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そのスキに隠れた意味を知りたいと思う私はわがままでしょうか?


『スキ』がつくと嬉しい。

Twitterなどでいう『いいね』に相当するnoteの『スキ』ですが、通知が来ると誰かに届いたとわかるので嬉しくなるのは、noteで書いていらっしゃるあなたも感じていることだと思います。


ですが、時々気になりませんか?

「この人はどういう気持ちでスキをつけてくれたんだろう?」と。


スキだけでは足りない、というわけではないけれども、それなりに長く続けていると、どうしてもその意味が気になる瞬間が訪れます。

特に、よくつけてくださっている方の名前が見えると、嬉しい一方で、「このスキはどういうスキなんだろう」と、スキの意味を考えてしまうのです。


Twitterでも、「この人はどこをどう『いいね』と思ったんだろう」と、同じことを考えることがよくあります。

ハートマークがつくことは確かに嬉しい。でも、その真意がわからないのが同時に心に引っかかる。嬉しいんだけどどこかスッキリしないのです。(わかるかな、この感覚 . . . )


上の記事にも書いた通り、スキ(いいね)をつける基準も人それぞれなので、それがなおさらハートマークの裏に隠れた真意をわかりづらいものにしているなぁと思います。

既読程度の感覚でつける人もいれば、ちょっとでも良いと思ったらつける人もいる。なかには、琴線に触れて強く心を打たれた内容の時だけしか押さないという人もいます。『ちょっとスキ(まあいいんじゃない?)』と、『めちゃんこスキ(超タイプ!結婚して!)』では大きな違いがあります。

書いた本人にとっては渾身の内容だったとしても、読んだ人からすれば「はい既読」とか「はいはいワロスワロス」程度のスキだったとしたらと思うと、つけてもらえただけ嬉しいとはいえ、悲しい気持ちもあるなぁと思うわけです。


また、内容によっては、誤解を招かないようにあえて押さないこともあります。明らかに喜ぶべき内容ではない時にスキなんてつけたら、タイミングによっては「は?」と思われかねません。

そんな時は、少々後ろ髪を引かれる思いになりながらも、つけない選択をする時もあるのです。(スキがつかない=たいした内容ではなかった、と書いた側からは思ってしまいやすいのがさらに悩ましいところ)


そういう意味では、コメントがついたり、シェアしてもらえたりするともっと嬉しいという意見もとてもよくわかります。言葉として表れて初めてその人がどこをスキと思ってくれたのかがわかるからですね。


noteは初期の段階からも割と読まれやすく、スキもつけてもらいやすいことから来る続けやすさがありますが、『スキ(いいね)』のように気軽につけられる仕様は、時として私たちの心に引っかかって、問いの跡を残していくものです。


あなたはどういう時にスキを押したくなりますか?

どういう気持ちでスキのハートマークを押しますか?


よろしければ、あなたのスキの基準と意味、教えてくださいね。



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