも、表裏一体だ。


いまはWithコロナの時なので、カラオケがまた日常に戻り始めるのはもう少し先の話になるかもしれない。その時が来たら、カラオケ好きの皆さんに今回の話を思い出してもらえたら幸いです。




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