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【コメントのススメ】どんな価値を届けられているのかをクリエイターに知ってもらうために


「〇〇が好き」

「〇〇は自分に合ってる」


好きなことが自分に向いていることであれば一番良い。好きなことで生きていけるのが一番だし、それが向いていることであれば、壁に当たった時を除いて苦痛に感じる時間も減ることだろう。ただ、このふたつは必ずしも共存するものではない。


好きだけど自分には合っていないかも、と思うこともある。時間をかけていけばある程度解消される時もあるけど、置かれている条件が悪いなどの理由で、どうしても後者の部分が解消されない時もある。


反対に、そんなたいして好きというわけではないけど、自分には合っていることもある。たとえば、自分のなかの理想像としてはデスクワークがやりたいけど、実は丁寧な手作業をするほうが合っている、といった具合だ。天職か適職かでいうなら、適職に当たる側だろうか。


そして、このふたつの裏に、もうひとつ大事な要素が隠されている。

「〇〇を通して価値を届けられている」ということだ。


最近、私はこの価値提供について、外でぼんやりと景色を見ながら歩いては、よく考えを巡らせている。


noteに関してであれば、「私の心の海に漂うこの言葉の数々は、果たして誰かに価値を届けられているのだろうか」と。


noteにはこの3つを全て満たしているクリエイターの方が、それこそごまんといる。少なくとも、私にはそのように映っている。


投稿されて間もなくたくさんのスキとコメントがついているのを見ては、なにかの賞を受賞しているのを見ては、おすすめで紹介されているのを見ては、刺さって抜けないトゲのような痛みと共にそう実感する。

同時に、「お前の文章にこれほどの価値があるのか?」「あんたの文章に価値なんてないからやめたら?」と、その目に見えないトゲでぐりぐり抉られているような感覚があとに残り続ける。まるで説教をされている最中のように、悔しさで歯に力が入って片側の目元が歪むような、苦い感覚がそのあとを追う。


最終的に「自分にできることをやるだけ」という考えに落ち着くとはいえ、ついこうやってまた他人の軸から自分に評価を下す『相対的自分』になってしまう。それは"ひとりよがり"になっていないといえばそうなのかもしれないけど、ついつい比べてしまう長年のクセはそう簡単に抜けるものではない。


noteで毎日更新を続けてもうすぐ160日以上が経とうとしているけど、「私の文章はなにか価値を届けられているのだろうか」という問いへの答えはいまだに出ないままだ。


欲張りかもしれないけど、「続ける力を養うため」という自分のための活動でありながらも、せっかくなら誰かの心にひっかかるような価値をできる限り残したいと思っている。


文章を書くこと自体は好きで、自分には合っているのかもとも感じる。

ただ、どんな価値を届けられているのかまではいつまで経ってもわからない。好きで向いているとしても、他人から見たら「なにこれ」と思われるようなものの集まりに見えていることだってあるかもしれない。


特定の記事に対して、「言いにくいことを言ってくださってるなぁと思いました」といった具合に評価をいただけることはあった。

でも、私の知る限りでは、「ななつきさんの文章は〇〇なところがいいですよね」と、直接言われた記憶がない。ありがたいことに「ななつきさんの文章が好き」と言ってくださった方はいたし、それがいまでも励みになっているけれども、どういう部分を気に入っているのかまではわからない。


こればかりはスキだけでは伝わらないので、晴れない悩みを抱えているひとりとして、良かったと思うところはなるべく言葉にして伝えるようにしている。そうすることによって、どういう部分が強みなのか、どういう部分に共感してもらえたのかが書いている本人もよくわかるし、「届けている文章に価値があるんだ」と自信にもつながるからだ。



なにかを生み出して世に送り出している以上は、いつかは誰かの目に触れることになる。そう考えると、たとえどれだけ小さいものであっても、なにかしらの価値を届けることはできているのかもしれない。


ただ、私たちがこうして世に送り出した言葉の数々は、本当に誰かの力になれているのだろうか。誰かに喜んでもらえているのだろうか。誰かになにかを考えるきっかけを与えられているのだろうか。


第三者から言葉を通して聞いて初めてわかることを、自分だけで考えても答えが出るはずもない。

私は今日もどこか遠くを旅するような目で、考えを巡らせている。



私がこのように感じているということは、他のクリエイターさんで同じように感じている方もいらっしゃると思う。

だから、もしあなたがなにかの記事を読んで、心を打たれたり、考えさせられる内容だなと思ったりしたのであれば、ぜひそれを言葉にして伝えていただきたいなと思う。


勇気がいることではあるけど、100のスキがついても晴らせないことを、1のコメントが晴らせることだってある。

あなたのその言葉が、誰かの迷いを晴らすことにつながるかもしれないのだから。


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