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「どうやって休む=どうやって書く」の時点で、結局休めていなかった


数日間記事は休むって言っておいて結局更新しとるやないかいって話なんですが。


いやね、つぶやきで更新してもいいんですけど、どうしてもっていう時でない限りは、「もうちょっとなにか書けないかなぁ」と思ってしまうんです。


それに、つぶやきだとフォトギャラリーから拝借できないので、画像を選ぶ手間が出てきてしまう。画像なしで「今日はおやすみです」とだけ書くのも、なんかそっけないですよね。せめて見映えだけでも整えておきたいなぁと、凝り性な私が顔を出してしまうのです。


それだけ毎日更新の習慣がすっかりついたっていうことなんでしょうけど、頭では「どういう内容にしようか(どう休もうか)」とnoteのことを考えてしまっていて、休むつもりが結局休んでいないというね。


休もうと強く思うほど、今回みたいな短めの記事でもいいからと更新しようとする。

noteを更新しなきゃと思うほど、書きたい内容が浮かばなくなる。


これはアレか . . . 反対のことを考えたほうが意外と更新できるのか . . . ?

物欲センサーみたいなものが書きものにもあるのでしょうか。


「どうやって休もうか=どうやって書こうか」になっているので、毎日更新をしながら割り切って休むのも難しい。そんなことを思った梅雨の金曜日。



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