見出し画像

煙は嫌いなのに煙管に憧れを持つ謎の感覚


夏といえば『花火』。

花火といえば『浴衣』。

浴衣といえば『和装』。

和装と聞くと、親指と人差し指、そして中指も添えて『煙管(きせる)』を持つ人物像がよぎる。


私は顔に嫌悪の表情が出るほどの大の煙嫌いだ。それは、前に受動喫煙について書いた記事にも表れていると思う。

しかし、不思議なもので、私は煙管に対しての憧れを持っている。


特にこの時代にわざわざ煙管を選んで嗜むとなると、細かいことに気を遣えなければならない。煙管は手入れも大変だということを私は知っている。

それに、細かいことに気を配れるということは、周りに対しても気を遣える方でもあるはずだろうし、和装と煙管の組み合わせはなかなかお目にかかれないのもあって、所作に惚れ惚れするような品の良さも感じるのだ。


特に、女性で細長い煙管を嗜んでいる方を見ると、カッコいいとすら思ってしまう。


過ぎ去った時間に思いを馳せているような、どこか憂いを帯びた瞳。表情。そんな一面をのぞかせながら細く紫煙を吐き出すその人の、煙管を持っている姿そのものが芸術のように映るのだ。


煙管は喫煙するしないに関係なく、目を引く美しさがある。いままで数えられるぐらいしか煙管の愛好家にお会いしたことがないけど、いまのところ私のなかでこの評価は揺らいでいない。


でもなぜだろう。この美しさを煙草から感じることはない。

それは、私のなかで煙草と悪い思い出が多く結びついているからだろうか。

それとも、私が煙管の愛用者をまだあまり多く知らないからだろうか。


煙管を嗜むのが人間である以上、全員が良識を持って嗜んでいると断言はできないし、煙草であっても周りに配慮してくれる喫煙者の方々はいるので、結局はその時に当たる人次第で印象は良い方向にも悪い方向にも変わる。


しかし、煙管には煙草からは感じないなにかがあるのだ。

高貴で、芸術を見ている時のようななにかが。


副流煙で散々気持ちが悪くなる思いをしてきた身としては、煙を肺に送り込みたいとはまったく思わないけど、和装をする機会があればその時に吹かすだけでも一度試してみたい。


その時に私は、一体なにを思うんだろう。

どんな目を、どんな表情をしているんだろう。



記事を気に入ったらコメントで感想をいただけるととても嬉しいです!(スキは訳あって苦手になりました。ごめんなさい。) サポートは『寄付・サポート資金』または『より充実したコンテンツをお送りするための資金』として大切に使わせていただきます。